2014年9月2日火曜日

[World News #087] 68年世代のアメリカを象徴する一人の黒人インディペンデント映画作家の死 2014年8月25日、ウィリアム・グリーヴス(William Greaves)が亡くなった(#1)。このニュースは日本でほぼ報じられることがなく、そもそも映画関係の文献や資料、メディアなどでもその名前が大きく取り上げられたことは殆どなかった。しかし、グリーヴスは世界的な政治的変革の時代である68年をアメリカで身をもって体現した映画作家であり、グリフィスの『国民の創生』(黒人が悪役やステロタイプとしてのみ描かれKKKがヒーローとなる)やステッピン・フェチットから連なるアメリカ黒人映画史の流れの中で自らをとらえていた聡明な映画人であり、そしてなにより、ドキュメンタリー映画がドキュメンタリー映画自体を最も過激に問いかけた前衛映画『シンビオサイコタクシプラズム・テイク1(Symbiopsychotaxiplasm: Take One)』の作者である。『シンビオ・テイク1』は、その奇妙なタイトルをそのまま反映したかのような、あまりに過激で実験的なスタイルから製作当時は理解されず、長らく一般公開されなかった。しかし、映画祭や美術館などで上映される中少しずつ口コミによってその異様さが広まり、今日では映画史上でも重要なカルト作品として広く認知され始めている。 グリーヴスの人生は、そのまま20世紀後半の最も重要な政治の季節をアメリカで生きた一人の黒人(アフリカ系アメリカ人)の肖像そのものである。1926年、ニューヨークのハーレムで生まれたグリーヴスは始め科学とエンジニアリングを学んでいたが、やがて舞台に興味を持ち、アメリカン・ニグロ・シアター(#2)に身を投じた。そして1948年、著名なアクターズ・スタジオに参加し、マーロン・ブランドやアンソニー・クイン、シェリー・ウィンタースらと演技を学ぶ。アクターズ・スタジオでの経歴は長期に及び、後にはリー・ストラスバーグの代わりにワークショップを行うこともあった。この功績から、ロバート・デ・ニーロやジェーン・フォンダらと共にニューヨーク市からDusa Awardを受賞している。 舞台からやがて映画へと活躍の場を広げていったグリーヴスだが、当時のアメリカでは黒人への差別と偏見からステロタイプ化された役以外を演じる機会がなく、徐々にフラストレーションを募らせていった。俳優から脚本・演出への進出を試みるが、マッカーシズムが吹き荒れていたアメリカ映画界では機会を得ることができず、奨学金を得てカナダ国立映画制作庁(National Film Board of Canada)(#3)に留学し、映画作りを学んだ。当時製作したドキュメンタリー短編『Emergency Ward』(59)は、映画史家によると「『60ミニッツ』+フレデリック・ワイズマン+メイスルズ兄弟」といった特異なスタイルが既に明らかであったとのことだ。カナダ国立映画制作庁での活動は11年間に及んだ。 60年代公民権運動の盛り上がりの中、故郷への思いを強めていたグリーヴスはようやく帰国を果たし、国連などから製作資金を得て複数のドキュメンタリー作品を発表する。とりわけ、1969年のマーティン・ルーサー・キング牧師暗殺直後に放映されたテレビシリーズ『ブラック・ジャーナル』は高い評価を集め、番組とグリーヴスの双方にエミー賞が与えられた。 1964年に自らの製作会社ウィリアム・グリーヴス・プロダクションズを創立したグリーヴスは、黒人問題を中心とした政治的ドキュメンタリー作品で既に高い評価を得ていた。しかし、そんな中撮られた一本の作品『シンビオサイコタクシプラズム・テイク1(Symbiopsychotaxiplasm: Take One)』は、そのあまりに前衛的なスタイルと内容、そして奇妙なタイトルから配給先を見つけることができず、長らく一般公開されないままお蔵入りとなってしまった。後に、評価の確立した黒人ドキュメンタリー映画作家としてグリーヴスのレトロスペクティブが開催された際も、「みんなに嫌われた作品」として本人は上映を望まなかったとのことだ。しかし、そこではじめて実際に見て衝撃を受けた主宰者によって、この作品はオープニング上映に選出された。 『シンビオ・テイク1』の衝撃は、やがて口コミによって少しずつ広まっていく。そして1992年のサンダンス映画祭で上映された際、観客の一人であったスティーヴ・ブシェミはこの作品にショックを受け、スティーヴン・ソダーバーグにもちかけることで、ついに2004年、全米で一般公開されることになった。ブシェミ&ソダーバーグは、さらに作品のラストで予告されていた続編製作にも協力し、資金を提供する。その作品は、35年後の続編『シンビオサイコタクシプラズム・テイク2 1/2(Symbiopsychotaxiplasm: Take 2 1/2)』として完成された。 その後もウィリアム・グリーヴスは妻ルイーズ・アーシャンボーと共に映画作家、そしてプロデューサーとしてアメリカのインディペンデント映画製作を支え続けた。日本ではいずれも一般公開されていないが、モハメド・アリとジョー・フレージャーの戦いを収めた『モハメド・アリ/ザ・ファイターズ』のみビデオ発売されている(#4)。1980年、グリーヴスは黒人映画作家の名誉殿堂に名を連ね、また同年、パリではじめて開催されたアフリカ系アメリカ人インディペンデント映画祭でスペシャル・オマージュを捧げられている。彼の作品は、世界中数多くの映画祭でたくさんの賞を受賞している。しかし、何よりもまず、日本では彼の代表作にして世にも奇妙な2本の作品『シンビオサイコタクシプラズム』がこれから本格的に紹介される必要があるだろう(#5)。 大寺眞輔 http://blog.ecri.biz/ http://ift.tt/1knGQPv http://ift.tt/NSy3rx #1 http://ift.tt/1p7JXsS #2 1940年にニューヨークのハーレムで創設された黒人劇団。俳優養成所を併設し、卒業生としてシドニー・ポワチエやハリー・ベラフォンテを輩出している。 http://ift.tt/ZPwLSn #3 初代長官であり優れた映画作家であるジョン・グリアソンのもと、ドキュメンタリーと短編アニメーションを中心に制作を続けている国立映画スタジオ。ノーマン・マクラレンやクロード・ジュトラらの作品がある。通称NFB。 https://www.nfb.ca/ #4 http://ift.tt/1rbM5VJ #5 9月12日ごろ掲載予定の次回boidマガジンの私の原稿でもこの作品を紹介する予定だ。 http://ift.tt/W5ePDq

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