2015年1月30日金曜日

HBO's 'Night Will Fall' chronicles making of WWII Holocaust film

[World News #155]ホロコーストから70年、惨劇を映した映画とその公開を巡るドキュメンタリー 今年は第二次世界大戦のナチスによるホロコーストから、70年に当たる年です。そのことと関連して日本で2月には、『ショア』のクロード・ランズマン監督特集が行われます。これからも改めて考えなければいけない難しい問題であり、いまだにホロコーストを巡って多くの映画が製作されます。今回取り上げる『Night Will Fall』もそのひとつに当たります。(以下「」内を引用として交えながら紹介させてもらいます) 「70年前の強制収容所解放時にイギリス・ソ連・アメリカの連合国側はその惨劇に驚き、兵士やニュース映画のカメラマンにベルゲン・ベルゼンやダッハウ、アウシュヴィッツ強制収容所を記録させました。その映像は『German Concentration Camps Factual Survey』という映画にして、1945年ナチス政権崩壊後のドイツで公開が試みられました。(…)しかし、アルフレッド・ヒッチコックが監督しているにもかかわらず、1945年版の映画は完成させられませんでした。」(*1) このヒッチコックによるドキュメンタリーは未完成ながら他の記録とともに保存されました。(今年その映画が70年後にデジタル修復され、編集も本来のかたちに修繕されて公開されることにもなったようです。) 「『Night Will Fall』は今年の初めにベルリン国際映画祭でプレミア上映され、そのあとシェフィールド国際ドキュメンタリー映画祭やコペンハーゲン国際ドキュメンタリー映画祭などを含む幾つかの映画祭で上映されました。シドニー・ベルンシュタインやリチャード・クロスマン、アルフレッド・ヒッチコックを含む映画製作チームが、共和国軍が解放するときに発見した否定しようのない証拠、を見せるために映画を共同して作ったことについて、この映画は問いを深めて行きます。」(*2) つまり『Night Will Fall』は、1945年に公開されようとした映画についての、強制収容所解放時に撮影された映像についてのドキュメンタリーです。注目されているのは昨年話題を呼んだ『アクト・オブ・キリング』でも制作総指揮を務めたアンドレ・シンガーがこの作品でもその仕事を務めており、数々の生き残ったひとやその場に居合わせたひとたちへのインタビューとアーカイヴからの引用で映画は構成されることです。果たして、どのような視点を我々に与えてくれるのか参考にレヴューを引用すると 「一言で言えば、政治です。戦争が終わるとプロパガンダ映画がアメリカやヨーロッパで問題になりはじめました。何千人もの強制収容所からの生還者たちが行き場所を失い問題になります。ですがまったく信じられないほど驚いたことがあり、多くの連合国側の国が彼らの受け入れを渋ったのです。ベルンシュタインとヒッチコックの映画から見えてくることですが、政治家は公共の民衆が犠牲者に対する同情の念を抱くことを恐れ、犠牲者に専用の避難所を与えたいと思っていたのです。ここがSingerによる映画が真に歴史を捉えているところだと思うのです。ヨーロッパが再編し、ドイツが復興し、いま向かっている新しい世界をどうしていくかという戦後政治の状況が、何故『Factual Survey』が最終的にお蔵入りになり長らく公開禁止となっていたのか、を理解するうえで極めて重要な点であることを示しているのです。」(*3) この『Night Will Fall』は先日、アメリカ、ドイツ、フランス、イギリス、ポーランド、スイス、イスラエル、デンマーク、スロベニア、フィンランド、ノルウェー、ポルトガル各国のテレビで放映されました。日本でも公開はされるのでしょうか、是非『Factual Survey』と合わせて見ることで考えてみたいです。 (*1)http://ift.tt/1D7G7ZP (*2)http://ift.tt/11MEjJp (*3)http://ift.tt/1zdvJAK 参考 『アクト・オブ・キリング』公式サイト http://ift.tt/1dqpONQ 三浦 翔 横浜国立大学3年/映画雑誌NOBODY

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2015年1月22日木曜日

Tar Pit (2015)

[World News #154]映画制作の現場で「慌てない」ことの重要性  何をするにも、常に冷静であることだ。『Tar Pit』(2015)で初のプロデューサーを務めたロズ・フォスターは自身の経験を通じて、特殊な環境下での撮影について語る。  インディー映画制作の現場では常に何らかの異常事態が起こり得る。プロデューサーをはじめ場を統率する立場において、問題を解決するカギは「慌てないこと」だ。  これは『Tar Pit』のプロデューサーを務めた私にとっても重要な心がけであった。あらゆる災難が襲いかかってこようとも、この単純な心がけを思い出せばそれらの大半には迅速に対処することができたのだ。2014年6月、最後の銃撃戦を撮影したのは、ニューヨーク北部の奥地にある豚の屠殺場でのことだった。  蒸し暑くほこりっぽい空気は、ゴミの山、腐った飼料、ひしめく豚の臭いとともに腐敗した死体が放つ悪臭を運んできた。この撮影はディレクター兼ベテランのインディー映画制作者であるJ・クリスチャン・イングヴォールドセン(以下クリス)と共同で手配したものであった。一流の撮影監督兼脚本家であるマシュー・M・ハウ(以下マット)は平然としており、彼は養豚場ではこれが当然だと思っていたのだ。だが私は次第に、なぜこんな場所にいなければならないのかと思えてならなかったものだ。  しかし慌てるな、と私は自身に言い聞かせた。クリスも私に「これ以上に圧倒的な銃撃戦の背景は誰にも演出できないよ」と声をかけてくれたのだ。  撮影の用意が整うと私は車から降り、農場と肉屋を経営する店主の、豚の糞にまみれた手と握手を交わした。彼の視線は、私のような小娘が彼と豚たちの食生活を変えさせてしまうと思われているのではないかと私の不安を煽ったが、慌てるな、と私は再び言い聞かせた。彼が血しぶきのこびりついた腰ベルトから肉包丁を引き抜くには、目撃者が多すぎたからね。  それでも、クリスとマットが恐れ知らずに現場を下見している間は、私はほかの俳優たちとともにセダンの中で安全に待つと決めていた。二人は戻ってくると私だけを車から降ろし、「豚の死体があちこちに転がっているよ。」とひそひそ囁いた。  夏の熱気の中で静かに手を下ろし、「なあに、大したことないさ。ただ、みんなの気が散らないようにするだけだ。そして、慌てないこと。」という彼らの笑みは私をほっとさせてくれた。  そうだ、しっかりするんだ!と気を落ち着け、私たちは役者を子豚の鳴き声がする養豚場に案内した。すると「かわいい!こんなに近くで見たことない!」と俳優たちは満面の笑みを浮かべ、携帯のカメラを向けて笑いながら壊れてひっくり返った冷蔵庫やさびた有刺鉄線を飛び超えて大小の豚の群れの間ではしゃぎまわった。  そうして歩いていると、私は誰も気づかない場所に死んだばかりの子豚を見つけた。俳優たちは陽気に歩いていたが、傾いた車とぼうぼうに伸びた草と豚たちに囲まれて私は一人泥に沈んだ豚の亡骸をぼんやり眺めていた。奇跡的に、幸福に満ちた役者たちはこの事態を見ることなしに済んだのだった。  撮影を開始した際、私は周辺の安全だと思われる場所に行動範囲を制限するよう呼びかけた。幸いにも彼らは私が頼んだ場所の中にとどまり、互いに集まって先ほど撮った写真を見て過ごしてくれた。撮影が始まり一息ついたのもつかの間、突如一人の女優がキャーッと悲鳴を上げたのだ。歯をむき出しにした巨大な豚の骸骨と腐りかけの内臓や骨を横目に、私はてんやわんやでみんなを捕まえたのだった。このような豚の解剖事件とも呼ぶべき出来事の数々は想像にお任せしよう。つがいの豚がすぐ傍で交尾をはじめたこともあり、表面上は「カメラはそのままで――」と繕ったものの、これは笑い声を編集する必要があった。俳優たちが揃って腹を抱えて笑い転げたのだ!  彼らは陽気で勤勉なプロの役者たちばかりだったので、豚とともに過ごした日々は撮影のなかでもかけがえのない時間となった。彼らは苦しい撮影期間中もずっと笑顔を絶やさないでいてくれた。この環境下でやり遂げたことを誇りに思ってくれているようで、のちにこの養豚場での撮影秘話は彼らの手でフェイスブックやツイッター、インスタグラムを通じて公開されている。おそらくは、喜びとともに。  映画製作者には、ぜひクリスとマットの以下の対談動画をご覧になってほしい。撮影で慌てないことがいかに重要かについて語られている。(豚の映画を見たい変わり者のあなたは、『Tar Pit』のラストを見ることをお勧めしたい。) Don't Panic on the Bridge of the Enterprise (or on an Indie Film Shoot) http://ift.tt/1xBqGoW 筆者=ロズ・フォスター プロデューサーに加え、Roots Digital Mediaの出版部門、the Sandra Dijkstra Literary Agencyの仲介者を務める。 早稲田大学文化構想学部 西山 晴菜 参考 http://ift.tt/15BNnmm 『Tar Pit』 http://ift.tt/1xBqGoY

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2015年1月21日水曜日

[World News #153] アレハンドロ・G・イニャリトゥ監督インタビュー『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』 アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督は、彼の作る映画や会話の中であっても、決して手加減しない。彼の長編作品『アモーレス・ぺロス』(2000)では、あまりに酷いドッグ・ファイトのシーが描かれていたりして、メキシコ出身のイニリャトゥ監督の残酷で直接的な描き方は、強い反響を、時には好意的でない反響を呼ぶことも少なくない。  彼の最新作『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』は、イニャリトゥ監督の新たな出発を意味するような作品になっている。これまで良作にも関わらず映画祭の賞レースではなかなか振るわなかったが、バードマンでようやく妥当な評価がされるようになったと言っていいだろう。  以下にFilmcommment誌で行われたイニャリトゥ監督のインタビューを訳す。 ――新作『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』は、自身をなくしたアーティストの映画です。バードマンが、主演ミッシェル・キートンの抱える不安を口にしますが、監督もご自身のバードマンがいるのでしょうか。 ええ、間違いないです。僕のはあんなかっこいいのじゃなくて、ハゲワシだね(笑) ――バードマンは主役の彼に、やりたいことから手を引かせようと説得をしていましたが? ええ。作品の制作を進めるときに、僕らはその作品の矛盾とか欠点にぶつかる。偽りたくなることもある。それは制作の作業の一部だね。制作の複雑さはここにあると思うよ。だから、2歩進んで1歩下がるように、その矛盾に立ち向かわないといけないんだ。だから作品を作っているときは苦しい。本当に、何より苦しいことだと思う。でも作品を作る人なら、だれでも対面しなきゃいけないことなんだ。 ――現在の批評の役割についてはどう思いますか? 正直に言うと、個人的には、ありがたいなと思っているんだ。と言うのも、年に700本もの映画が公開されていて、95%は駄作だと思うんだ。それが世界と言うものだからね。で、批評家には感謝している。映画批評を読むことで、興味をもってその映画を見ようと思うからね。 でも、僕が映画祭の審査員になった時に、20本の映画を見た。2本は良くて、1本はまあまあだった。1本は素晴らしかった!で、残りの16本は堪えられなかったね。そして、その20本は、僕に大きな影響を及ぼした。この影響というのは、言い換えれば毒だよ、毒。良いものを食べるために、まずい料理を食べなければいけない。でも、良い作品にあたる前にはそのまずい料理で舌が馬鹿になってしまっている。こういうわけで、批評するのは好きじゃないんだ。批評するのはとっても難しいことで、700本も見ていれば、簡単に毒に冒されて正しい判断ができなくなる。だから、リスペクトしていて、感謝していて、かつ、そんなに出来の悪い作品ばかりを見ていて本当に作品の価値を判断できているのかと疑ってもいる。 ――ずっと前だけど、あなたはとってもフランクにヒーロー映画について話してくれたね。それはあなたの言うところの毒なのでしょうか。 僕にとっては、ヒーローっていうのは完璧で、正しい、人間がどうあるべきかという妄想を具現化したものなんだ。それはほとんどファシスト的で、虚しさの伴うものだよ。そして人間は、その完璧なヒーローの、まさに反対のものなんだ。ヒーローのような人には出会ったことがないね。 僕は人間にとっても興味があるんだ。人間は高次元で、矛盾していて、欠点ばかりで、怒りや不安に悩まされる。でも同時に、美しくて、感傷的で、僕を魅了する愛すべき生き物なんだよ。完璧なスーパー・ヒーローの価値というのは、統制された考え方になるように観客を扇動するところにある。 今の世代は人間の欠点とか可能性というものに惹かれないし、そういう人は僕らが見てもつまらない。これが、僕が今恐れていることなんだ。もう人間というのは分析や観察の対象ではないし、人間の欠点を目の当たりにすると自分をそこに見出して悲しくなるとかで、あんまり登場人物を見つめられなくなってしまった。最近は俳優の演技の質がどんどん落ちているんだけど、多分その理由は、スクリーンの人間を見るのが恥ずかしいんだろうね。悲しいことだよ。 ――たくさんの人が指摘していることと思いますが、この作品は、イニャリトゥ監督のこれまでとは違って、明るいトーンの作品になっています。監督にはどんな変化があったのでしょうか。 扱うものが変わったとは思わないんだけど、アプローチの仕方が変わったかな。正直に言うけど、映画業界の人が、映画を撮るのがどんなに難しいことかというのを主張しているのを聞くと、「ああ、この人たちはまだ第三世界とかの、働くには本当につらい環境に身を置いたことがないんだなあ」と思うんだよね。僕らの苦労はそんな程度じゃないよと(笑)。 僕は制作をするうえで生じる困難には逃げずに立ち向かう。また、作品が多くの人に愛されること、自分を表現すること、あらゆるものを脱ぎ捨てることにもためらいがない。何が言いたいかっていうと、僕がいかに真剣に撮るものの苦しみを知っているかということで、それを知っているから、ある意味でリアリティを裏切るだろうということだ。 そこにはもっと意識されるべき、賞賛されるべき、その価値を認められるべき自尊心の、悲しみや苦しみがあるんだ。もしそういった感情を自分自身から切り離せば、もっと楽しい話になるだろう。同時に悲劇にも喜劇にもなるんだけど、でも、もしこれをもっとシリアスに扱うと、あまりに感傷的になってしまうだろうというのも僕は知っている。だから今回は、アーティストの複雑な心情という実際にある悲劇を、面白い形で撮ることにしたんだ。その方がずっと本当らしく見えるでしょう。 『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』は、すでに様々な映画祭で計119もの賞を獲得している。アカデミー賞にも今年度最多9部門でノミネートされており、オスカーの行方も気になるところだ。日本では4月公開予定。 則定彩香(のりさだちゃん) 参考 http://ift.tt/1AkeXfi IMDB http://ift.tt/R6tlJ3 Official International Trailer http://ift.tt/1u3unDs

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2015年1月16日金曜日

[World News #152] グリーク・ウィアード・ウェーブ:前編 (ギリシャの奇妙なニューウェーブ)  歴史は常に動いています。世界では様々な出来事が起こる。同じように、映画の世界でもたくさんの事件が起こり、多くの映画作家がその才能を発揮した作品を発表しています。しかし、日本に住み主に日本語で情報を遣り取りしている私たちは、ともすればそうした世界の新しい動きから切り離され、置いてきぼりにされてしまっていることも実は多いのです。日本が保守的になっているとするならば、それはまず日本語に訳される情報の量と質に於いて指摘される現象なのではないでしょうか。  たとえば、少し前に私が翻訳したジム・ジャームッシュのインタビュー(#1)の中で、彼は素晴らしいインディペンデントな出来事がギリシャでは起こっていると話していました。これはしかし、テン年代前後に世界的に話題になったグリーク・ウィアード・ウェーブについてあらかじめ知っていないと意味をなさない言葉かも知れません。そこで、今回はこの最新の映画潮流に関して、「Mapping Contemporary Cinema」に掲載された「Short guide to the Greek weird wave」(#2)という文章を訳すことで紹介したいと思います。今回は、その前編になります。 ------------------------------------  アテネ、現在、小さな集団の大人達が肉親に先立たれた遺族にあるサービスを提供している。彼らは故人の役を演じ、そのふるまいを真似たり、人生で起こった出来事を再現してみせる。これが、ヨルゴス・ランティモスによる4作目の長編『アルプス』(Alpeis, 2011)のシンプルだが、奇妙なあらすじだ。この作品は、第68回ヴェネチア国際映画祭で脚本賞を受賞している。この作品は、ギリシャ映画の隆盛のただ中で公開された。『籠の中の乙女』(Kynodontas, 2008)がカンヌ国際映画祭である視点部門グランプリを獲得して以来、国際映画祭に於けるギリシャ映画の存在には揺らぎがない。批評家やシネフィル達は、今やギリシャ映画を現代のアヴァンギャルドとして認識しており、少なくともメディアの中では、グリーク・ウィアード・ウェーブとして語られている。  おそらく、この流派の最も奇妙な点は、国内に先例が存在しないことだろう。実際、1950年代と60年代の黄金時代、そしてテオ・アンゲロプロスやコスタ・ガヴラスといった個人的な成功を除いて、ギリシャ映画が国際的な評価を獲得したことは殆どない。しかし2010年9月には、ヴェネチア国際映画祭に4本ものギリシャ映画が並び、そのちょうど1年後には、30本ものギリシャ映画がリリースされると発表されたのだ。この数字にはインパクトがある。と言うのは、この国が比較的小国であり、そして不景気後の騒乱の最中にあるギリシャで生み出された映画だからだ。2009年には第50回テッサロニキ国際映画祭が開催され、世界中から250本もの映画が集められた。しかし、議論を呼ぶべき事だが、『籠の中の乙女』は含まれなかった。それは、その代わりアテネから300マイルも離れた場所で上映されたのだ。この作品の欠落は、新しい映画法の制定を求めたギリシャ映画労働者と国との間の大きな騒乱の結果である。200人ものフィルムメイカーたちが政府による支援のあり方を巡って、ギリシャ国家映画賞を含むテッサロニキ映画祭をボイコットしたのだ。  世界的な経済危機に先立つギリシャ政府の経済的失敗は、既に様々な形で論じられており、芸術省を含む政府の腐敗や身内びいき、無能といった指摘が為されている。テレビの収入のうち1.5%を映画業界に投資すべきと規定した法律は1989年に成立していたが、その法に準じなかったテレビ局に対する罰則は存在しなかった。なにより、政府の助成金を独占していたギリシャフィルムセンター、そして、金で賞を決めていたギリシャ国家映画賞の問題が大きく、その偏向に対する批判を集めていたのだ。したがって、新しい政権が誕生すると、プロデューサーや映画監督、フィルムメイカー達は「霧の中のフィルムメイカーたち」の旗印の下に団結し、長らく待望されていたギリシャの映画産業の変革を求めて行動した。そしてこの結果、ギリシャ国家映画賞は廃止され、1.5%のテレビ税と高額なタックスリターンによるアート映画に対する奨励金を規定した新たな映画法が制定されたのである。しかし、いずれにせよ経済危機はギリシャの映画業界を停滞させた。多くの映画が製作されているにも関わらず、それらの予算は低く(一作品あたり平均1億円)、約束された助成金を実際に手にするにも苦労が伴う。こうした問題はあるものの、ギリシャ国家映画賞に取って代わって成立した、フィルムメイカーによるフィルムメイカーのための組織を目指したヘレニック・フィルムアカデミーの創設は印象深いものである。  話されている言葉、撮影地、そして監督の国籍を除いて、(グリーク・ウィアード・ウェーブの作品には)ギリシャ特有の要素は殆どない。これは、ギリシャ国家映画賞がその終焉に先立って賞を与えた作品、『ブライズ』(Nyfes, 2004)や『エル・グレコ』(El Greco, 2007)と明確な対照をなしている。これらの作品は、典型的なギリシャ映画としての伝統を引きずった映画であるのだ。あのように劇的な破滅が国を襲った後であるだけに、国家的なアイデンティティが希薄になったとしても不思議ではないかも知れない。しかしそれ以上に、『アテンバーグ』(Attenberg, 2010)では、主人公マリナが父親の差し迫った死を前にアイデンティティの刷新を求められている。ギリシャ国外で生きる者として、この国の社会的な空気への寓意をここから読み取らずにいることは難しい。だが、これもまた常に明白ではない。たとえば『アルプス』のような作品では、喪失や困難な求人市場を扱っているが、その多くの部分は謎めいている。  興味深いことに、デヴィッド・アッテンボローの自然ドキュメンタリーがマリナの人格に大きな影響を及ぼすように、『籠の中の乙女』でも同様の事態が起きる。マーク・フィッシャーの言葉を借りれば、「それは子供の自足した島国根性を破壊する映画」なのだ。これは、VHSやDVD、そしてなによりインターネットの世界的な普及に促された近年の現象である。国家アイデンティティの欠落にとどまらず、私たちは国際的な映画カルチャーの出現を目にしつつあるのだ。実際、ドイツ・ベルリン派への影響について触れたエッセイの中で、映画監督クリストフ・ホーホホイスラーは、それが1960年代や70年代のジャーマン・ニューウェーブの再生であるという意見を否定している。彼が言うには、「ベルリン派の誕生は、DVDの普及などによって時代や国境を越えた国際的な可能性抜きに考えることは出来ない」。こうした新しいドイツ映画は、映画史に対する成熟した知識を持ち合わせたギリシャの新しい映画作家たちの登場と呼応しているのだ。 Written by Oliver Westlake, (2014); Queen Mary, University of London (後編に続きます) 大寺眞輔(映画批評家、早稲田大学講師、その他) Twitter:http://ift.tt/NSy3rx Facebook:http://ift.tt/1knGQPv blog:http://blog.ecri.biz/ 新文芸坐シネマテーク、次回は3月上旬に開催予定! http://ift.tt/1uR44n5 #1 http://ift.tt/1sF22Hn #2 http://ift.tt/1E68x7a

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2015年1月15日木曜日

[World News #152]ウディ・アレン監督初のTVシリーズ決定、Amazon Studiosのコンテンツ制作本格化 米国の大手インターネット通販サイトAmazonの傘下で、ストリーミング配信向けコンテンツを制作するAmazon Studiosがウディ・アレン監督との契約を発表、TVシリーズの製作をウディ・アレンに委託したことが13日明らかになった(*1)。“Untitled Woody Allen Project”と称される30分間のこのコメディシリーズは、全編ウディ・アレンが監督・脚本を務める。ウディ・アレン監督によるTVシリーズは今回が初めて。TVシリーズのキャストなどの詳細は今後発表予定である。 Amazon Studiosは2010年に始動された、コミック、映画、TV番組をオンラインで視聴できるサービスである。作品はAmazon Instant Videoを通じて配信される。 NetfixやHuluの競合との差別化として、Amazon Studiosが2011年から仕掛けているのが脚本や映画を世界中から投稿できるネット上のスタジオ。“新たな才能の発掘”、“コンテンツ育成の場としてのインターネット”を目指し、自主映画、脚本、絵コンテ、企画を誰でも無料で投稿できるというシステムだ。優秀作品には賞金が贈られるだけでなく、コンテストで選ばれた優秀作品はAmazon Studiosのパートナーであるワーナー・ブラザーズが優先的に権利獲得することができ、実際の作品製作・公開に漕ぎつければ報奨金が与えられ、無名の脚本家・制作者にとっても大きな機会となる。2013年には映画制作者を支援する無料オンラインツール“Amazon Storyteller”を発表。脚本をスキャンしてアップロードすることで、シーンやロケ地、登場人物を背景説明から認識し、数千用意してある人物設定や小道具、舞台の中から「キャスティング」してくれる。脚本を映像がイメージしやすい絵コンテに落とし込み、共有して利用者の意見を聞くこともできるサービスだ。 圧倒的な知名度とインターネットというコンテンツ共有の場を利用して自社製作に本格化しはじめたAmazon Studios。昨年はオリジナルドラマ4本の制作も行った。今回のウディ・アレン監督との契約からも、自社コンテンツ制作にさらに力を入れていることは明白だ。 Amazon Studiosのトップ、ロイ・プライス氏は「ウディ・アレンはいつの時代も優れた作品を生み出してきたクリエイター。『アニー・ホール』から『ブルージャスミン』まで、アメリカ映画の最先端であり続けている。彼の初TVシリーズを共に手掛けることができて光栄だ」と述べる。肝心のウディ・アレンは「どうやっていいのか分からないよ。検討もつかないしどこから始めればいいのか分からない。ロイが僕と組んだことを後悔しないかどうかが心配だね」とコメントした。 記事・内山ありさ(早稲田大学) *1 Amazon Signs Woody Allen to Create His First Television Series http://ift.tt/1u1VaEP Woody Allen to Write and Direct His First TV Series at Amazon http://ift.tt/1BsFvzq 参考 http://ift.tt/1BsFvzt http://ift.tt/1ARI8t5



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2015年1月13日火曜日

Filmmakers Respond to the Threat of Censorship

[World News#151]芸術家の自由に関する映画監督たちの発言 1月7日のシャルリー・エブド紙襲撃事件及び2014年12月の『ザ・インタビュー』公開を巡る問題を受けて、何人かの映画監督に対して芸術家の自由に関するインタビューが、Indiewire誌に掲載されました。以下が質問内容になります。「テロリズムや脅迫が芸術家に対して行使される現在の傾向に対し、未来のアメリカそして世界での自由な発言に関して懸念されることはありますか。自分の作品が引き起こすかもしれない暴動を懸念して、自分自身の仕事に対して自己検閲なされることはありますか。」 同記事では、字数などの制約なしに行われたインタビューを全文掲載していますが、ここではその幾つかを訳出することで紹介のみに留めておこうと思います。フィルムメーカーたちの意見全体は、是非原文をご参照下さい。 「私は発言の自由に関して何の心配もありません。勇気あるコメディアンがたわごと、スパムやレイプに関してジョークを続ける限り、我々の知的な文化はそのことによって繁栄し続けるのです。(…)私はアウトサイダーです。ですからやりたいことを何でも出来ます。イラク戦争に私たちが行ったとき、メインストリームの作家たちは(ブッシュ政権の)チェイ二―たちがやったことを不自然にも黙っていました。作品を通して抵抗したのはアウトサイダーだったのです。(…)我々は容易にコントロールされてしまうのです。芸術家の役割はいつでも、この抑圧に対し表現を用いて抵抗することなのです。」(Onur Tukel『Summer of Blood』) 「今回のパリでの恐るべき襲撃事件を受けて、イスラエルでの映画と検閲について語ることは、私にとってとても難しいことだと認めねばなりません。宗教的過激派によるテロ行為、と進行しているイスラエルとパレスチナでの戦争の間で、対立の無い場所は無いと思っています。(…)私たちの検閲は自己検閲になりつつあります、それぞれの映画で相手側の苦悩を見せるとき、あるいは軍や政府を批判しようとするとき、その映画は“反イスラエル”あるいは“脅迫”だ、とさえカテゴライズされます。(…)私は自分の映画において“声”を検閲しないことが義務だと思っています。イスラエルの現実を、進行する占領の事実を見えるようにするために。私は真実を探すことが義務だと感じています。イスラエルの良い面だけを見せなければいけないという世間や大きなメディアの圧力によって、もし私たちが自己検閲をしなければならないとしたら、私たちはもはや映画監督ではなくなるでしょう。アモス・オズが私の作品『Censored Voices』の中で語ったように、「今ここで何が真の痛みであるのか私たちが自分自身に、そしてもしかしたら他人にも語ることができるならば、それは国家モラルへの貢献にはならないかもしれないが、真実へのささやかな貢献になる筈なのです。」」(Mor Loushy『Censored Voices』) 「未来において発言の自由が阻害されることを私は明確に恐れます。言論の自由が贅沢品でしかなかったときのナイジェリア、軍事的な時代に私は生まれました。声を上げることで、罰せられたり政府の標的にされるのではないかと怖れる気持ちを私は知っています。(自己検閲の質問に対して)本当のところはそうです。自分の仕事を自分で検閲しています。私はがんこです、リスクを冒すことは出来るかもしれませんが、そのせいで私の作品に関わった人々を危険にさらしてしまうことを怖れます。」(Jeta Amanta『Black November』『Amazing Grace』) 私の名において発言すること、私はどういう人物でどういう出自であるかを語った上で発言することはひとつの倫理的な態度です。そうした点でここにあげた三人の監督は共通しています。そして同時に、いっそう問題が個別的でかつ複雑であることを示しています。このこともまた重要な点であるように私には思えます。 http://ift.tt/1KEWTVF 三浦 翔 横浜国立大学3年/映画雑誌NOBODY http://ift.tt/1ofDLiA http://ift.tt/1iv7YL4

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2015年1月12日月曜日

Les Inrocks - Bertrand Bonello: "Mon prochain film suivra des jeunes qui posent des bombes à Paris"

[World News #150] ベルトラン・ボネロが見据える現代の若者たち  昨年のカンヌ映画祭のコンペティション部門でイヴ・サンローランの悲劇的な半生を描いた伝記映画、『Saint Laurent』を発表したベルトラン・ボネロ監督。日本では『メゾン ある娼館の記憶』の監督として知られる彼がles inrocksのインタビューで次回作について語っており(*1)、その内容は現代社会が直面する問題を主題としたものだった。 以下インタビューの抜粋: ----------------------------- ベルトラン・ボネロ(以下BB):次の私の映画は『Paris est une fête』(意訳:パリのまつりごと)というタイトルで、現代のパリに爆弾を仕掛ける若者たちの行方を追うものです。時代の風潮を取り扱う作品というよりも、もっとアクション映画のようなものになるでしょう。 つまり若者によって実行されるテロリスムのようなものですね。なぜそういった題材を選ばれたのですか? BB:それは私がこの時代の空気に感じていることなのです。こういった行為に社会的、または政治的な弁明を与えたくはないのですが、それもまた政治的と言えます。その若者たちはただ行為に準じているだけなのです。映画は実際の18歳から21歳の若者たちに焦点を当て、役者経験の無い人たちによって演じられる予定です。登場人物たちは様々な社会的背景を持っています。何故なら、「郊外だから」または「イスラムだから」といった類の烙印を押すことを避けたいがためです。 しかし、彼らは現状の苦境に対して、そのような決断を取っているのでしょうか? BB:私はその行為を裏付ける必要性はないと思っています。何故なら、それはとても明白な緊張状態に対して示されるものだからです。おそらくですが、もし裏付けた場合は、理解の及ぶ範囲をやや狭ませることになるでしょう。しかし、私の関心があるのはもっと全般的で普遍的なものです。それに、映画はまだ出資されていません。すでに書かれてはいますが、資金を調達している段階です。 では、政治的な観点から、あなたにとって昨年はどのような年でしたか? BB:2017年には最悪な事態になると危惧しています。また、これほどまでにグローバル化が進んだ世の中で、どのようにして政府が必要とされるのかが分かりません。政治的な観点からすると、私達が体験した危機から立ち直るには何十年もの時が必要だと感じます。別のものへと移行するためにも、完全に低迷するところまで、もう行き着くところまで辿り着かなければならないでしょう。人々が政治に対して信頼を全く失ったことは間違いありません。それは政治家が(右翼か左翼であっても)、票を得るために、言説を変えることが可能だからです。ニコラ・サルコジは票が得られると分かれば、言説をかなり右寄りに、また真ん中にすることが出来ます。そのようなことに対する報道が、何故未だに多く取り上げられるのかが理解出来ません。もはやなんの意味もないですし、興味深くもなくなってきています。私が思うに、本当の問題は経済的であり、私達が気づかない複雑さにあります。 貴方の次回作はそういったコンテクストと繋がっているように思えます。 BB:少なくとも私にとってそれは確かです。今こそ、やらなければならないのです。『メゾン ある娼館の館』の後にやろうと思っていましたが、『Saint Laurent』を提案された際に、見送られてしまいました。早く取り掛かりたいですね。本当に今、やっておかなければならない。 その主題には何かとてつもない暴力が絡んでいますね。 BB:ええ。逆説的ですが、よく科学とテクノロジーが頂点へと達するときに、最も残酷なことが起こると思います。人間の奇妙なパラドックスです。私達は1930年代のドイツにそれを見たはずです。まるである文明が進歩の頂点へと達し、破滅に打ち沈んでいきました。もしかすると、私達も近いところまで来ているのかもしれません。 『Paris est une fête』の中では、その破滅はテロリスムといった形で現れるのですね。 BB:テロリスム以上のことですよ。問題に対する行為の欲望です。果たして発言は未だに聞き入れられているのでしょうか?政治的な発言は、聞こえなくなりました。人々の発言も、聞こえなくなりました。デモさえも、人目につかずに終わってしまうような体制の中に、完全に取り入れられています。私はこれらの3つの段階を信じています:発言、執筆、そして行動です。 現代の映画で、18~25歳たちの世代の苦悩をそこまでとらえているものは少ないです。 BB:そのことに私も気がついたのは、多くの若者たちに正規外のキャスティングをしているときで、彼らが驚くほど興味を示してくれたのです。そして私が自分の映画のストーリーを話すと、彼らは冷静に「まあ、仕方ないね」と答えるのです。爆弾を仕掛けるという事実は彼らにとって苛立たしいことでもなく、ショックなことでもなんでもないのです。 -----------------------------  このインタビューはシャルリ・エブド襲撃事件が起こる数日前に行われており、まるでボネロ監督がフランス社会に漂う何か不穏な空気を捉えていたとさえ思わせる。あのような事件が起こってしまった今、この企画が果たして日の目を見ることができるのか危ぶまれるが、こうなってしまった今、むしろ完成させてほしいとさえ思う。現代社会が抱えている問題を描写するエッジの効いた映画となるのは間違いないだろう。 楠 大史 参考資料: http://ift.tt/1AGWMmL http://ift.tt/1soKK0V

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2015年1月10日土曜日

[World News #149] 撮影監督が語るウェス・アンダーソンとの仕事  皆さんはロバート・イェーマン(#1)という撮影監督をご存知でしょうか?  1951年、アメリカ・フィラデルフィア生まれのイェーマンは、80年代からカメラマン、撮影監督としてのキャリアを開始、これまでに50本近い作品を手掛けてきています。代表的な作品には『ドラッグストア・カウボーイ』(ガス・ヴァン・サント)、『イカとクジラ』(ノア・バームバック)、『ローラーガールズ・ダイアリー』(ドリュー・バリモア)、『ブライズメイズ』(ポール・フェイグ)などがありますが、多くの人は彼の名前をウェス・アンダーソンの作品によって記憶しているのではないでしょうか。イェーマンは『ファンタスティック Mr. FOX』を除く全てのウェス・アンダーソンの作品で撮影監督を務めてきた人物です。  今回はIndiewireに掲載されたイェーマンの最新インタヴュー(#2)から一部を抜粋してご紹介したいと思います。 ・ウェス・アンダーソンと撮影前に行うリサーチ、準備 「ウェスの作品は入念な調査と計画のもと作られていきます。(『グランド・ブタペスト・ホテル』では)私が渡欧するまでにウェスが膨大な調査を行い、中欧を旅行してホテルを探していました。その後私の起用が決まると私は彼の住むパリへ飛び、まずは数日間ぶらぶらして過ごし、彼から古いホテルのヴィジュアル的な資料や1930年代の写真をたくさん見せてもらったんです。それから彼と一緒に列車でプラハへ向い、また数日間をそこで過ごして中欧の文化や美学にどっぷり浸かりました。興味深いのは、プラハは美しい都市ですが、共産主義政権の時代にたくさんの美しい建物が塗り替えられたり漆喰でふさがれたんですね。彼らは全てをゼロに戻したかったんでしょうか。だからプラハには一度古い技巧がはがされる過程を経て、かつての壮観を取り戻すために再度修復された建物が並んでいます」 「私たちは撮影を予定している全てのロケ地へ行って、どのように撮影していくか、さまざまなアイデアを突き合わせて、本当に何度も話し合います。ウェスはエルンスト・ルビッチのコメディを始めとするたくさんの作品が収められたビデオライブラリーを持っていて、そのライブラリーは全てのキャストやスタッフに開かれています。視覚的な資料となる本もたくさんあって、そうした本やDVDを見ることでウェスが視覚的に求めるものを全員で共有することができるんです。ロケ地を選ぶとすぐにウェスはアニマティックと呼ばれるもの――手描きのフィギュアを使ったちょっとしたアニメーションを作ります。彼は全てのキャラクターの声も演じ分けているんですよ。それも誰もが見ることができるので、全員がその映画をどう作っていけばいいのか良いアイデアを得ることかできるんです」 ・『グランド・ブタペスト・ホテル』のアスペクト比について 「アスペクト比を変えるのはウェスのアイデアで、私たちはその変化によって各時代を表現したかったんです。1930年代の部分は、当時撮られた映画の基本的なサイズであるアカデミー1.37(スタンダード)で撮影しました。60年代のパートは比率2.40(シネマスコープ)のアナモフィック・レンズを使って撮りました。それは60年代の多くの映画がスコープで撮られたことに起因しています。私が思うに、テレビの台頭に反応したスタジオがワイドスクリーンでたくさんの作品を作ることで、人々に映画を観に行くことが支出に見合うだけの価値を持つように思わせようとしたのではないでしょうか。それから70年代、80年代は今日の映画の標準的なフォーマットとも言える1.85(アメリカン・ヴィスタ)ですね。ウェスはその時代のフォーマットで撮影することで、それぞれのフォーマットの中にあるショットを差異化して見せることができると考えていました。私もそうすることで視覚的にそれぞれの時代を捉えやすくなり、より時代の空気を感じやすくなると思います」 ・『グランド・ブタペスト・ホテル』の撮影について 「ホテルのロビーとして使用したのはドイツのゲルリッツにあるデパートのような建物でした。その建物は今空ビルになっていて、美しい天窓がありました。ウェスはもし実際に営業中のホテルを使えば、自分たちが望むやり方で撮影することが難しくなることがわかっていました。それでそのかつてデパートだった建物を見つけて来たのです。そうしてそのデパートのロビーがグランド・ブタペスト・ホテルのロビーとなり、60年代のパートではプロダクションデザイナーのアダム・ストックハウゼンが巨大な吊天井を造り、蛍光天井灯をつけました。当時の共産主義政権下では、美しい照明は取り外され、蛍光灯が取り付けられるということが度々あったんです。一方で30年代のシーンを撮影する時は、もっとロマンチックな時代ですから、偽の天井を剥がし、天窓から光を入れて柔らかな雰囲気を出すようにしました。さらに背景でもたくさんの照明を使って温かく見せたので、その場所が持つ空気、そこへ行きたくなるような幸せな雰囲気が良く出せたと思います」 「撮影中に一番問題となったのは、日照時間でした。1月にドイツ東部で撮影を行ったのですが、空が暗くて気温も低い。窓から光が差すのは朝の8時半から午後3時30分~4時の間だけだったので1日の撮影時間が限られてしまいました。撮影する量を減らせばいいのですが、ウェスはたくさんのカットを撮りためることを好みます。それで日のある間に必要なショットを撮り切るために日中はてんやわんやでしたよ。屋内のロケ地の多く、たとえば監獄、ホテルのロビーになったデパート、F・マーレイ・アブラハムとジュード・ロウが知り合うスパなどは上に大きな天窓があったのですが、午後になると十分な光量が得られなくなります。なので、私たちは天窓を改造しなければなりませんでした。3箇所のロケ地でその作業を行うのは至難の業でした」 ・ウェス・アンダーソンとのこれまでの仕事を振り返って 「初めのうち、特に『アンソニーのハッピー・モーテル』の時は彼にとって初めての長編監督作だったので、ある側面ではかなり私を頼りにしていたところがありました。私は彼と出会う前に多くの経験があったので、指導者的な役割を多少担っていたと思います。でもウェスは飲み込みが早く、ものすごく知的な監督なので、『天才マックスの世界』や『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』を作る時には我々が何を必要としているか、すぐに気づくようになっていました。私に頼る分野も減り、協力者的な立場で一緒に仕事をすることができるようになり、私自身も彼が物事をどのように撮りたがっているのかを予測できるようになっていきました。今では一緒にロケーションに向かい、ロケ地を歩いて回りますが、時々ウェスがどのように撮ればいいか決めかねる場合もあります。そういう時は私がいくつかのアイデアを投げかけて、彼がそれを受け入れたり、あるいは“いや、僕はそういうことをやりたいわけじゃない”と言ったりするわけです。最近では、彼は照明の分野にもより関わってくるようになりました。私が照明に関する計画を話すと、彼が“何故これを試してみようと思わないんだ?”という感じでアイデアを出してくることもあります。ふたりの間にはそうした持ちつ持たれつの関係がありますね。そして彼の全作品において私が常に担っているのがカメラの操作ですが、移動撮影をうまくやるために非常に特殊な方法をとっているんです。そうした仕事も協力して非常にうまくやれています」 黒岩幹子 #1 http://ift.tt/14dHryj #2 http://ift.tt/1BBhkfW

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