2014年8月30日土曜日

Les Inrocks - French Touch et ivresse de la nuit: sur le tournage d'"Eden" de Mia Hansen-Løve

[World News #086] ミア・ハンセン=ラヴの新作“Eden” 時代を生き永らえた眼差し  「9月の初め、猛暑の終わりに、ハドソン川沿いのレッド・フックの工場地域から数歩にある、ブルックリンの人気のない狭い通りに私たちは集まった。そこにはオフィスへと改築された古い消防署やシャッターが閉じられた店舗、そして音楽の振動が漏れ出る建物がある。SRB Brooklyn、どの町にも何百とある隠れクラブの一つだ。13時になると、Charles Dockinsの“Happy Song”が響きわたるなか、若者の群れがフロアにやってきた。歌手の歌声がようやくベースラインと重なり合うとき、暗闇の中では動きで活気づいている:若者たちはブレイクダンスを踊り、他の者たちはタバコを吸ったり、酒を飲むかナンパをしている。 そんな人込みの中で、ダンサーたちの間をすり抜けていくシルエットが見受けられる。背中を丸め、モニターに釘付けの目:ミア・ハンセン=ラヴだ。フランス映画監督である彼女はニューヨークに新作のシーンを撮影するためにやってきている。“Eden”は1990年から2000年におけるフレンチ・ハウスのムーヴメントに刻まれた音楽と青春、そしてラヴストーリーを描く作品だ。」*(1)  アルノー・デプレシャンの“Jimmy P.”、オリヴィエ・アサイヤスの“Idol’s Eye”、そしてミア・ハンセン=ラヴの“Eden”といい、最近フランス映画監督たちがアメリカで映画を撮る機会が少しずつ増えつつあるようだ。  「フレンチ・ハウス」と呼ばれた90年代に席巻した、フレンチ・エレクトロ・シーンが舞台となる“Eden”では、ポールというDJの栄光と墜落を描いている作品らしい。このポールの役はミア・ハンセン=ラヴの七歳かけ離れた実の兄である、スヴェン・ハンセン=ラヴ(Sven Hansen-Løve)がモデルとなっているらしく、彼は実際にフランスでフレンチ・ハウスのムーヴメントを作り上げていったDJの一人であり、ムーヴメントの中心に属していた人物のようだ。そんな彼もフレンチ・ハウスの主役たちと共に栄光、そして墜落を知ることになった。  「3年前に、ミアがあの時代を語ろうとしている意図があることを話してくれた。僕は音楽から身を引こうとしていて、自分のレーベルも破産しかけていたし、自分に自信がなくなっていたんだ。映画を彼女と執筆することは、やっと自分に踏ん切りをつける方法でもあったし、自分が最も望んでいた文学に身を費やすことができたよ。」と語るスヴェン。*(1)それに対しミアは:  「私は一種のエモーションと別れようとしていて、それは私の前作でも核心となっている死別に対する悲しみでした。“Eden”でも喪失に対する考えが再び現れますが、物語は新たな活力と喜びによって支えられています。よく通っていたスヴェンのパーティーに結び付けられる、私の青春時代の別の様相を、もっと輝かしいものとして取り組まなければならないと感じました。それと、あの世代の人たちには何か惹きつけられるものがあって、無邪気さ、パーティーを存分に楽しもうとする生き方、何も見越さない姿勢。今日においては失われた純真さのように感じます。たとえ来るべき憂鬱がすでに告げられていたとしても、それは一つのユートピアでした。何故なら、こういった人生の関わり合いは長く続くはずはなかったからです。」*(1)  そして2011年から二人はフィクションに自分たちの思い出を織り交ぜながら、シナリオを執筆し始める。当時を美談やノスタルジーとして語るのではなく、当時渦巻いていたエモーションが彼らの実体験と共に語られる本作では、音楽も見どころの一つだ。ミア・ハンセン=ラヴはいわゆる映画音楽の作曲家の起用には“断固反対”派であり、既存の音楽を使う主義*(2)である彼女が本作で、どのような曲で当時鳴り響いていたサウンドを表現するのか非常に興味深いところである。  「無頓着にあの日々を過ごしていた頃を思い返せば、不安もなく、拘束もなく、ただ時間だけがとてつもないスピードで過ぎ去っていったよ。そして今になって、なんでもっと疑問を持たなかったのかと自分でも思うよ。」*(1) と心境を打ち明けるスヴェンも幾度の挫折を経験し、コカイン中毒で死んでいった仲間を見つつ、彼は何とか現代まで生き永らえた。そんな兄の背中を見てきた実の妹が数年後、彼と彼らにオマージュを捧げたいとやってきたのだ。ミアはスヴェンの背中に何を見たのか。その投げかけられた眼差しはイメージとなり、サウンドとなり、エモーションとなって、私たちにどう響くのだろう。    かつてこの時期におけるフランス音楽史を語られたことがないという、ミア・ハンセン=ラヴの新境地でもあり、野心作の“Eden”はトロント国際映画祭にて9月に上映され、フランスでの公開は11月とのこと。日本での公開も待たれるばかりである・・・ 楠 大史 http://ift.tt/VS1cHN *(1) http://ift.tt/1tWzZjs Charles Dockinsの“Happy Song” http://ift.tt/VS1cHF

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2014年8月29日金曜日

[World News #085]中国政府による北京独立映画祭の突然の中止 今月23日から中国・北京で開催予定であった中国独立映画祭(北京独立電影展)が、中国当局の圧力で強制的に中止となったとのニュースがBBC、AP通信により報じられた(*1)。 中止となったのは今年で開催11回目を迎える予定だった中国独立映画祭。政府が認可した映画以外の上映が禁じられている中国では、自主制作されたインディペンデント映画に対して厳しい規制がかかっているが、それでも国内ではインディペンデント映画を上映する映画祭が時々催される。多くの場合は政府の圧力により開催を断念せざるをえなくなるのが現状であり、この度も悔しくも強制的に開催中止となった。日本からは相田和弘監督のドキュメンタリー映画『選挙』『選挙2』が上映される予定だった。 当日、会場は警察車両に囲まれ、映画監督や観客が会場へ入らないよう封じられたとのこと。また関連文書や映画フィルム、そして映画祭を創設した映画評論家・栗宪庭(リー・シエンティン)氏が持つ映画制作事務所「栗憲庭電影基金」も捜索され、過去10年分の映画資料を押収していったそうだ。栗氏は映画祭開催の前の週、政府から中止するよう圧力を受け、警察の監視を受けているとインターネットに記していたともいう(*2)。一時身柄を拘束され、のちに解放された本映画祭のアートディレクター、ワン・ホーウェイ氏は「ここ数年中国当局から中止を迫られるなか、会場の変更や上映を遅らせることでなんとか北京独立映画祭を実現してきた」、「しかし、今年は開催できなかった。完全に禁じられてしまったのだ」と苦渋の思いを述べた。 実は、本映画祭の中国政府による強制的中止は今回に限ったことではない。2012年度の開催では、上映開始後間もなく電力が止められるという事態が発生し、映画祭のコーディネーターたちが必死で上映を続けるも3時間に満たないうちに終了した。昨年度の開催では公の場での上映すら禁じられ、内部上映という形で映画祭は実行された。 北京独立映画祭はワン・ビン、リー・ホンチー、グータオなどの優れた中国監督を発掘、支援してきたという実績もあり、近年影響力のあるインディペンデント映画祭に成長したことから、中国当局の監視下に置かれているようである。習近平政権はメディアを中心に情報統制を強めており、昨年8月には中国全土の宣伝担当者の会議で「イデオロギー工作は党の極めて重要な任務だ」と述べたばかりだ。 2012年度の映画祭に参加した中国の映像作家・呉亦(ウー・イー)氏は、「北京独立映画祭は中国のインディペンデント映画(自主映画)祭で、映画界にとってインディペンデント映画は伝統の1つである。ハリウッド映画もインディペンデント映画から多くを吸収し、そこから新たなものを創造している。しかし中国ではインディペンデントは害虫扱いされている」と、映画を規制する自国の体制に対立する意見を発表した(*3)。 *写真は本事件を揶揄するために描かれた風刺画である。 (記事・内山ありさ) *1 http://ift.tt/1pVLjvN *2 http://ift.tt/1l4w0R3 *3 http://ift.tt/1qEYj8Z *参考 http://ift.tt/1sJ6nUY http://ift.tt/1tBojm9



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2014年8月27日水曜日

[World News #084]スコセッシ監督の『シャッター・アイランド』がTVシリーズになります。 いまアメリカでは、芸術家が作った映画作品と同様に、彼らの作るテレビ番組が敬意を持って扱われており、テレビの大スタジオではそうした作品の価値を熱心に保とうとしています。例えばコーエン兄弟の『ファーゴ』がリメイクではなく、その財産を生かしテレビでリブートされました。そして、新たな評価を持つ観客を見つけて大衆を手にしました。競争は始まっています。中でも、パラマウント社は力を入れて動いています。 既に幾つかの作品が映画からテレビへと進出していますが、次はスコセッシ監督の『シャッター・アイランド』がHBOでの放送に向けて動き出しています。この企画はどうやらパラマウント社のアミー・パウエルによるもので、すでに多くの人に声がかかっており、映画『シャッター・アイランド』のプロデューサーたちや、原作者のデニス・レハーンにまでそれは及び、監督は同様にマーティン・スコセッシが担当します。こうした関係は、『ボードウォーク・エンパイア 欲望の街』や、まだタイトルの決まってない次の作品である70年代のロックンロールを扱ったドラマを含んだ、彼のこれまでのネットワークから続くものです。 『シャッター・アイランド』の精神病院名から『アシェクライフ』(仮)と名付けられたこのパイロット版は、映画の設定より前の部分に焦点が当たります。精神病棟の過去、設立者が犯した秘密の悪行や精神病に対するメソッドを如何に開発していったというようなことが描かれます。 いわゆる過去の“成功者”たちを集めて、成功した作品の設定を利用することは、過去の遺産を発掘するようなことでもあり、膨大な蓄積を組み直すことで新たなストーリーを生みだす試みとも言えます。ただしこうした状況を含め、作品の価値を決めるのは常に我々観客です。如何に、前の作品が面白くてもそれと、次に出来あがるものは別のものです。またこのような動きは、新たな才能を見出すリスクを排するがゆえの結果だ、ということも心に置いておかねばなりません。 三浦 翔 http://ift.tt/1ofDLiA http://ift.tt/1AQ9BLn http://ift.tt/1BVCKpI

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2014年8月26日火曜日



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[World News #083] 俳優マチュー・アマルリックを「発明」したアルノー・デプレシャン監督の演出術 人間味溢れるロクデナシから冷徹な悪役まで、多彩な役柄を演じ分ける俳優マチュー・アマルリック。クローネンバーグ『コズモポリス』、ポランスキー『毛皮のヴィーナス』、そして盟友デプレシャンの『Jimmy・P』と次々と才能ある監督の作品に出演する、味のあるフランス人俳優として知られています。 神出鬼没の感がある彼は、どのように俳優としてのキャリアを築いたのでしょうか? 今回は本人をして「俳優マチュー・アマルリックを発明した」と言わしめる映画監督アルノー・デプレシャンの新作、精神的苦痛を抱えるインディアンとフランス人精神分析医の友情を描いた『Jimmy・P』(13年リリース 日本公開未定)についてのインタビューから探ってみたいと思います。*1 彼がデビューしたのは17歳の時。両親の友人であったオタール・イオセリアーニの『Les favoris de la lune』(84)に出演したのをきっかけに、自身でも短編を撮り始め、 初監督・出演した短編監督作品『笑うことができない』(90)で、アルノー・デプレシャンに見出されました。*2 「アルノー(デプレシャン)は驚くべき監督で、特に俳優にとってはそうなんです。彼のせいで私は良い俳優であるという間違った評価を得て、いまだにその評価に依って暮らしているというわけです。ただし、芸術を模造する人間がそうであるように、贋作として認められるには非常に研ぎ澄まされていなければなりません。そういったわけで、私はより良くあろうとしています。」 『そして僕は恋をする』(97)では主人公を演じ、セザール賞有望若手男優賞を受賞。彼の本格的な俳優としてのキャリアが始まりました。アマルリックが演じたのは高等師範学校で哲学を修めていながら博士論文が書けず、恋に翻弄される29歳の男。皮肉屋で、だらしないところもあって、でも圧倒的に優しく魅力的なキャラクターです。アマルリックはその後もデプレシャン映画『キングス&クイーン』(04)『クリスマスストーリー』(08)でも共通点のある役柄を好演。デプレシャン監督は繊細かつ破天荒という、相反する要素が共存するアマルリックのイメージを作りあげました。一体監督はどのようにしてアマルリックからこの個性的なキャラクターを引き出したのでしょうか。 「(デプレシャン映画では)役者は非常に多くのことを同時にしなければならず、それを実現することで精一杯で、演技をしていることさえ忘れてしまう。そうやって演技を意識しないことで、自分の役柄に属するなんらかの真実を体現できるのです。アルノーは『そのラインに立ってペンを取り、煙草を取って、あの場所に行ってください』といった、具体的で細かい指示を出します。またアルノーは多くのテイクを重ねます。20テイクも撮影すると、役者は監督の指示を肉体的には忠実に再現できなくなりますが、まさにその瞬間にカメラになにかをつかみ取らせることができるのです。それがアルノーのやり方です。面白いと思うのが、その関係は映画『Jimmy.P』の2人の男の関係に似ているのです『私はジミーがインディアンだから助けるのではなく、私のできる限りのことをする』。それはアルノーの役者に対する態度でもあります。いわば共謀関係です」 『Jimmy.P』は第二次世界大戦時にフランスの戦地に出向き、トラウマや頭痛、聴覚障害など原因不明の病に侵されカンザスの軍事病院に送り込まれたインディアンの男(ベニチオ・デル・トロ)が精神的苦境を脱するのを手助けする、フランス人人類学者兼精神分析医(マチュー・アマルリック)の取り組みを描いたストーリー。つまりデプレシャンという監督は、俳優に寄り添い、あらゆる方法で俳優自身に内在するキャラクターを引き出そうとする、分析医のような存在なのかもしれません。*3 『Jimmy.P』において注目すべきは、アマルリックが従来のデプレシャン映画で演じたのとは全く違う役柄に挑んでいる点。アマルリックの言葉から推測するに、監督デプレシャンのアバターともいえる役になっているようです。デプレシャン映画で発掘された彼が、他の数々の監督作品に出演した後に古巣に帰り、どのような演技を見せるのか? デプレシャン映画におけるアマルリックの役柄がどのような変遷を辿っているのか? とても気になるところです。 蜂谷智子 編集者・ライター Facebook( http://ift.tt/1nGCiFL ) *1 http://ift.tt/1t8p5sV *2 http://ift.tt/1t8p5sX *3 http://ift.tt/1qdUBSE

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[World News #082] ★革命前のイランが見えてくるー映画と女性1★ イランは、1979年の革命によりパフラヴィー政権が崩壊しイランイスラム共和国が誕生しました。パフラヴィー政権は西洋化を国民に強制し伝統や宗教を排除する政策をとっていたのに対して1979年以降のイスラム共和国はイスラム教を絶対の価値観と定め革命前とは全く異なる政策をとりました。ですから、1979年のイラン革命は政権交代を伴う革命以上にイデオロギーの革命であったのです。この価値観の変化は革命前後のイラン映画を並べる事で鮮明に見えてきます。 という事で今回はその第一弾としまして、1950年代後半から1960年代前半のイラン映画における”女性”を見ていきます。 冒頭で1979年の革命で政権のイデオロギーそして政策が変化したと述べましたが、国民はどうだったのでしょうか?イランもしくはペルシャの歴史を辿るとイスラム化は1979年の革命に始まった事ではなく、7世紀ごろから周辺国の影響でイスラム教の特色を強めイスラム以前のペルシャ文明とイスラム教を合わせた新たなイランの文化や伝統を構築していきました。この経緯の詳細はここでは省きますが、パフラヴィー政権下のイラン国民は長い年月をかけて築き上げたイラン独自のイスラム文化・伝統のもと暮らしていました。一方でパフラヴィー政権は西洋化こそ近代化であると主張し強引にまた時には力づくで伝統を捨て西洋の模倣を国民に強制しました。この政権の圧力そこが国民を革命へと団結させた要因の一つと言えるでしょう。 さてイランの革命に関する簡単な歴史はこれまでとして、革命前のイラン映画に移りたいと思います。パフラヴィー政権は新たな価値観を国民に教え込むために映画をしばしば利用しましたが、その転換期と言えるのが1953年でしょう。パフラヴィー政権はイランの石油をAnglo-Persian Oil Companyというイギリスの会社に委ねていましたが、この状態に異議を申し立て国民の強い支持のもと石油を国有化した当時の首相モハンマド・モサッデグがイギリス・アメリカ政府そして国王により逮捕、失脚されたのが1953年でした。このころからパフラヴィー政権による西洋化政策は勢いをまし、またそれに対抗するように国民は1979年の革命に向け政権に対する怒りを募らせて行きます。この時期パフラヴィー政権は国民を西洋化へと誘うためにイランではこれまでタブーとされていたポルノや女性の露出が高い映画を制作しました。 パフラヴィー政権はまず国民を慣れさせるためにブリジッド・バルドー、ラクエル・ウェルチ、ソフィア・ローレン、アニー・ジラルド、ロミー・シュナイダーなどが出演する外国映画を上映、そして後にイラン人女性の露出や性的描写が取り入れられたイラン映画制作に取り組みました。しかし当然の事ながら、西洋と比較して性に対して保守的な伝統のなかでこういった映画に出演する女優はなかなか見つからずキャバレーの歌手などを女優として採用しました。中でも最も人気がでたのがJamshidというキャバレーで歌っていたMahvashという歌手が出演する映画でした。Jamshidは1953年の首相失脚前は本格的な演劇が公演される劇場でしたが、1953年以降キャバレーに一転しMahvashを始めとする女性歌手が舞台に上がるようになりました。彼女らが歌う歌詞には性的描写が目立ちました。 Mahvashは歌手役そして時には娼婦役で映画に出演し労働者階級の男性に支持されませた。その人気は彼女がキャバレーの舞台に立つと彼女を取り合う男性の間で喧嘩が勃発するほどでした。一方で過激な性的描写はある一定の階級以上の人からは非難されパフラヴィー政権が思う様にはこの西洋化は浸透しませんでした。 次回は1960年代後期から1970年代初頭にかけてより一般的に国民に受け入れられたイラン人女性アイドルと映画をご紹介します。 ※動画は1960年代初頭の映画からMahvashが歌うシーンの抜粋 http://ift.tt/1BVbdF9 by Sevin アートな中東 http://ift.tt/1spDrB5

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2014年8月21日木曜日



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[World News #080] インディペンデント映画宣言!(アメリカ映画作家編) 世代の異なる3人のアメリカ人映画作家によるインディペンデント映画への考えが述べられた2つの記事が掲載されました。 一つは、インディペンデント映画のレジェンドと呼ぶべきジム・ジャームッシュのインタビュー(#1)、そしてもう一つは、先日開催されたロカルノ国際映画祭で大きな話題を読んだアレックス・ロス・ペリー(#2)とジョエル・ポトリカス(#3)による対談記事です(#4)。 両記事から幾つかの部分をザックリ取り上げ以下に訳すことで、彼らの目から見たインディペンデント映画について考えたいと思います。 まず、現在の彼を取り巻く状況について尋ねられたジャームッシュは、次のように答えています。 「僕はこの形式が好きなんだ。映画はとても美しい形式だと思う。でも、状況はどんどん難しくなる。5年前と比べても、今では映画の資金を獲得するのはとても難しい仕事になってしまった。どう言えば良いか分からないよ。ただ前に進むだけだ。」 「でも、面白いものは常にメインストリームの外側にあると思う。マイナーなものこそが僕を感動させる。歴史を振り返ると、文化にはいつだってメインストリームとマイナーが存在した。そして、最も革新的なものはマイナー文化にこそ存在するんだ。僕自身も間違いなくマイナーな場所にいるよ。でも、僕が尊敬するのは、僕よりさらにマイナーな場所にいて、あらゆるルールを破壊する勇気を持った人たちだ。」 「インディペンデント映画とは何か?それはその言葉を君がどう定義するかによるね。今では、ある種のマーケティングツールにもなってしまったからだ。とりわけアメリカではね。物事は変わってしまった。世界的な経済危機、新しい映画のディストリビューション方法、これらが映画のファイナンスを変えてしまったんだ。未来がどうなるかなんて分からない。でも、低予算で作られたギリシャ映画のニュー・ウェーブにはまさに未来と呼ぶべきものが備わってる。 例えば、ロックンロールについて考えてみよう。僕が若かった頃には、みんなもうスタジアムを埋め尽くすメインストリームの商業ロックに飽き飽きだったんだ。そこへザ・ストゥージズが、セックス・ピストルズが、そしてラモーンズが現れた。そのアイディアとは、一番大事な要素まで切り詰めるってことだ。プロじゃないからって怖れる必要はない。映画の未来もまた、きっとこういう場所にある。全部切り詰めるんだ。」 「ギリシャでも、ルーマニアでも、そしてイランではもう何年も前から、こういう映画が生まれてきている。みんなこう思うんだ。「どうやってこの人たちにはこんな映画が作れるんだろう、この世界的な経済危機の最中に?」って。でも、それは実際に起こっていることだ。僕はそこに大きな期待を寄せている。こうした美しい形式は簡単に壊されることがない。しかし同時に、たくさんのお金を出したからって、その手助けをすることもできないんだ。」 インディペンデント映画のスピリット、その商業的支配からの独立について語るジャームッシュは、しかし同時に、作品を作る発想の全てが彼独自の、つまりインディペンデントなものであることを否定しています。 「僕はきっとあちこちから<盗んで>きてるよ。意識してる訳じゃないけどね。『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』には、他の映画への明確なリフェランスは存在しない。でも、インスピレーションの源はたくさんある。 <盗む>というのが適切な言葉か分からないけど、言いたいことはつまり、オリジナルなアイディアなんて存在しないってことだ。こう考えるのは美しいことだと思うんだけど、アイディアというのは波のようなものなんだ。一つの波は過去の波とつながってる。興味を持ったもの、影響を受けたものの全てを受け入れて、それら全てと調和しながら自分の作品を作るんだ。それこそ、あらゆるアーティストが常にやってきたことだよ。この考えを否定する人たちってのは、嘘をついてるか、自分がオリジナルな存在だと見られなくなることを怖れてるんだろうね。」 ジャームッシュの『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』は、デトロイトで撮影されました。その理由を当地の映画製作に対する税制優遇措置にあるのではないかと推測するジョエル・ポトリカス(彼は生まれ故郷のデトロイトでこれまで同じ仲間たちとずっと映画製作を続けてきた)は、次のように述べています。 ポトリカス「ジャームッシュは、街の歴史やデトロイトの音楽文化についてすごく興味を引かれたんだと思う。でも、結局のところ、一番重要だったのは経済的理由だと思うよ。オレらが撮る映画は彼のよりずっと低予算だから、その税制措置の恩恵を被ることはできない。オレがここで映画を作り続けるのは、同じ仲間と仕事するのが好きだからだ。」 SXSWで大きな注目を集め、ハリウッド映画プロデューサーからの招待状も舞い込むようになったジョエル・ポトリカス、そして、今年のロカルノ国際映画祭で審査員特別賞を受賞したアレックス・ロス・ペリーは、現在、アメリカのインディペンデント映画新世代を代表する映画作家として世界的に大きな注目を集めつつあります。 彼らはこれまできわめて低予算(マイナー)な映画作りを続けてきましたが、さらに大きな規模(メインストリーム)の映画へと飛躍を遂げつつあるように見えます。 しかし、アレックス・ロス・ペリーは、次のように言います。 ペリー「国際的な映画祭に出られるようになって、いろんな映画作家と会って話すことができた。でも、その全員が同じ問題について話すんだ。資金が足りないって。カンヌで新作がプレミア上映されるような映画作家だって同じ。伝説的な映画監督、僕のヒーローたち、みんなが同じ資金繰りの困難について語るんだ。アメリカの映画監督ってのは、ヨーロッパの映画作家が十分な資金を得ているってロマンを抱きがちなんだけど、彼らだって同じなんだ。「僕は望まれてない」って悩みを持ってる。」 「でも、僕の前作『カラー・ホイール』がサンダンスでお披露目され世界的に賞賛された4ヶ月後に考えたんだけど、僕は絶対に「自分の名刺代わりになるような映画」(ハリウッドのプロデューサーから声をかけられるような映画)は作らないって決めたんだ。『リッスン・アップ・フィリップ』には、明らかにその真逆の要素がある。熟練したプロデューサーであれば、こいつとはうまく付き合えないなって思わせるような要素がね。でも、そうした要素は同時に、国際的な映画祭や価値ある映画メディアで大きく取り上げてもらうには、重要な役割を果たすんだ。君も同じだと思うけど、僕らは僕らのヒーローたちがやってきたことと同じ事をやる。つまり、僕らの大好きな映画祭に何度も何度も戻ってくるってことをね。だって、僕らはそこで支援され、育てられてきたんだから。」 エリザベス・モスやジョナサン・プライス、ジェイソン・シュワルツマンといった名の知られた俳優たちを使って『リッスン・アップ・フィリップ』を作ることができたペリーに対して、これまで幼なじみの仲間たちと映画作りを続けてきたポトリカスは、その一歩後を追いかけているようにも見えます。 ポトリカス「オレのやってるローファイな映画作りは、主に資金的制約に由来するものだ。でも、ミシガンには映画が万引きしてやるべき風景がいっぱいあるんだ。ここは誰のレーダーにも引っかからないからね。オレたちのクルーは6人、照明もないし移動撮影なんてできない。だからこそ、セブンイレブンの店内で誰にも気づかれず撮影することができるんだ。ファストフードやコンビニはお気に入りの場所だよ。ハイアートとローアートの混合がいいんだ。ドリトスにはペーソスがあるってことを見せたい。『バザード』のジャンクフード文化をリンカーン・センターやMoMAで上映できたのは、ものすごく名誉なことだったよ。」 「ラモーンズは同じ曲を何度も何度も作った。どんなに人気が出ても。同じ道を歩みたいと思ってるよ。大金が欲しくないって訳じゃないんだ。いつだっていただくよ。オレが作るのも「名刺代わりになる映画」じゃないって指摘されたんだけど、ハリウッドのコマになるため映画を作ってる訳じゃないからね。理想を言えば、その逆をやりたいと思ってる。あいつらに別の方法があるって事を見せるんだ。まあ、現実的に言えば、海外資本の獲得を目指すことになるだろうね。ヨーロッパは、アメリカではあり得ない形でオレの映画を受け入れてくれる。彼らは「映画のレンズ」を通じて物事を見てくれるんだ。」 「オレは自分の見たい映画を作って行きたい。冒険を引き受けて軌道を外れたような映画が好きなんだ。ハリウッドはもう長い間レールから外れてないからね。ヨーロッパでは、不快なものや怒りが込められたもの、好ましくないものでさえ受け入れてくれる。『リッスン・アップ・フィリップ』も『バザード』も、ともにアメリカとヨーロッパの両方で評価されたけど、ヨーロッパではずっと長くそれが続くと思うんだ。新作ばかりが持て囃されるVODの精神は、ここには存在しないからね。良い映画ってものは、6ヶ月でその賞味期限が切れるものじゃない筈なんだ。」 「オレはすっごく安上がりに生きてるよ。それがオレのやり方なんだ。安く生きて、安く映画を作る。ただし、そこにありったけの魂を込める。オレにとって、映画には魂がなけりゃダメなんだ。『アメリカン・ヒストリーX』(トニー・ケイ, 1998)には魂がなかった。しかし、『メイド・イン・ブリテン』(アラン・クラーク, 1982)にはあった。誰のせいかは知らない。作り手かシステムのせいか。いずれにせよ、映画から魂を奪い、どこにでもいるキャラクターやお馴染みの構造に置き換えようとする奴らがいるんだ。最終的に、オレがやりたいのは仲間たちと森で奇妙な小屋を建てるようなことだ。大勢の知らない連中がウロウロする悪趣味な高層建築を作ることじゃなくてね。」 大寺眞輔 http://blog.ecri.biz/ http://ift.tt/1knGQPv http://ift.tt/NSy3rx #1 http://ift.tt/1pTCMJw #2 Alex Ross Perry アメリカの新世代インディペンデント映画作家を代表する作家の一人として、国際的に評価が高い。マンブルコアなスクリューボールコメディやピンチョン風の奇怪なSFコメディなど作風も幅広い。 三本の長編(『インポレックス』『カラー・ホイール』『リッスン・アップ・フィリップ』)をこれまでに撮っており、最新作でロカルノ国際映画祭審査員特別賞を受賞した。 http://ift.tt/XZzgmG アレックス・ロス・ペリーについて書いた拙稿。 http://ift.tt/1s41u8o #3 Joel Potrykus スタンダップ・コメディアンなど幾つかの職を経た後、ミシガンで幼なじみの仲間たちと超低予算の映画作りを続けてきた。映画評論も行う。ジョシュア・バージを主演に撮った短編『コヨーテ』、処女長編『エイプ』、そして最新作『バザード』はいずれも動物の名前にタイトルを取り、ロカルノやSXSWといった映画祭で大きな注目を浴びた。『エイプ』は、2012年のロカルノ国際映画祭でBest New Director賞を受賞している。 http://ift.tt/1pCDk6u ジョエル・ポトリカスについて書いた拙稿。 http://ift.tt/1s41wgF http://ift.tt/1pTCKRZ http://ift.tt/1s41u8s #4 http://ift.tt/1pTCMZX

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2014年8月19日火曜日

[World News #079] アブデラティフ・ケシシュ特集 昨年のカンヌ映画祭で最高賞“パルム・ドール”に輝いた、『アデル・ブルーは熱い色』。日本でも大きな称賛を受け、アデルとエマという「映画史に残る名ヒロイン」が新たに生まれたことは、私たちの記憶にも新しい。しかし、この映画の監督であるアブデラティフ・ケシシュを以前から知っていた観客は、決して多くはなかっただろう。というのも、日本で正式に劇場公開されたケシシュ作品は、『アデル~』が初めてであったからだ。 とはいえ、ケシシュはこれまで、すでに海外の映画祭では高い評価を受けてきた監督であり、『アデル~』の公開は、まさに満を持してのものであった。これまで『身をかわして』がセザール賞最優秀作品賞、最優秀監督賞、脚本賞、新人女優賞、『クスクス粒の秘密』がベネチア国際映画祭での国際批評家連盟賞、また再びセザール賞での4受賞(『身をかわして』と同じ)に輝くなど、作品数は多くはないものの、受賞歴はかなりのものだ。フランスの映画人の中でも、もっとも注目されている人物のひとりと言える。 『アデル~』の話題沸騰を受けて、今後の日本の批評界も、ケシシュに注目する動きは新たに出てくるだろう。そんな中での朗報。9月初旬に、池袋の新文芸座において、ケシシュ作品の上映に、映画批評家の大寺眞輔氏による解説を加えた、「新文芸座シネマテーク」が開催される。映画を観るだけではなく、そこに作品の背景や社会状況、監督の作風など新たに説明が加えられる。そこから、映画をさらに深く味わえる、まさに絶好のチャンスだ。 今回上映されるのは、前述の『身をかわして』と、『クスクス粒の秘密』の2本。それぞれ作品の上映に加え、大寺氏による1時間弱のトークが楽しめる。夜に開催されるということもあり、社会人の方にとっても足を運びやすいプログラムだと言えるだろう。 私自身は『アデル~』で初めてケシシュ監督の作品に触れたこともあり、ケシシュの「作家性」に言及することは今の段階ではできない。しかし、私自身が『アデル~』を観て感じたのは、1つひとつのシーンの、絵画的な鮮やかさだった。例えば、ヒロインそれぞれの表情の豊かさや、エマの青い髪を初めとした配色の豊かさ。こうした美術的な豊かさは、その原点となる作品群ではどのように生かされているのだろうか。私自身も劇場でぜひ、その魅力を確かめていきたいと思う。 2014年9月3日(水)~9月7日(日) 会場:池袋 新文芸座 http://ift.tt/10PQqQO 『アデル、ブルーは熱い色』上映 9/4(木) 19:30~『身をかわして』(117分) 21:40~22:30 トーク(50分程度):大寺眞輔 9/5(金) 19:15~『クスクス粒の秘密』(153分) 21:55~22:40 トーク(45分程度):大寺眞輔 若林良 大学院生。映画批評誌「MIRAGE」編集。「neoneo」などに映画批評を寄稿。 新文芸座シネマテーク http://ift.tt/1uR44n5 http://ift.tt/1uR472v



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2014年8月18日月曜日

MAIN COMPETITION - Philippines: Mula sa Kung Ano ang Noon / From What is Before (Lav Diaz)

[World News #078]  「忘れないために映画を作る者たちも居るけど、わたしたちは忘れるために映画を作っているんだと思う。」(*1)とロカルノ国際映画祭にて監督賞を受賞したペドロ・コスタ監督の作品、"Cavalo Dinheiro" (英題:Horse Money)について語ったフィリピン出身のラヴ・ディアス監督は"Mula sa Kung Ano ang Noon" (英題:From what is before)で見事、今年のロカルノ国際映画祭の金豹賞に輝いた。 "Mula sa Kung Ano ang Noon / From what is before" 予告編 http://ift.tt/1mbnJGk  上映時間5時間38分、しかもモノクロという本作は、フィリピンの海と森に囲まれた人里離れた村で過ごす人たちの小さな営みを描きながら、1970年から72年にかけてフェルディナンド・マルコス政権によって戒厳令布告が行われる頃を描く歴史映画の様相を持ち合わせている作品のようだ。フィリピンにとって血塗られた時代の幕開けを、監督の幼少期の思い出が脚色されて描かれているらしい。(*2)  ラヴ・ディアス監督の作品は主に長回しやロングショットによって構成されており、中には9時間を超える尺の作品もあるとのこと。また作品のソフト化がされていないことも相まっているせいか、残念ながら彼の作品を見られる機会は日本だけでなく、海外でもかなり少ないようだ。しかし日本では山形国際ドキュメンタリー映画祭2013、第26回東京国際映画祭、第6回恵比寿映像祭にて『北(ノルテ)― 歴史の終わり』(第66回カンヌ映画祭ある視点部門上映作品)が近年上映されている。(*3) ちなみに作品の尺の長さはテオ・アンゲロプロスの『旅芸人の記録』と同じ4時間10分となっている。 『北(ノルテ)― 歴史の終わり』予告編 http://ift.tt/1pxRVjl 「私の映画はすべてのシーンがひとつのフレーム内で発生し、編集で早めることができないため、長時間になります。全てのシーンがそのように繋がっているので、作品時間は長くなってしまいますが、実際、それは比較的短い時間だと思うのです。そう、私の映画は実はすごく短い。人生のごく一部を見ているにすぎません。登場人物を追うだけでなく、宇宙全体を取り込みたい。宇宙全体を見て、もうひとつの世界へとフレームを押し込みたいのです。私は3人をひとつのシーンにフレーミングしましたが、そのとき、ほかに80億人もの人々が動いている。映画は私がつくりあげようとしている世界に面した小さな窓なんです。とはいえ、私の文化において、マレーの人々は本当にゆっくり暮らしているんですね。遡ってみると、そこには時間という概念がありませんでした。ただ人生があって、待っている。太陽が上るのを。作物が育つのを。そして、収穫を待つのです。暮らしている場所で起きることに準拠しているのです。」(*4) 以下、ロカルノ映画祭のニュースサイト「Pardo Live」のサイトに掲載されているインタビューの抜粋(*5): Pardo Live ― かつてジャン・ルノワールはすべての世界へ届かせるためには、まず自分の村のことについて話さなければならないと言っていました。 ラヴ・ディアス:この映画はフィリピンで戒厳令が発令される二年ほど前の、私の幼少期の記憶に基いたものです。それはわたしたちの歴史において最も暗黒な時代の到来であり、激変の時期でもありました。映画のすべてのものは私の記憶から来ています。すべての登場人物たちは実在する人物たちで、彼らの名前をただ変えてあるだけです。  ロカルノ映画祭にてラヴ・ディアスのような、あまり知られていなかった才能溢れるアジアの映画監督が新たにフィーチャーされたのは実に喜ばしく、祝福すべきことだ。この受賞をきっかけに、今まで見られなかった彼の作品が見られるようになることを切に願うばかりである。 楠 大史 http://ift.tt/XpkIws (*1) http://ift.tt/1mbnHyi (*2) http://ift.tt/1pxRVjm (*3) http://ift.tt/1mbnHyl (*4) http://ift.tt/1pxRWEb (*5) 参考資料 http://ift.tt/1mbnHyn

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2014年8月16日土曜日

[World News #077]名優ロビン・ウィリアムズの遺したもの 『いまを生きる』、『レナードの朝』、『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』、『ジュマンジ』など数々の作品で知られる名俳優、ロビン・ウィリアムズさんが8月11日、カリフォルニア州ティブロンの自宅で亡くなっているのが発見された。63歳だった。現地時間12日に行われたマリン郡保安局の発表では、死因は自ら首を吊ったことによる窒息死と断定。彼の広報担当からは重度のうつ病であったこと、先月にはリハビリ施設に入院していたことが発表され、また、後日発表された妻スーザンさんの声明では、パーキンソン病も患っていたことが明かされた。同じくパーキンソン病を患いながら病気の研究と周知のために自身の財団を設立している俳優のマイケル・J・フォックス氏は「ロビンには財団の支援も受けていたのに。とてもショックだ」とツイートし(*1)、旧友の死に無念を表した。 愛くるしいキャラクターで観る者を笑わせ、惹きつけてきたロビン・ウィリアムズ。彼の突然かつ悲しい死に、俳優陣や映画業界人のみならず世界中が動揺を隠せずにいる。 オーストラリアのヘラルド紙では、天国に到着した彼の役柄が多すぎるため、天使が”I only have one name here...A Mr.Robbin Williams?(予定では一人のはずじゃ…ロビン・ウィリアムズさんは?)”と困り果てる様子が描かれた追悼イラスト(*画像一枚目)が掲載された。バラク・オバマ米大統領もホワイトハウスを通して「私たちを笑わせ、泣かせてくれた彼に、彼に感謝の意を表するすべての人に、オバマ家は追悼の意を表します」と追悼文を発表。スティーヴン・スピルバーグ監督も「喜劇の天才で雷雨のような人だったロビン。友人を亡くしたことがいまだに信じられない」、「兄弟のように愛していた。彼の素晴らしい遺産はいつまでも残ることだろう」と溢れる思いを述べた(*2)。 また対照的に、彼の強い影響力ゆえ波紋を呼んでいるものもある。現在ネット上で議論の対象とされているのがアカデミー賞を主催する「The Academy」(@TheAcademy)がTwitter上に投稿した文章である(*3)。「The Academy」のオフィシャルTwitterアカウントは現地時間の12日、ディズニー映画『アラジン』(1992)の画像(*画像二枚目)とともに”Genie, you’re free(ジーニー、君は自由だ).”という文章を投稿。これはもちろん、ロビン・ウィリアムズが同作でランプの妖精ジーニーの声優を担当したことにちなんでいる。この感動的なメッセージは大きな支持を集め、Twitter上で33万リツイートという驚愕の数字を残した。この反響に対して、自殺防止を呼びかけるアメリカの非営利団体「American Foundation for Suicide Prevention」の最高医学責任者であるクリスティン・ムーティエ氏は、ウィリアムズ氏に追悼の意を示したのち「この投稿が一線を越えているわけではなくとも、非常に、非常に危ういものだ」とコメント。マスメディアによる報道の影響で自殺者が増えるという現象に触れ、「自殺は絶対に選択肢のひとつであってはならない」、「自殺という悲劇は防止できるものであり、それはわれわれ一人ひとりができる」と主張した。 亡くなった後も世界中の反響を呼び続けるロビン・ウィリアムズ。彼の出演する新作は現在4作品待機中である(*4)。1本目は、日本で来年3月公開予定の人気シリーズ第3弾『ナイト ミュージアム/エジプト王の秘密』。過去作には続きテディ・ルーズベルトを演じている。2本目には『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』の監督兄弟が製作を務めた『メリー・フリッジン・クリスマス(原題)/Merry Friggin' Christmas』が11月に全米公開される。また、3作目にはボイスキャストとして参加した、サイモン・ペッグ&ケイト・ベッキンセール主演のコメディー『アブソルートリー・エニシング(原題) /Absolutely Anything』が2015年に封切り予定。そして配給未定だが、今年のトライベッカ映画祭でお披露目された『ブルバード(原題)/Boulevard』も待機中だという。 「いつでも笑わせて笑顔にしてくれた僕らの友達ロビン・ウィリアムズ!」(セサミストリート公式ツイッター)、「彼がいるだけで世界はより良いものになった」(スティーヴン・スピルバーグ監督)、「彼はフォックスのコミュニティーを大事にしてくれた家族の一員だった」(配給会社20世紀フォックス)…。枚挙に暇がないほどのさまざまな著名人からのコメントに、彼の才能と信頼、厚い人望が伺える。 ロビン・ウィリアムズさんのご冥福を心よりお祈り申しあげます。 (記事・内山ありさ) *1 http://ift.tt/VrqADF *2 http://ift.tt/1lQuZap *3 http://ift.tt/VgxlZe *4 http://ift.tt/1upmGum 参考 http://ift.tt/1nL8i7f http://ift.tt/1owvzzL

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2014年8月14日木曜日

三浦 翔 (eggfalcon3) on Twitter

[World News #076]ペドロ・コスタ監督最新作『Horse Money』 ロカルノ国際映画祭でペドロ・コスタ監督の最新作『Horse Money』が上映されました。今回は、そのレビューが海外情報サイトIndiewire上にて発表された(注1)ので要約をさせてもらいながら紹介します。   ペドロ・コスタ監督はこれまでに戦時の心的外傷や問題を抱えた集団について、いくつかの映画を撮ってきました。その中でもっとも新しいのは、2006年の『コロッサル・ユース』です。この映画は、フォンタイーニャス地区の貧しい住民にカメラを添え、カーボ・ヴェルデ諸島出身である移民の苦境を捉えている三本目の作品になります。ヴェントゥーラが街を徘徊する姿を凝視することで、映画は彼の問題の存在を熟考し、同じ問題を扱った『骨』、『ウ゛ァンダの部屋』に続く非公式の三部作のひとつとなりました。 そして、その三部作に続く四作目として『Horse Money』を位置づけることが出来るでしょう。映画は、ウ゛ェントゥーラによる魂を探すかのような彷徨によって、別の角度でフォンタイーニャス地区の貧しさを捉えます。この映画は、これまで撮られた三作と比べて、より映画による詩的な力を持っていると言えます。 コスタ監督は、オープニングのカーボ・ヴェルデ諸島が激動した時期の写真をモンタージュさせることで、すぐさまに歴史的な記憶と不確かな存在を結びつけます。ただし、静かに、複雑に物語がどんどんと立ち上がるように、対象と距離を取らせるやり方でこれらのイメージは組み込まれます。 ウ゛ェントゥーラのゾンビのような意識がここにない目や、誰もいない通りを放浪したり、彼の昔の工場に向かったりする姿は、この映画がまるでホラーを演出しているかのように思わせます。ですが、それは驚くことではありません。彼が撮ってきた映画は、恐れが空間を覆い尽くす過程を拡大して見せているのですから。そうした陰気なフレーミングにも関わらず、『Horse Money』は人生を映します。過去からの歌が歌われる数々の場面で、ウ゛ェントゥーラは昔の家族や仲間に再会する、といったようにです。音楽は、この不安にさせるような映像の集まりを貫きまとめます。コスタは、歌詞によって一人の人間以上のものまで取り込もうとします。 こうした映画の作り方は、過去の外傷によって囚われた状況を続けるためではなく、世界を進んで受け入れるような状態を作り出すようなこととも言えます。ただし、それは歴史は避けられないものとして、ただ別の問題を突き付けるだけにもなり、過酷な支払いを求めるようなことでもあります。ただし、そうした重たい交換は究極の清算への賭けなのです。コスタ監督が映画監督として循環して何度も撮り続けることとは違い、ウ゛ェントゥーラの謹厳な眼差しは彼が苦しみを受け入れらる日への闘いへの眼差しなのです。 『Horse Money』はロカルノ国際映画祭でプレミア上映され、今後ニューヨークフィルムフェスティウ゛ァル、トロント国際映画祭で上映されます。日本での公開はあるのでしょうか。 三浦 翔 http://ift.tt/1ofDLiA (注1) http://ift.tt/1rucCLH (参考) http://ift.tt/1rucETI 『コロッサル・ユース』日本公式サイトhttp://ift.tt/1rucCLM 『ウ゛ァンダの部屋』日本公式サイトhttp://ift.tt/1rucETK

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2014年8月13日水曜日

[World News #075]「交霊術」で蘇る失われたサイレント映画の歴史 リュミエール兄弟が最初の映画を撮ってから来年で120年。多くの名作が世に生まれ、また失われてきました。特にサイレント映画時代のフィルムは保存状態も満足でなく、名だたる監督の作品であっても鑑賞が難しいものも多くあります。もちろんそういった現状に対してフィルムの修復などの処置が取られていますが、それとは全く違う独創的な方法で映画を甦らせようとしている監督がいます。 それがカナダの奇才、ガイ・マディン監督。映像プロジェクト『Seances (交霊術)』は、修復が不可能なサイレント・フィルム100本(!)を、1日1本(!)のペースで再現撮影する試み。再現された映像は後にひとつの作品としてまとめられるとのことです。(1) このプロジェクトにはシャーロット・ランプリング、マチュー・アマルリック、ウド・キアなど、実力派のキャストが多数参加しています。再撮影された作品のラインナップも溝口健二のデビュー作『愛に甦へる日』や、エルンスト・ルビッチの初期作品『Intoxication 』など、興味深いラインナップ。これらの作品の撮影は、2012年3月のフランス、ポンピドーセンターを皮切りに、カナダのPHIセンターでも行われ、撮影の様子が一般に公開されました。今後もロンドン、ニューヨーク、サン・パウロなどで撮影が予定されているようです。 この刺激的なプロジェクトを進めるガイ・マディン監督といえば、サイレント映画の手法を使って、ロマンティックでシュールな世界を描き出すのが特徴。ディビッド・クローネンバーグやアトム・エゴヤンと並んで、カナダ出身の独創的な映画作家として世界的に評価されています。(2) 日本では『ギムリ・ホスピタル』が1991年、『アークエンジェル』が1992年に公開されましたが、その後殆ど一般公開されていません。2004年には東京フィルメックスで特集上映が組まれ好評を博しましたが(3)、その後もガイ・マディン監督は多くの作品を世に送り出しています。この野心的な『Seances (交霊術)』のプロジェクトをきっかけに、知られざる巨匠の作品をまとめて観るチャンスが訪れるよう、祈っています。 蜂谷智子 編集者・ライター Facebook( http://ift.tt/1nGCiFL ) (1)http://ift.tt/1rodVMd (2)http://ift.tt/Y2dAGp (3)http://ift.tt/Y2dAGq



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2014年8月12日火曜日

[World News #074] デジタル時代にインディペンデント映画作家が立ち向かうべき問題とは? 「デジタル時代にインディペンデント映画作家が立ち向かうべき問題とは?」と題されたインタビュー集がIndieWireに掲載されました(#1)。たいへん興味深い内容であり、日本の映画作家や映画ファンに示唆するところも多いと思われるため、「映画作家は撮影開始前にその配給について考えるべきか?」(#2)や「インディペンデント映画作家にとっての未来とは?」(#3)と題されたインタビュー集と共に、以下にその大ざっぱな内容を訳出しておこうと思います。 その前に、このアーティクルの短いリードには次のように記述されています。 「今日の映画作家にとって、プロフェッショナルなツールにアクセスすることはかつてなく容易であり、同時に過度な競争の中で観客を見つけることはかつてなく難しくなっている。Sundance NEXTで取り上げられた映画作家たちにこの問題をぶつけてみた。」 ここでまず、日本で彼らの発言を読むときに踏まえておくべき二つの前提があります。 まず、映画であれ他の表現媒体であれ、その内容が優れていればそれは放っておいても興行的ないし世間的に評価を得て成功するという考えは、今日世界的に完全に否定されているということです。作品はその内的な価値以外に様々なコンテクストの中で存在しており、それがどのように機能するかというアーキテクトの問題こそが、こうした側面においては遙かに重要なものとして優先されるということ。(これは、作品の出来がもはや重要ではないということではなく、それが重要であるからこそ、優れた作品が成功しうる状況を作るべきだという意味です。) 次に、ここで紹介されるアメリカのインディペンデント映画作家たちが抱える問題は、その多くが日本でも同様に見出されるものであるとは言え、少なくとも彼らの状況は日本より遙かにマシだということ。それは、先述したアーキテクトの問題において、アメリカの環境は日本よりずっと先に進んでいるからです。彼らには安価でアクセスの容易なプロフェッショナル向け映画製作ツールが様々な領域で潤沢に(選択肢の一つとして、つまりそれらを使わない選択もあり得るものとして)用意されており、またその製作資金を調達するためのクラウドファンディングや、優れた作品を選抜するための映画祭、それを広めるための言説とメディア、世界映画の最前線に触れるための情報媒体、そしてそのベースとなる知的好奇心など、現在の日本とは比較にならないレベルにあると私は思います。 しかし、そんなアメリカのインディペンデント映画作家たちにとってさえ、深刻な問題が数多く存在する。そしてそれは、日本でも等しく共有されるものでもあるのです。私たちは、彼らがもはや悩む必要のない問題を数多く抱えていますが、彼らの問題は私たちにとっても極めて重要であり、深刻なものなのです。残念ながら、そのリアルな現状認識に立つことでしか、私たちにその先の未来は訪れないと私は感じます。 以下、採録されたインタビューの幾つかです。 ここで紹介されている映画作家たちは、いずれも現在非常に高く評価され注目されている人たちばかり。その簡単なプロフィールも末尾の注に含めておきましたので、是非合わせて参照して下さい。 ■デジタル時代にインディペンデント映画作家が立ち向かうべき問題とは? ジェフ・バエナ(#4) 「まず、マーケットが商品で飽和していること。とりわけ、デジタル革命と映画製作の低予算化、テクノロジーの普及によってものすごく多くの映画が製作されている。こうした中をくぐり抜けてインパクトを残すのは並大抵の事じゃできない。次に、テクノロジーに振り回されない知恵を身につけること。多くの人間がデジタル技術とビジュアルエフェクトを使いすぎている。物語を語るためだけに、過剰に技術に依存しすぎているんだ。」 アンナ・リリー・アミールプール(#5) 「私にとって、映画製作とは発明家になるようなものよ。どんな時代にも、その時既にあった物を土台として様々に異なる何かが発明された。私たちは私たちの時間と空間に属している。私たちは、私たちの時間と空間が生みだしたものでもあるの。私は、「ちくしょう、35ミリフィルムで撮らなくちゃならないんだ!」とかそんなこと言うタイプじゃない。私たちは私たちがすべきことをする。そして私には私の美学がある。(「スリラー」メイキングのVHSテープを指さして)これが私にとっての映画学校よ。毎日、何ヶ月も続けて見直したわ。何千回もこれを見直す必要が私にはあったの。映画製作には様々な問題があるんじゃなくて、すべては一つの問題なの。問題を解決し続けること、ただそれだけがあるの。」 ■映画作家は撮影開始前にその配給について考えるべきか? アレックス・ロス・ペリー(#6) 「他の人がどうすべきかなんて僕には分からないよ。ただ、こうした問題に関する議論は映画を作るアイディア段階から人と交わすものだから、どっちにせよ考えざるを得ないよね。映画の商業的側面や配給の可能性は、その作品が500万円の興収を目指すのか、それとも1億必要なのかって問題に影響するから。 『リッスン・アップ・フィリップ』を撮ってたときの事なんだけど、ある場面でジョナサン・プライスがジェイソン・シュワルツマンをレストランに連れて行くことになっていたんだ。でもそこでスタッフの一人が、これは意味がないって言った。なんでこの場面でわざわざレストランを探して貸し切らなきゃいけないんだって。そっくりそのまま彼の家でやれば良いじゃないかって。結局、この場面は作品の中でも僕のお気に入りになった。あれは実に創造的な問題解決法だったよ。低予算の映画作りにおいて、こういう会話はしばしばとても有益なものになると僕は思ってる。」 マリク・ヴィタル(#7) 「映画製作者は、自分の作品の観客について考えるべきだと私は思う。どうやって観客と結びつくか、そしてどうやって作品を市場に出すべきか。こうしたことの全てが映画作りの一部なんだ。作品がその本来の観客に辿り着くまではね。こう考えるのが現実的だと私は思う。映画を作りながら、その作品の観客が誰なのか考えるのは良いことだよ。Netflixで流されるのか、映画館なのか、VODなのか。その最終目的地をどこに設定したいか考えるべきだと思う。それがプロジェクトの性格を決定するんだ。」 ■インディペンデント映画作家にとっての未来とは? ゼルナー兄弟(#8) 「資金集めや配給といった昔からある問題は変わらず続くと思うね。でも、テクノロジーの進化によって映画を様々な規模や予算で作ることがずっと簡単になった。この進化はあまりにも急速で、とりわけ配給の側面においてそうなんだけど、だからその変化について行くこと、自分を適応させることが重要だと思う。それこそ、今の映画製作者の誰もが直面しなくちゃいけない課題となるだろうね。」 アダム・ウィンガード(#9) 「それは全て技術かどこに向かうかによるよ。俺らの映画作りが現在ある姿ってのは、デジタル技術が進化したことや上映形態の変化、それに、ネットが全てを変えてしまった結果だからな。テクノロジーはますます進化するし、なんでも起こり得るね。俺にとって、映画が本当に進化するのは、それが2Dのスクリーンから飛び出て本物の3D、ホログラム・イメージになる時だ。その時こそ、本当の変化に俺らは直面するよ。それまでは現在の流動状態が続くだろうね。間違いないな。」 アンナ・リリー・アミールプール 「映画の未来に起こり得ること、それは、どれだけ大量の映画が作られるようになっても、結局良い作品の割合は変わらないだろうってことね。良い映画を作ることは簡単じゃない。そして、たとえ良い作品を作っても、それがすなわち誰もが興味を持つってことにはならない。保証なんてないの。誰もあなたに借りがある訳じゃない。他人の興味を勝ち取らなくちゃいけないのよ。どれだけ沢山のアイディアに溢れた発明家がかつて存在して、そしてどれだけの発明が実際に生まれたか?それを左右するのは、まるで事前に予測することもコントロールすることもできない時代精神みたいなものね。発明家はただ自分の発明を信じて、自分のアイディアに魅了されているべきだし、そうすることしかできない。そのうち、他の誰かも同じように信じてくれるかも知れない。でも、それを予測することはできないのよ。」 大寺眞輔 http://blog.ecri.biz/ http://ift.tt/1knGQPv http://ift.tt/NSy3rx #1 http://ift.tt/1slB7ic #2 http://ift.tt/1oz4KoO #3 http://ift.tt/1lPblvt #4 Jeff Baena 『ハッカビーズ』の脚本家であり、初監督作『Life After Beth』を完成させた。 http://ift.tt/XZzdHv #5 Ana Lily Amirpour 映画監督でありアーティスト。初長編作品『A Girl Walks Home Alone at Night』はアメリカで撮られたイラン系ヴァンパイアウェスタンとして大きな注目を集めている。 http://ift.tt/1rlmN5d #6 Alex Ross Perry アメリカの新世代インディペンデント映画作家を代表する作家の一人として、国際的に評価が高い。マンブルコアなスクリューボールコメディやピンチョン風の奇怪なSFコメディなど作風も幅広い。 http://ift.tt/XZzgmG #7 Malik Vitthal 初長編作品『Imperial Dreams』を完成させた黒人映画監督。 http://ift.tt/1rlmN5g #8 David and Nathan Zellner 兄弟で脚本と監督を担当し映画製作を続けている。菊地凛子主演の『Kumiko, the Treasure Hunter』はコーエン兄弟の『ファーゴ』が本物の宝の地図を隠していると信じた日本人女性を描いて、評価の高い作品となっている。 http://ift.tt/1rlmM19 http://ift.tt/1rlmM1b #9 Adam Wingard ホラーやスリラーなどのジャンル映画を主に手がけ、日本でも『サプライズ』などが公開されている。最新作は『The Guest』。 http://ift.tt/17XeeT3

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2014年8月11日月曜日

Saul Bass / - Design/Designer Information

[World News #073] 『シャイニング』ポスター制作に見る、キューブリックの作品世界 古典的サイコホラー映画として名高いスタンリー・キューブリックの『シャイニング』(1980)が、来る2015年に公開から35年を迎える。 スティーブン・キングの同名小説を映画化したこの作品は興行的に大きな成功を納めただけではなく、開発されて間もないステディカム(※1)による本格的な撮影と独特の浮遊感を伴う映像表現を実現するなど、映画史上における功績も偉大であろう。 後に数々のオマージュも生まれたこの映画の“顔”と言えるのが、ジャケットにも採用されたジャック・ニコルソンの狂気に満ちたクローズアップである。そのわずか2秒足らずのシーンのためになんと2週間もの撮影期間を費やし、100以上のテイクを重ねたというエピソードはキューブリックの行き届いた「完璧主義」を象徴するものと言える。このような彼の映画製作に対する態度は悪名高くさえあり、それは時に作品の内を出て宣伝商材までに及んだという。この作品のもう一つの印象的な公式ポスターを担当したソール・バス(※2)もまたその過程に携わった一人であり、キューブリックによって却下された彼のポスター案の一部と、完成形が出来上がるまでのプロセスが現在海外の文化教育メディアサイトOPEN CULTURE上にて公開されている。 Saul Bass’ Rejected Poster Concepts for The Shining (and His Pretty Excellent Signature) http://ift.tt/1tWXfjE ポスター案に手書きで書きこまれた「タイトルが小さすぎる」「迷路を強調しすぎている」「これではSF映画のように思える」といったキューブリックの細かな要求からは、彼が自身の確固たる作品世界を周囲に突き付けていたことが窺える半面、ポスターという図形表現が作品自体に与える影響がどれだけ大きいかをも考慮していたことが読み取れる。バス自身も、これらのキューブリックの要求に応えると同時に「私はすべてにわくわくしているんだ」「それら(のポスター内の要素)がいかに映画にとって強力で効果的な記号であるかということを、私は十分に説明できる」と書き記している。 このような試行錯誤の末、最終的に採用されたポスター案は当初のデザインとは全く異なり、一面の黄色のインパクトと点描によって浮かび上がる不気味な表情が目に焼き付いて離れない。あらゆるイメージが容易にコピーされ、オリジナリティや唯一性が希薄化してしまった現代にこそ、このような真摯な仕事を目にすることは、映画という一つの作品が複数の要素の集合体であることの再認識につながり、また、そこから映画という芸術に付きまとう「作者」の問題に直面するよい機会になるだろう。 西山 晴菜 (早稲田大学文化構想学部) 参照 IndieWire:Check Out Saul Bass Designed Posters For 'The Shining' Rejected By Stanley Kubrick http://ift.tt/1oggfY1 (※1)1970年代にギャレット・ブラウンが開発したカメラを載せるSled(スレッド)、スレッドを支持するArm(アーム)、アームを接続するためにカメラマンが着用するVest(ベスト)の基本構造を持つ撮影機材。カメラマン側の動きによる画のブレを最小限に抑え、滑らかな映像を撮影することが可能となった。 About Steadicam http://ift.tt/1vxngHR (※2)アメリカ合衆国のグラフィック・デザイナー。映画のタイトルデザインの第一人者として活躍し、オットー・プレミンジャーやアルフレッド・ヒッチコックなど数々の有名監督の作品にタイトルデザインを提供した。 Designmuseum http://ift.tt/13AfdZQ

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2014年8月8日金曜日

[World News #072] パレスチナ映画:『オマール、最後の選択』 第86回アカデミー賞外国語映画賞にノミネート、カンヌ映画祭ある視点・特別審査員賞を受賞した、ハニ・アブ・アサド監督日本未公開作品 自爆テロに向かうパレスチナ人青年の物語を通してパレスチナ問題をパレスチナの視点から描いた作品『パラダイス・ナウ』で2006年ゴールデングローブ賞外国語映画賞を受賞した監督の新作です。日本では2015年に公開予定です。(配給:アップリンク) 本作で頻繁に登場するのが、分離壁です。主人公オマールは監視塔からの銃撃を避けながら何度も壁を超え、向こう側に通います。彼はパレスチナを自由にするための闘いそして恋のために、壁を越えるのです。ある日、親友と共に決行したイスラエル兵士殺害のため捕まったオマールは、イスラエル軍よる拷問を受けスパイになるか恋人との生活を一生諦めるかの選択を迫られます。 本作は占領下のパレスチナに住む若者たちの恋や友情が、戦争や自由への闘いと肩を並べ共存していることが分かります。友情の結束を生み出した自由への闘いが次の瞬間には裏切りや憎しみを生み出すパレスチナの若者たちが直面している終わりなき状況が描かれています。 また、現在イスラエル軍とイスラム原理主義組織ハマスとの戦いが続いていますが、本作ではオマールと彼の親友らはどの組織にも属さずパレスチナの自由のために戦います。彼らは銃を手に入れ人気のない所で練習をし、自らの自由への願いを込めてイスラエル兵を狙います。報道ではパレスチナの組織対イスラエル軍の戦いが大きく取り上げられますが、占領下のパレスチナには組織には属さず、占領下に閉じ込められた厳しい状況をどうにかしようと奮闘する若者がいることを、本作を通して知らされます。 “私が一番誇りに思うことは、本作の制作がすべてパレスチナ人の手によって行われ、パレスチナ人のお金が出資されたことだ”と監督が語ったように、本作はその制作資金の大半がパレスチナ人によって出資された初めての作品です。 “この作品が、ヨーロッパやアメリカに依存しないパレスチナ映画制作の突破口になってほしい。私たちパレスチナ人は自分たちの映画産業を構築しなければならない。本作はパレスチナ人にとって大きな挑戦だったが、パレスチナには有能な人々がいることが証明された”と俳優のWaleed Zuaiterは語りました。 Zuaiterは本作では、オマールにイスラエル軍との協力を提案するエージェント役を演じています。彼は、アメリカ系パレスチナ人俳優で2009年には『ヤギと男と男と壁と』でジョージクルーニーと共演しています。彼は『オマール、最後の選択』で制作資金調達の責任も担い、自身も200万ドル出資しました。 Sources: 『Omar』:http://ift.tt/1vk5Q1t 『パラダイス・ナウ』:http://ift.tt/1uueu9d インタビュー内容: http://ift.tt/1johUWn ※ 2015年にはパレスチナで初めてとなる現代アート美術館が開館予定です。これからのパレスチナの若者の動向や多岐にわたる分野での表現活動が気になるところです。それは、いまだに国家として認められていないパレスチナがパレスチナ人としてのアイデンティティーを構築して行くための大切なプロセスなのでしょう。 http://ift.tt/1sDwu08 by Sevin アートな中東:http://ift.tt/1uueu9e

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2014年8月7日木曜日

[World News #071] なぜ、LGBTを扱った映画はヒットしないのか? みなさんもご存じだろうが、LGBTとは、レズ、ゲイ、バイセクシャル、トランスセクシャルというセクシャル・マイノリティの名称をまとめた言い方だ。今映画業界では、そのLGBTに当てはまる性を持った人を主人公にした映画は当たらない、という法則ができているらしい。 アメリカ・カナダにおいて、2010年代に入ってから4年半の間で、興収が100万ドルを超えた作品は1200本に上る。その1200本のうち、LGBTといったセクシャル・マイノリティを扱った作品は、7本しかない。具体的には、『キッズ・オールライト』(2010)、『アデル ブルーは熱い色』(2013)、『フィリップ、きみを愛してる!』(2010)、などだ。(注) 2013年に日本でグザヴィエ・ドランが注目を集めるきっかけとなった作品『わたしはロランス』も、この中には含まれていない。ドランの出身国カナダを含めているのに、だ。 評価の高い作品であっても映画館にはシネフィル以外の客が入らないということからして、ここで問題になっているのは作品の良し悪しではない。作品の良さと興行収入は、(比例するのであれば非常に嬉しいのだが……)比例しないことがままある。すなわちここでは、作品にセクシャル・マイノリティが大なり小なり関わっているというだけで、一般の観客は映画館に観にいかない傾向にある、ということだ。 そもそもLGBTモノは、1990年代には流行っていた。マイク・ニコルズの『バードケージ』(1996)は興収1億2400万ドルという大ヒットを記録した。それに対して、10年代の一番のヒットは『キッズ・オールライト』の2000万ドルだ。この差が生じた背景に、90年代はLGBTに関する権利運動がかなり盛んだった、ということがある。こぞって作られたし、注目を集めた。そして今は運動も落ち着いて、人々の関心が薄れていくのに伴って客が入らなくなった、ということなのだろう。 では、そもそもLGBT作品の本数は減っているのか?そうだ。減っている。それも、90年代に比べて、こういった作品に割かれる予算がぐっと減っているのだ。 それは観客にとって、わざわざ映画館に行って大きなスクリーンで見て気持ちがいいのはアクション映画やSFであって、ヒューマンドラマは自宅でのんびり手軽にDVDで見ればいいという傾向があり、それが関係しているだろう。とくにセクシャル・マイノリティを扱ったような小難しそうな作品は、映画館でかけても人が入らない。映画制作者側が、人が入らないテーマにするとスポンサーが出し渋るから企画段階から回避する、というのも間違いなくあるだろう。 映画に対して、テレビはというと、性の問題について寛容だそうだ。スティーブン・ソダーバーグはゲイをテーマにした作品を撮ろうと思った時に、映画では、特にハリウッドでは予算がもらえない上に客も入らないので、テレビメディアに移行した。それがテレビ映画『恋するリベラーチェ』(2013)である。この作品は、のちにカンヌ映画祭で賞争いに参加している。 たしかに、主人公がゲイである/レズビアンであるというだけで社会的な問題性を孕むので、抵抗を感じる人も多く、見るにしても映画館で高い金を払ってみようという気にはならないかもしれない。社会的な側面から見ても、運動は落ち着いたものの、やはり社会全体がセクシャル・マイノリティを受け入れる体制ができているというわけではないのだ。 こうした作品は、メッセージ性が強くて、シネフィル向けの、一般受けのしない作品であるというレッテルが貼られやすい。しかし面白い作品はいっぱいある。LGBTだけでなくても、そうしたテーマはたくさんあるはずだ。どんどんそうした作品に扉を開いていくのが、映画的にも社会的にも重要になってくるだろう。 則定彩香 http://ift.tt/1ozAcYA 注 2010年代LGBTの主人公の映画興収ランキング 1リサ・チョロデンコ『キッズ・オールライト』$20,811,365 2アブデラティフ・ケシシュ『アデル ブルーは熱い色』$2,199,787 3ジョン・レクア、 グレン・フィカラ『フィリップ、きみを愛してる!』$2,037,459 4ブノワ・ジャコ『マリーアントワネットに別れをつげて』$1,347,990 5ペドロ・アルモドバル『アイム・ソー・エキサイテッド!』$1,368,119 6ローランド・ジョフィ『ミッション』$1,062,940 7ジョン・クロキダス『キル・ユア・ダーリン』$1,062,940 http://ift.tt/V4cAj9

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2014年8月6日水曜日

La Biennale di Venezia - Entry page sezione cinema

[World News #070] ベネチア映画祭開幕近づく 第71回目を迎えるベネチア国際映画祭が、8月27日から9月2日まで、イタリアのベネチア、リド島で開催される。 ベネチア国際映画祭は、カンヌ、ベルリンと並ぶ世界3大映画祭の1つで、同時に、世界最古の歴史を持つ映画祭としても知られる。過去の最高賞(金獅子賞)受賞作品としても、アラン・レネ『去年マリエンバードで』、ルイス・ブニュエル『昼顔』、候孝賢『非情城市』など映画史に残る傑作揃いで、ベネチアでの受賞は、世界の映画人にとって大変な名誉だ。コンペ部門には今年も最高賞をめぐって、世界各国から選りすぐりの20本が集まった。 今年のコンペには、アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ『Birdman or The Unexpected Virtue of Ignorance』、ファティ・アキン『The Cut』など国際映画祭の常連監督による作品も並ぶ一方で、アリックス・デラポート『Le Dernier Coup de Marteau』など、キャリアとしてはまだ浅い監督の作品も多い。6月に開催されたカンヌ映画祭が、国際的に有名な監督による作品が中心であったのと比較して、今回のベネチア映画祭は、比較的バランスのとれた選択であると言えるだろう。 日本からは、塚本晋也監督の『野火』が出品される。大岡昇平の同名小説を映画化した作品で、第二次世界大戦末期のフィリピンを舞台に、一兵士の視点から見た「戦争」の恐怖を描く。(※1)原作の映画化は1959年の市川崑監督に続き2度目だが、市川監督が原作の宗教的な概念をほとんど廃した、オーソドックスな作品として『野火』を仕上げていたのに対して、塚本監督は『鉄男』や『KOTOKO』のような、極めて先鋭的な作品としての『野火』を作ることが期待される。前作『KOTOKO』でもベネチアの絶賛を受けた塚本監督が、今回現地でどのような評価を受けるか、今から期待は尽きない。 (ちなみに市川監督の『野火』は、カンヌ映画祭で審査員特別賞を受賞している) 審査委員長はフランスの作曲家、アレクサンドル・デブラ。例年、コンペ部門の審査委員長は映画監督か俳優が務めており、作曲家が任を務めるのは今回が初めてとなる。しかしながら、デブラは『クイーン』『英国王のスピーチ』など6作品でアカデミー作曲賞にノミネートされるなど映画界との関わりは深く、歴史や言語を含めた「映画」そのものに精通した人物でもある。一般的な「映画人」とは異なった視点を持つ彼がどのような映画を選ぶか、こちらもまた、興味は尽きないところだ。(※2) コンペ作品においては、個人的にジョシュア・オッペンハイマーの『The Look of Silence』に注目したい。 今年日本で公開され、センセーショナルな話題を呼んだ『アクト・オブ・キリング』のフォローアップ作品であり、『アクト~』同様、ドキュメンタリーの「粋」を壊すような、衝撃的な作品になっていることが期待される。昨年の金獅子賞がドキュメンタリー作品『ローマ環状線、めぐりゆく人生たち』だったこともあって、ドキュメンタリーの快進撃が、今年も続くことを個人的には祈念したい。 若林良 ベネチア国際映画祭公式サイト http://ift.tt/Prd1va (※1) http://ift.tt/1pfeoho (※2) http://ift.tt/1wwAem8

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[World News #069]絶滅寸前なフィルム映画のため立ち上がる!タランティーノ、ノーラン、スコセッシら奮闘 クエンティン・タランティーノ、J・J・エイブライムス、クリストファー・ノーラン、ジャド・アパトー、マーティン・スコセッシ監督らが、ニューヨーク州ロチェスターにあるコダック社のフィルム製造工場閉鎖の噂を聞きつけ、ハリウッドの映画会社と交渉の末、工場閉鎖の危機を救ったことが7月30日、分かった(*1)。 コダック社のCEOジェフ・クラーク氏によると、コダック社の映画フィルムの販売量は2006年以降96%下落しているとのこと。デジタルでの映画撮影がメインになったことにより、フィルム生産量は特にこの2年で激減。フィルムの製造を維持することはできないとの結論に達し、工場閉鎖に踏み切ろうとしたコダック社だが、タランティーノ監督らによるハリウッドの映画会社との交渉の末、コダック社からフィルムを長期的に購入する契約にこぎつけた。これにより、コダック社から4億5,000万リニアフィート(約1億3,716万メートル)のフィルム生産が決定。一見多いようにも思えるこの数字は、2006年の生産量のわずか28分の1だという。ハリウッドとコダック社の取り決めは1年契約で、今年9月に署名される。契約内容は今後毎年見直され、更新される予定。また、唯一のライバル会社でもあった富士フィルムは2013年3月に映画用フィルムの製造から撤退しており、現在大手で映画撮影用フィルムを生産している会社はコダック社のみとなっている。 ワーナー・ブラザーズのCEOであるケビン辻原氏は、「満場一致ということが滅多に起こらない映画業界において、近い将来に向けてフィルム保護のため支持者が集まったのは稀なこと」と明るいコメント。 『アルマゲドン』、『ミッション・インポッシブル』シリーズでお馴染みのエイブライムス監督は「フィルムには紛れもない美しさと、本質的で自然な素晴らしさがある」と述べ、「もはや今では到達不可能な水準を設定したのは確実にフィルムである」と、フィルムがあってこそ現代の映画があるのだということを力説した。 さらに、脚本が流出したことで製作中止となっていた西部劇映画『ザ・ヘイトフル・エイト(原題)』の製作を7月末に突如発表した(*3)タランティーノ監督は、「僕の意見にすぎないが、デジタル撮影になることは映画の死だ」(*4)、「デジタル撮影は映画の中のテレビにすぎない」とまでの過激なコメントを残し、キャスト・撮影スケジュールの決まっていない『ザ・ヘイトフル・エイト(原題)』についてフィルム撮影を行うことだけは明らかにしている。 (記事・内山ありさ) *1 BBC NEWS http://ift.tt/1AyBvMA DEADLINE HOLYWOOD http://ift.tt/1qMFT3N *2 シネマトゥデイ http://ift.tt/1twtrKj *3 シネマトゥデイタランティーノ監督、突然の決断!脚本が流出した西部劇映画の製作がついに始動! http://ift.tt/1nPSwhf *4 Indiewire Here’s the Bloody Poster for Quentin Tarantino’s “Hateful Eight” http://ift.tt/URyZ3d *参考 Indiewire Quentin Tarantino, Christopher Nolan and Judd Apatow Lead the Charge to Keep Film Stock Alive http://ift.tt/1zvURQV



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2014年8月5日火曜日

'Lucy' and the Absence of the Black Race in Origin of Humanity Theories

[World News #068]『LUCY』と人類の起源の理論の中に黒人がいないこと  リュック・ベッソン監督の『LUCY』が公開されたが、複雑な問題を持ち込んでいる。  何故、多くの白人の監督たちはSF映画の中で人種問題を避けて、普遍的な世界を作りだそうとしないのか。単純な答えとして、彼らの中には人種差別的な意識が働いていると言えるかもしれない。例えば、彼らが考えるもととなる理論が白人中心主義で始まった。そうした理論は、いまや時代遅れなのであるが、そうした意識から白人自らの怠慢を描くことで、普遍的な世界を描こうとする。そうした映画製作の在り方は、特定の人たちだけを映画館に集め、より利益に服従する市場を作りだす。  映画『LUCY』において、LUCY(スカーレット・ヨハンソン)は余儀なく麻薬運び屋にされてしまい、ある日薬を飲んでしまったところ、超人類的な力を手に入れる。人間は普段脳の10%しか使っていないが、LUCYはそれ以上を使えるようになる。このことが興味深いのは、人間の根源的な力というテーマをより高め、さらに彼女が人種的なアイデンティティーに関する自分の見目形や言葉・知識といったものを変更することが出来るようになったからだ。全人類に共通する横断的な知性や力を試しているのかもしれない。それらは普段先入観により隠されている。 LUCYの名前はアウストラルピテクスの名前を彷彿させるし。彼女は様々なものを吸収すればするほど、黒くなっていくがクローズアップの部分的なショットによって、完全には変化していないことを描く。 『LUCY』が描くのは人種としての人では無い。例えば、近年のリドリー・スコット監督による『プロメテウス』やブライアン・デ・パルマ監督の『ミッション・トゥ・マーズ』は、人類の起源を惑星外に仮定することで、今の多様な人種が現れず、白人の中の複雑性の中に閉じてしまっている。『LUCY』もこうした意味で、伝統的なSFの白人中心的な描き方をしており、現代科学に乗っ取った様々な可能性を仮定し人類の根本を描く。こうした映画たちは、目撃者としての白人を描くことで、基準が白人になる。このことは、結局白人の至高性を強めるだけなのだ。 こうした問題の省略に対する処方は、黒人による人類の根源に関するSF映画が作られることではないか。とりあえずの結論として、こうした問題を扱おうとしている黒人の映画監督を救うことが必要になる。自らの不完全性を描くのか、あるいは包括的に描くのか、いずれにせよ、白人中心に描くことで他の人種の多様性をぼやけさせる必要のないように、人間の理論を発展配置する限り、ドアは開かれる。 http://ift.tt/1uzzcIG 三浦 翔 http://ift.tt/1ofDLiA

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