2014年12月31日水曜日



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[World News #148] ダルデンヌ兄弟最新作『サンドラの週末』 『ある子供』、『少年と自転車』など映画祭受賞レース常連のジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ兄弟の最新作が日本にやってくる。 『サンドラの週末』(原題:deux jeurs, une nuit)は彼らの最新長編映画であり、最高傑作でもある。マリオン・コティヤール(彼女はその名声にも関わらず、ダルデンヌ兄弟の作品では長い間なんとも色気のない役ばかり演じている。)演じるサンドラは、工場の仕事を失う。夫の分まで働かなければならない彼女は、元同僚たち一人ひとりのもとに、彼らのボーナスをサンドラの給料に回すことで、また雇ってくれるように雇い主を説得してほしいと訪れて回る。かれらの反応は様々だが、なかなか首を縦に振る人は現れない。ある同僚はこう言う。「あなたが仕事に復帰してほしいとは思っているけど、そうすると私が生活できなくなるの」 こういったテーマの作品は、最終的に観客の同情を誘うことが多い。しかしそれに対してダルデンヌ兄弟は、観客にその解釈を任せている。寓話的で、いろいろな解釈が可能であり、道徳学の実験をしているようでもある。登場人物の生活の中に、依存や性的な不安が存在することを許容しており、最後には、確かな明らかにするわけではないもののそういった問題の存在を感じさせている。人物像を多面的に見せ、余韻をもたせて最後の解釈は観客に預けるというやり方が何ともダルデンヌ兄弟的であり、観客の興味を引くところである。 カンヌ映画祭に正式出品され、すでに数々の映画祭で受賞している。また、アカデミー賞外国語映画賞のベルギー代表にも選ばれており、オスカーの行方も注目である。日本での公開は、2015年5月。 則定彩香 横浜国立大/新文芸坐シネマテークゆるキャラのりさだちゃん。https://twitter.com/nnnorisada 参考 http://www.filmcomment.com/article/review-two-days-one-night-dardennes

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2014年12月25日木曜日

Check Out Jack O'Connell's Bloody Eye in the Poster for 'Unbroken' by Angelina Jolie -...

[World News #147]  アンジェリーナ・ジョリー監督 “Unbroken”  クリスマスの今日、米国でのプレミアを迎える、女優のアンジェリーナ・ジョリーがメガフォンを撮った『Unbroken』が物議をかもしている。本作は太平洋戦争にあって捕虜として日本陸軍から虐待を受けた経験を持つイタリア系アメリカ人、ルイ・ザンペリーニ(Louie Zamperini)氏の生涯を描いた作品だ。今年7月に鬼籍に入ったザンペリーニ氏は戦前、「ヒトラーのオリンピック」として知られる(レニ・リーフェンシュタールの『オリンピア』で有名な)1936年のベルリン・オリンピックでアメリカ代表として5000メートル走に出場した陸上選手でもあり、ランナー時代の彼の姿も本作で描かれている。脚本はコーエン兄弟が担当する。  本作はローラ・ヒレンブランド(Laura Hillenbrand)氏が2010年に上梓し、ベストセラーとなった同名の書籍を下敷きにしている。作品は、ザンペリーニの生涯を讃える内容であるが、その中では日本軍によるザンペリーニ氏への暴行・虐待行為が描かれており、宣材として使われているポスターは確かに過激といってよいものに見える(※1)(このポスターは複数あるうちのひとつ)。本作品のこうした側面が、インターネットを中心に波紋を呼んでいる。  欧米主要メディアの反応は様々である。英国のGuardian誌では、本作は「語りの変奏や、キャラクターの繊細さといった不必要な装飾を施すこと無く、彼(ザンペリーニ)の驚くべき勇気と生還の物語を描いた」作品として賞賛されている(※2)。アメリカ国内では賛同の声も多い中、ニューヨーク・タイムズ誌は本作を「アカデミー賞獲得へのキャンペーン映画」(※3)であるとこきおろす。  ジョリー氏は、幾度かのゴシップを経て、現在は俳優のブラッド・ピット氏と夫婦の関係にある。慈善活動に力を入れていることでも知られる彼女がメガホンを取るのはこれが二度目で、前作はボスニア・ヘルツェゴビナ内戦を扱った『最愛の大地』(2001)であるが、筆者は未見であるため、今作がどのような作品であるかは、さしあたっては予告編を見て判断するしか無い(※4)。コールドプレイが本作へのサウンドトラックを提供したことや(※5)、ジョリー氏が水疱瘡にかかってハリウッド・プレミアを欠席したことなど(※6)は、日本メディアでも報じられた。  太平洋戦争を背景として旧日本軍が描かれており、かつ戦勝国の監督が製作していることから、日本国内で物議をかもすのは、当然といえば当然である。しかし仮にこれが、日本の作家が作った作品であったらばどうだろうか。結局のところ、作品の評価というものは、作品を見て判断するしかないことだろう。果たして、日本での公開はされるだろうか。   (※1)http://ift.tt/1zUWvfC (※2)http://ift.tt/1Gyi0pp (※3)http://ift.tt/1AFcJe8 (※4)http://ift.tt/1xYURbv (※5)http://ift.tt/1pF0Y4M (※6)http://ift.tt/1zUWto6 井上遊介

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2014年12月23日火曜日

[World News #147] 映画学校は本当に役に立つのか?  現在、日本にも数多くの映画学校が存在し、有名映画人がそこで教鞭を執っています。また、マーティン・スコセッシなど映画学校出身の映画作家も多く、近年ではむしろ映画学校で学んだ経験のない映画人を探す方が難しいかも知れません。しかし、映画学校で学ぶことは本当に必要なのか。あるいは少なくとも役に立つのでしょうか。映画学校の学費は年々高騰し、一方で映画製作費はデジタル化によって劇的に下がりました。映画製作を学ぶよりも、実際に自分で撮った方が良いのではないでしょうか。こうした疑問を、IndieWireのポーラ・バーンスタインがインディペンデント映画作家たちにぶつけ、彼らからの回答をまとめています(#1)。様々な立場からの異なった意見が存在し、バランスの取れた議論となっていると思われますので、その幾つかを抜粋して紹介します。 ------------------------------------ アンナ・リリー・アミールプール Ana Lily Amirpour 映画作家(代表作『ア・ガール・ウォークス・ホーム・アローン・アット・ナイト』) 同作品により、2014年最も期待すべき映画作家の一人として様々な賞を受けた ------------------------------------  以前、こう言ったわね。「映画作りというのはセックスみたいなものよ。やり方は一つじゃないの。そしてそれを学ぶには、自分でやってみるしかない」。今でもこの通りだと思うし、付け加えるなら、他のアーティストの作品作りを手伝うための場所は道具として使えるってことね。私はUCLAの映画学校で脚本を学んだけど、それがLAに引っ越す格好の理由になった。そこで何人かの良い友達と会ったし、その一人は私の映画編集者になったわ。あそこでは2年間で5本の長編映画脚本を書いた。でも、私は映画学校で映画作りの方法を学んだり、物語を語る方法を学べるなんて期待してなかった。だって、そんなことできないから。  映画学校は道具であって、道具はそれ自体では役に立たないものだと思う。道具が目的を持つには、他に沢山のものが必要なのよ。それは、他の何かを作るためにあるものなの。でも、道具になるのは映画学校ばかりじゃない。映画を見ることだってそうだし、好きな作品の脚本を読むこと、好きな監督のDVD特典を見てその舞台裏を学ぶこと、カメラを手にして作品作ってみること、世界を旅して回ること、本を読むこと、音楽を聴くこと。自分がクリエイティブになれて、自分がやってることや人生そのものに魅了されることであれば、何でも道具にするべきなの。映画というのはまさに人生を生きることであって、これは映画学校で得られるものじゃないわ。ヘルツォークがまさにそれを言い当ててたけど、彼はこう言ったの。「アフリカで生きるボクサーは、彼が世界で最高の映画学校を卒業するよりもフィルムメイカーとして相応しい訓練を受けている」。 ------------------------------------ アーロン・カッツ Aaron Katz 映画作家(代表作『コールド・ウェザー』『ランド・ホー!』) マンブルコア派の重要な作家の一人と呼ばれている。 ------------------------------------  僕にとって、映画学校に通った経験は二つの意味で重要だった。一つ目は、そこで実践的なアイディアを得られたこと。つまり、映画作りの技術的な側面だね。僕の学校は映画作りのスタイルに於いてとても保守的で、そのおかげで僕らは、映画作りが伝統的にどのようにあるべきものだったか理解できた。僕は、そこで学んだ方法からしばしば逸脱するんだけど、でもああした基礎があるおかげで、自分の見つけた新しい手段が有効だって逆に分かるんだよ。二つ目に重要なのは、そしてこっちが一番大切なんだけど、その後の人生で映画作りの協力者になってくれた沢山の人たちと出会えたことかな。 ------------------------------------ ロバート・グリーン Robert Greene 映画作家、編集者(代表作:『アクトレス』『フェイク・イット・ソー・リアル』) 「インディペンデント」誌が選ぶ、10人の最も注目すべき映画作家2014にリストアップされたドキュメンタリー映画作家。 ------------------------------------  私は映画教育の重要性を強く信じている。だからこそ、他の全てを捨てて、ミズーリ大学ドキュメンタリージャーナリズム科の創設に関わることにしたんだ。しかし、そこで学生たちに伝えたいのは、私自身が持つ基本的な信念に基づく。それはつまり、「正しい映画学校」なんてものは時間の無駄でしかないってことだ。確かに、完全に無駄ではないかも知れない。若者たちが自分で探求したり作業するための時間を持つことはいつだって良いに決まってる。そしてそれが、映画学校の提供できる最高のものなんだ。だが、私の経験で言えば、学生にとってもっと良いのは、他のフィルムメイカーの現場に入る術を見つけることだろう。例外はある。カリフォルニア芸術大学やハーバード大学感覚民族誌学研究所などがそうだ。しかし、大抵の映画授業ってのは、次のクリストファー・ノーランになりたがってる子供たちを捕まえて、彼らのポケットから金を吐き出させるための装置でしかないように見える。私はミズーリでそれよりもうちょっとマシなことができればと望んでいるんだけど。私自身はニューヨーク市立大学で映画を学んだが、それが良い経験だったとは言えない。 ------------------------------------ アレックス・ロス・ペリー Alex Ross Perry 映画作家(代表作『カラー・ホイール』『リッスン・アップ・フィリップ』) 『リッスン~』でロカルノ国際映画祭審査員特別賞を受賞。次世代のアメリカ映画を担う人材の一人として期待されている。 ------------------------------------  こうした議論を、映画学校が役に立つか/そうでないかという二者択一に押し込めるのは単純化しすぎだと思う。どんなものでも、ある人に役立つ場合があれば、別の人には役立たないってことがある。思うに、映画作家になりたい人間にとって、「単なる学生」として他に何もしなくて良い贅沢を与えられるのはこの上ないポジションなんだ。「本当の人生や仕事や責任」なんかから離れて「単に映画が作りたいだけ」の数年間を過ごして、それを役立てることができるかどうかは、その学生次第だ。僕の経験では、授業とバランスとりながら、クラシック映画見に行ったり、ビデオ屋の店員として仕事する中で知識を仕入れたりするのは、素晴らしいことだった。もし、たいていの学生が普通の学校でするように、お楽しみの間の義務のようなものとして映画学校に通っていたとしたら、僕は単に単位を取っただけで、映画作家にはなっていなかったに違いない。 ------------------------------------ ハル・ハートリー Hal Hartley 映画作家(代表作『トラスト・ミー』『シンプルメン』) ------------------------------------  僕は1980年から84年まで、ニューヨーク州立大学パーチェス校に通った。それは低中所得者階級向けに作られた学費の安いアートスクールで、奨学金まで付いていた。ここに通えたのは、僕の人生で最高の出来事だったよ。毎月185ドルの奨学金を返し終えたのは、2作目の長編『トラスト・ミー』を撮り終えて数年経ってから、1992年ごろだったのを覚えてる。卒業してから7年後だね。  当時、映画作りに関わる様々な作業を学ぶことが、学科の中心になっていた。しかし、僕らの先生は、映画作り以外の興味を僕たちが持つよう強く勧めていた。僕らが自分自身の力で自分が関心を持てる対象を見つけること、そしてそれを表現する適切な手段を見つけることこそがその目的だったんだ。  教育は大切なもので、時間を費やすに相応しいと僕は思う。どんな教育であっても。映画教育に関しては、最近ではラップトップで学べるし、カメラも安い訳だから、それ自体としてさほど重要な物ではなくなったと思うけど。(80年代には、映画撮影装置を使えるってだけで意味があったんだ。)  でも、若い人たちは出世競争から離れた場所で自分の作品を向上させる機会を持つべきなんだ。人間としても学び、自分が本当に興味を持つ対象を探し、商売の世界で成功するプレッシャーとは無縁に自分の感覚を養う。挑戦して失敗しても許されるような場所でね!だって、ものごとを学ぶってのはそういうことだから。保護施設だね。束の間の。苦痛や悩み、妥協や失望なんてものは、どうせその後味わうことになるんだから。 それに、目的がハッキリしてそのための情報も経験も豊富に持った大人に囲まれて学んだり作業する機会を持つことができるわけだし。 僕は、自分があんな安価に教育を受けることができて、いつか罰が当たるんじゃないかって感覚をずっと拭い去ることができなかったくらいだよ。 大寺眞輔(映画批評家、早稲田大学講師、その他) Twitter:http://ift.tt/NSy3rx Facebook:http://ift.tt/1knGQPv blog:http://blog.ecri.biz/ 12/26(金)19:00『私たちの好きな八月』 ミゲル・ゴメス特集@新文芸坐シネマテークにて上映! http://ift.tt/1uR44n5 #1 http://ift.tt/1GGgamw

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2014年12月20日土曜日

[World News #146]ソニー・ピクチャーズの映画『The Interview』が公開中止に、北朝鮮によるサイバー攻撃が原因? 今月18日、ソニー・ピクチャーズは12月25日から公開予定だった映画『The Interview』の公開中止を決定した。映画『The Interview』は北朝鮮を題材にしたコメディ風刺映画。セス・ローゲン、ジェームズ・フランコ演じる2人組が金正恩を殺害するため北朝鮮に送られる、という設定だ。フィクションであるといえども「北朝鮮のリーダー金正恩を殺害する」というプロットに、北朝鮮側は公開発表直後から強い反発を示していただけでなく、その過激なテーマにはアメリカ国内の政府関係者、国民からも批判的な意見が寄せられ物議を醸していた。公開直近の今週、アメリカの大手映画チェーンが上映不可との判断を下したのち、ソニー・ピクチャーズが公開中止を決定した(*1)。 ソニー・ピクチャーズは11月下旬から、“Gurdians Of Peace“と名乗るハッカーから攻撃を受けシステムがダウン。同月17日にはジョナ・ヒル、キャメロン・ディアス、アンジェリーナ・ジョリーといった映画俳優や従業員のパスポートやビザのコピー、ビジネス文書といった多数の機密ファイルが公開されていた。さらには『フューリー』『アニー』といった公開前の作品が少なくとも5本流出していたことも発覚(*2)。11月24日には全システムがダウンし、その際には、ソニー・ピクチャーズ・エンタテイメントのCP画面に「Hacked By #GOP」という言葉とともに「我々はすでに警告した。要求に従わなければ取得した機密データを世界中に公開する」という脅迫文が表示されていた(*3)。今回の出来事は刑事問題だとして、ソニー・ピクチャーズは司法当局と調査を進めるなか、『The Interview』の公開が迫っていることから、北朝鮮と今回のハッキング事件の関連性を調査していた(*4)。その矢先、“クリスマス・プレゼント“と称してPastebinをはじめとする共有サイトに以下のような書き込みがあったことから、今回の一件と北朝鮮との関連性が明らかになった。 *ハッカー集団“Guardians Of Peace”により投稿された文章(*5) 映画『The Interview』が先行上映を含めて公開されてしまえば、面白がっていた者たちに我々は悲惨な運命を与えるだろう。そしてソニー・ピクチャーズ・エンターテインメントがいかに不愉快極まりない映画を製作したのかということを世界中が知ることになるだろう。 世界は恐怖によって包まれることになる。 2001年9月11日のことを思い出すがよい。 我々はお前たちに、その日、その場所には近づかないことを助言する(もし自宅が付近にあるならば、その日は外出しておいたほうがよいだろう)。 その日に起こる出来事はすべて、ソニー・ピクチャーズ・エンターテインメントの汚い欲が招いたものである。 世界がソニーを非難することになるだろう。 4200万ドル(約50億円)もの予算で製作されるも公開直前で見送りとなってしまった『The Interview』。今後この作品が明るみに出ることはあるのだろうか。なお、YouTubeで閲覧可能だった予告編はここ数日で非公開動画となっている。 記事・内山ありさ(早稲田大学) *1 Sony cancels The Interview release amid threats http://ift.tt/1J4uQxU *2 ‘Fury,’ ‘Annie,’ 3 More Sony Pics Leak Online After Hack Attack http://ift.tt/1yrzEaM *3 Sony Movies Leak Online After Hack Attack http://ift.tt/1v0prx4 *4 Sony Pictures Investigates North Korea Link In Hack Attack http://ift.tt/1w1NGl9 *5 Sony Pictures hackers make terrorist threat against opening of “The Interview” http://ift.tt/1ACNJC1



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2014年12月18日木曜日

NED RIFLE

[World News #145]ハル・ハートリー監督の新作がこの春にVIMEO ON DEMANDで先行配信されるそうです。 今年、日本未公開作を含む特集上映が全国で行われ、すでにDVDも発売されるなどしてハル・ハートリー監督は再度その名を広めました。そして今年、彼の新作『NED RIFLE』がトロント国際映画祭でプレミア上映されました。この新作『NED RIFLE』がアメリカでの劇場公開に先立ちVIMEO ON DEMANDというサービスで先行配信されるようです。ハル・ハートリー監督は独特のスタイルを持ったアメリカのインディペンデント映画監督ですが、彼の映画監督としてお金を稼ぎ生きていく方法、は非常に柔軟です。 彼は新作を撮るためにKICKSTARTERで資金を募った結果、1ヶ月で39万ドル以上もの資金を見事に調達し撮影を開始することが出来ました。こうしたやり方はいわゆるクラウドファンディングと呼ばれるもので、何人もの監督がこの方法で自身の映画を撮っており、ハル・ハートリー監督もその一人になります。 Indiewire誌のインタビュー(*1)で「クラウドファンディングは面白い。何をするべきかどのように行うべきかを知るのにとっても役に立つんです、何故なら産業はどんどん変わっていってるからね。(…)劇場で公開することはほとんどの場合、そのあとに考えることだよ。」と語ります。劇場公開のプロセスまでを含めて予算を集めて制作を行う“賭け”のようなスタイルとは異なり、クラウドファンディングでは劇場公開はそのあとに考えられるものになります。自分の作品を見てくれるひとによびかけるため大きなリスクが減り、多くの出資者の声を聞くことも可能になります、また同じ理由で作品の自由度が上がります。 また、同誌での別の記事(*2)内で「インディペンデント映画監督のなかでも未だに映画は映画館で上映されるのが正統である、と考えてる人たちが多くいます。そして彼らは映画がとても好きです。私も多くのそうした友人を持ちますが、彼らはこう言います、映画は好きだが自分のビジネスモデルと上手くいかない、とね。」そして「もはやまったく劇場にこだわっていません」こうハル・ハートリー監督は語ります。 このように柔軟に現在の状況と向き合いながら、彼は自身の制作を続けます。しかし、同記事(*2)によれば、「その新作が高評価であったにも関わらずどこでもロードショーされないようです。」しかし彼はもはや劇場にこだわらないので、「その代わりにとった方法がVIMEO ON DEMANDでの公開だった」ようです。 また、「VIMEO ON DEMANDでの公開は収入の10%をVIMEO側の利益にすることでその宣伝を受け持つというのです。従来の制作スタイルと最も大きな違いは、権利が監督の側にある」ということのようです。そして「ハル・ハートリー監督が述べるには、クラウドファンディングによるものや自主制作は「1ドルを生みだせばすでに映画は利益を出しています、その時点で映画は既に完済されていますから。」というものになります。このような映画の公開スタイルでは従来と違い、彼に言わせると「より多くの収入が私の下に入ってきます」」と語られます。 このようなハル・ハートリー監督の自由かつ柔軟な発想は、もしかしたら彼の自由な映画のスタイルと大きく繋がっていると言えるかもしれません。こうした制作方法も彼の映画の魅力と呼ぶことは出来るのではないでしょうか。 KICKSTARTERでの『NED RIFLE』のページ http://ift.tt/1gfBzTE (*1) http://ift.tt/1sAA90m (*2) http://ift.tt/1uwloZA 三浦 翔 横浜国立大学3年/映画雑誌NOBODY http://ift.tt/1ofDLiA http://ift.tt/1iv7YL4

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2014年12月16日火曜日

And Soon the Darkness (2010)

[World News #144] アルゼンチンの映画協会がホラー映画ファンドを設立  アルゼンチンの映画、といわれてみなさんどんな一本が思い浮かぶでしょうか。日本ではさほど馴染みがないように思われるかもしれませんが、渋谷アップリンクとアテネ・フランス文化センター共同主催の企画として、今年2月には「アルゼンチン映画の秘宮」(#1)、9月にはアルゼンチンの若き才能として注目を浴びるマティアス・ピニェイロの特集上映(#2)が行われるなどその評価は徐々に高まりつつあるといえるでしょう。  またアルゼンチン本国では、2004年に「成瀬巳喜男監督映画祭」が開催、翌月にアンコール上映も行われており、世界各国の映画とともに日本映画も現地の人々に受容されているようです。  そんなアルゼンチンの映画業界がじきに、ホラー映画の分野で大きく飛躍するかもしれません。南アメリカにおけるホラー映画のジャンル的な発展を目指して、この分野の映画製作に政府が助成金を給付するファンドが設立されたことをIndiewireが報じています。(#3)  この一件は、ブエノスアイレスに拠点を置くサン・テルモ・プロダクションズのブログ内で発表されました。記事を書いたベンジャミン・ハーギンディー氏によれば、アルゼンチン出身でINCAA映画協会の会長を務めるルクレシア・カルドーゾによって設立されたこのファンドは、資金を供給することになる2作品の企画選出後、すぐに出資の呼びかけを開始するよう予定されているということです。    近年のアルゼンチン・ホラーの多様性について、ブログ内では吸血鬼が登場する『Darkness by Day』(2013)や、3Dでジャーロの世界観を体験する『Necrophobia 3D』(2014)、そして今年度のベルリン国際映画祭で批評家からの絶賛を浴びた『The History of Fear』(2014)などが代表に挙げられています。また、オカルトものの『Jennifer’s Shadow』(2004、フェイ・ダナウェイとジーナ・フィリップス出演)や、70年代のイギリススリラーをリメイクした『And Soon the Darkness』(2010、アンバー・ハードとカール・アーバン出演)といった作品は、米スタジオとの共同プロデュースにより製作されているということから、今後の国際的な製作提携にも一層期待が高まることでしょう。  この動きに伴う、アルゼンチンの映画祭事情についての記事がVariety上で公開されています。(#4)記事によれば、ファンド設立の動きと並行して「Blood Window(ブロード・ウィンドウ)」という単独のホラー映画祭が来年度から開催予定にあるといいます。この「Blood Window」とは本来Ventana Sur(ベンタナ・シュール)というローカルフィルム・マーケット内の部分的な催しとして2013年から行われていたものであり、来年度からは2000年から続く伝統的な「Rojo Sangre(ロホ・サングレ)」という映画祭と提携して本格的に開かれることになるようです。ブエノスアイレスで開催予定のこのホラー映画祭は、INCAAとカンヌの架け橋である12月初旬のラテンアメリカフィルム・マーケットと同時並行で行われることもあり、必然的に観客・業界共々の注目を集めることになるでしょう。  そのラインナップは、「Blood Window」の主催側と各国のジャンル映画祭――ファンタスティック映画祭(米・オースティン)、シッチェス・カタロニア映画祭(スペイン)、富川国際ファンタスティック映画祭(韓国)、モルビド映画祭(メキシコ)――のプログラム選定者により決定されることになっています。この中には、スペイン最大の映画祭、サン・セバスティアン国際映画祭のディレクターを務めるホセ・ルイス・レボーディノスもその名を連ねています。  以上のような動きの背景として、2014年を通じて選りすぐりのアルゼンチン映画が次々に予想以上の興行収入を収めたこともあり、アルゼンチンの映画業界には今後一層活発な動きが起こることが期待されます。ホラー映画は長年B級の烙印を押されてきたジャンルですが、映画におけるジャンルとは何か、という問いは今後改めて問い直される必要があるといえるでしょう。 早稲田大学文化構想学部4年 西山 晴菜 #1 http://ift.tt/1IW0bCS #2 http://ift.tt/1nMDDHA #3 http://ift.tt/1x9OAfQ #4 http://ift.tt/1u0BtsZ 『Darkness by Day』(2013) http://ift.tt/1IW0dL3 『Necrophobia 3D』(2014) http://ift.tt/1whIjZH 『The History of Fear』(2014) http://ift.tt/1IW0dL7 『Jennifer’s Shadow』(2004) http://ift.tt/1uRq79d 『And Soon the Darkness』(2010) http://ift.tt/1hFGVIv

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2014年12月14日日曜日

Hope For Film

[World News #142] 産業の未来ーー8つの予言ーー  テッド・ホープ氏はインディペンデント映画のプロデューサーです。氏が製作に携わった作家としては、アン・リー(『ライフ・オブ・パイ』)、ハル・ハートリー(『シンプルメン』『愛・アマチュア』)、ミシェル・ゴンドリー(『エターナル・サンシャイン』『ムード・インディゴ うたかたの日々』)などが名を連ねます。    氏は自身のブログ(※1)でインディペンデント映画を中心に、産業についての先駆的な予測や考察を発信してきました。今回紹介するのはIndie Wireに掲載された氏の記事「映画の未来についての8つの予言」です。この記事からは、ソーシャルメディアや、動画配信の存在感の大きさ、また大手企業のこれまでの経営に対してハッキングという行為がいかに脅威的か、ということなどが感じられると思います。Indie Wireに掲載されていることからもわかるように、氏の立場はインディペンデントなーーこの場合、予算が少ない作家という意味合いが大きいでしょうーー映画の作り手は、こうした新しいメディア、産業システムの変容を「利用」することで、自身の製作に活かすべきだというものです。  とはいえ、日本と米国での産業環境の違いも考慮に入れ、こうした予測は鵜呑みにできるものではなく、また筆者は必ずしもホープ氏の予測に全面的に賛同する訳ではないということも付け加えさせてください。しかしながら同時に、筆者の感触としては、特にウェブを積極的に利用しようとする映画人には、この記事で語られている姿勢の一部は、先駆的であるというよりは、ある種の定説であるのではないかとさえ思います。そういう意味では、日本で暮らす私たちにとっても、無視できない動向について語られているのではないかと思います。 1、非営利的な興行の体制が、今後、地域を問わず映画産業を先導するだろう。  ーー産業の抜本的な改変が迫っている。特定の国が主導するのではなく、世界規模で起こるだろう。サンダンス映画祭、BFI(英国映画協会)、アジア諸国、ラテンアメリカ… 各国でこの動きは始まっているーー 2、大手産業はEメールの内容に気を使わざるをえなくなる。 ーーウィキリークス、スノーデン、そして今回のソニーのハック事件…。業界大手の社員マニュアルには、メールでの言葉の使い方についての細かい指導が加わることになるだろうーー 3、観客は映画を見ながらツイートし、スクリーン上にそれらが表示されるようになる。 ーーもちろん、これを受け入れられない人もいるだろう。映画は神聖なものであるのだから。しかし、これをビジネスにして、映画館側が資金を得るという可能性もある。中国ではそのような動きも始まっているようだーー 4、シネフィルにとって、DVDを購入することは「クール」な行為とみなされるようになる。 ーー音楽産業でアナログレコードが辿ったように。ある種のファッションとしてーー 5、中編作品が作家にとっても、観客にとっても一般的なものになるだろう。 ーー我々には時間がない。観客にとって、70分という尺は、かつての90分映画がそうであったように、魅力的な上映時間となるだろうーー 6、米国での劇場公開と同時にインターネット上での動画配信(SVODなど)をする体制が増加するだろう。 ーーWeinstein社(タランティーノなどの作品を配給する独立映画会社)が「St. Vincent」でこの動きを見せている。海賊版の流通を封じ、ある種のブランド化の効果もあるだろうーー 7、ウェブ上では複数作品の一括配信が進むだろう。 ーーSVOD配信は、例えば25作品を同時に配信するような方向に進むだろう。消費者にわかりやすい選択肢を与えるためにーー 8、GoogleやApple、あるいはAmazonは、制作会社やスタジオを買収するだろう。  ーーGoogle、Appleなどの新しい産業は、資産運営や、物資の管理の方法が非常に優れている。映画の流通システムを考えるとき、こうした会社が映画会社よりも運営面で勝ってしまう可能性があるーー 引用元記事:http://ift.tt/1zImqId ※1 ホープ氏のウェブサイト:http://hopeforfilm.com 文責: 井上遊介

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2014年12月11日木曜日

[World News #141] 25年目の『ドゥ・ザ・ライト・シング』!  サミュエル・L・ジャクソンが観客に向かって「ウェイク・アップ!」と叫んだのが1989年(日本公開はその翌年)。スパイク・リー監督・主演によるこのド派手で極彩色の陰惨なコメディ『ドゥ・ザ・ライト・シング』(#1)が、人種差別にも階級闘争にも解決などなく終わりなど存在しないと強烈に宣言してから、今年でもう25年経つ。当時、大学を卒業したばかりだった私は、友人の家でまだ公開前だったこの作品のスクリプトを読んだことを覚えている。パンフレット用にシナリオ採録を書き起こすアルバイトをしていたとのことだが、今の学生には到底信じがたいであろう高額ギャラをもらっていると聞いた。それがバブル時代。あれから日本も世界も大きく変わったように思う。しかし、その根本的な部分ではどうだろう。私たちは果たしてサミュエル・L・ジャクソンのパンチで目覚めただろうか。差別や貧困はもはや過去のものとなっただろうか。  いや、差別にも貧困にも解決などなく終わりなど存在しない。事実、現在のアメリカは再び人種差別問題によって大きく揺れている。ミズーリ州ファーガソンで起きた白人警官による黒人青年射殺事件がその最大の発火点だ。警官が大陪審によって不起訴処分となった後、この決定への抗議行動は全米へと燃え広がっている。そして事件は、ファーガソンだけにとどまらない。ニューヨーク市警の白人警官もまた、課税対象外のタバコを販売した罪で黒人男性を逮捕した際、その背後から首を締め死亡させてしまったのだ。この場合もまた、当該警官は不起訴処分となった。そして、この事件がニューヨークに住む多くの住民たちの記憶から呼び覚ました一本の映画こそ、ちょうど25年前に公開された『ドゥ・ザ・ライト・シング』であったのだ。  このスパイク・リー作品で、大きなラジカセを常に抱え、パブリック・エネミー『ファイト・ザ・パワー』を大音量で流し続けていたレディオ・ラヒームは、物語終盤、白人警官の手によって背後から絞め殺されてしまう。それはまさに、25年後の現在をそのまま予言したかのようだ。この不吉なイメージの一致にインスパイアされ、ニューヨークで一つの興味深いイベントが開催された。『ドゥ・ザ・ライト・シング』スクリプトのライブリーディングである。主催したのは、「合衆国で同じアメリカ人の人権が暴力的に侵害されていることに強い関心を持つ市民たちのネットワーク」(#2)である「Blackout for Human Rights」だ。この無料イベントには、オリジナルキャストを含む俳優たちが多数出演し、ニューヨークのリンカーンセンターを舞台とした(#3)。また、開催された11月28日金曜日は、感謝祭翌日であり、アメリカで最も小売店の売り上げが黒字になるとされることから「ブラック・フライデー」と呼ばれる日でもあった。その黒字のブラックを黒人のブラックへと読み替えようという遊戯的意図がこのイベントには込められていたわけだ。  ニューヨークでの二人の黒人犠牲者に捧げられたこの朗読会は、『フルートベール駅で』監督ライアン・クーグラーと『Newlyweds』監督シャカ・キングによって演出され、『フルートベール駅で』に主演したマイケル・B・ジョーダン、そしてオリジナル作でもピノを演じたジョン・タトゥーロらが出演した。クーグラーは、次のようにコメントしている。「(Blackout for Human Rightsの)ブラックアウトというテーマは、11月28日金曜日を消費者精神(コンシューマリズム)ではなくアクティビズム精神の日へと変化させるものだ。これを踏まえ、私たちはスパイク・リー作品のライブリーディングを行うことが、人々にショッピング以外の別の楽しみを与えることになると考えた。」(#4)  75席のキャパしかない会場では、数時間前から300人以上の観客が列をなしてその開演を待ったという。そして、朗読会がクライマックスにさしかかり、レディオ・ラヒームが警官によって絞殺される場面が朗読された瞬間、俳優たち背後の巨大スクリーンにはファーガソンのイメージが映し出され、会場は沈黙に支配されたとのことだ。その様子をリポートしたIndieWireのGreg Cwikは、次のように文章を結んでいる(#5)。「四半世紀経った現在、それでも『ドゥ・ザ・ライト・シング』がこれほどアクチュアルな問題を私たちに突きつけるのはあまりに驚くべき事だ。それは過去の遺物となるべきものだったのだ。でも、そうじゃない。それがトゥルースなんだよ、ルース!」 大寺眞輔(映画批評家、早稲田大学講師、その他) Twitter:http://ift.tt/NSy3rx Facebook:http://ift.tt/1knGQPv blog:http://blog.ecri.biz/ 12/19(金)19:30『自分に見合った顔』 12/26(金)19:00『私たちの好きな八月』 ミゲル・ゴメス特集@新文芸坐シネマテークにて上映! http://ift.tt/1uR44n5 #1 http://ift.tt/sJ368d #2 http://ift.tt/1FsNevM #3 http://ift.tt/1yJ0zQs #4 http://ift.tt/1xFINcJ #5 http://ift.tt/1z9g6XW

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2014年12月10日水曜日

«White God», et un chien vivant après elle

[World News #140] カンヌの「ある視点」部門グランプリ受賞作品 サミュエル・フラーの“White Dog”ならぬ、コーネル・ムンドルツォの“White God”、アメリカとフランスで公開へ    今年のカンヌでは2匹の犬が観客に強い印象を残した。1匹はジャン=リュック・ゴダールの『さらば、愛の言葉よ』に出てくるゴダールの愛犬、ロクシー・ミエヴィル。そして、もう1匹はコーネル・ムンドルツォの“White God”に出てくるヘイゲン(兄弟犬、ボディとルークによって演じられている)。いずれの3匹とも、パルム・ドッグ賞を獲得している。  “White God”は政府が純血犬を保つために、雑種犬を飼う世帯に対して、租税を徴収するという事態となり、少女リリーの愛犬ヘイゲン(ラブラドールの雑種)は、彼女の父親によって強引に街へ捨て去られる。街をあてもなく彷徨っていたヘイゲンはほどなくして他の雑種犬たちと共に捕らえられるが、自分たちを虐げた人間たちに復讐すべく、反旗を翻すといった物語のようだ。(*1)  本作はハンガリーの映画監督、コーネル・ムンドルツォがJ.Mクッツエーの『恥辱』からインスピレーションを経て作られたものらしく、(*2) 映画のコンセプトと題名がサミュエル・フラーの“White Dog”(『ホワイト・ドッグ 魔犬』(1982))と非常に似ていることから、各方面で対比として頻繁に参照されている。しかし、両者とも人種差別を犬というメタファーに置き換えて描く、社会風刺映画の側面を持ち合わせているものの、全く異なる内容である。(*1) (*3)  また、その物語の内容から『猿の惑星:創世記』なども思い浮かばせるかもしれないが、“White Dog”ではCGは一切使われておらず、また犬たちは人間たちのように喋ることもない。何より、200匹の犬が無人と化したブダペストの街を荒々しく駆け抜けていく映像は圧巻とのこと。その光景は予告編で垣間見られる。 “White God”予告編 http://ift.tt/1IxXhUI  元カイエ・デュ・シネマ編集長のジャン=ミッシェル・フロドン氏は: 「この映画が真の意味で成功しているのは、やはりセンスと感性の巧みさにある。コーネル・ムンドルツォはフレームとリズム、そして距離に対して、力強く、注意深いセンスを有している。彼は一匹の犬の孤独なレースや、犬の群れが街を荒らす軍隊へと変わる姿と同じくらい、リリーを演じる若き役者、Zsófia Psottaの顔と身体もよく映している。ブダペストをラブラドールの高さから撮影することで、彼は人間たちを驚く明敏さによって再発見している。まるでエネルギーが川のように、天井がない監獄へと変貌した街のあいだや、夢幻的な場所、戦場を流れていく。」(*4)  本作はIndieWireやカイエ・デュ・シネマから、好評を博しているが、些か否定的なLes inrocksの見解と照らし合わせると、どうやら作品の特に後半部分、犬たちの反乱パートから興味深くなるような見解が多く見当たる。それに対して、前半部分はLes inrocksのSerge Kaganski氏によれば、退屈でありふれた犬と人間との関係が目立つとのこと。しかし、後半はヒッチコックの『鳥』やアベル・フェラーラの『ボディー・スナッチャーズ』を彷彿とさせる思いがけない怪作になるという。(*3)  IndieWireやカイエ・デュ・シネマからも、一見の価値がある作品としてプッシュされている、コーネル・ムンドルツォの“White God”。(*5) (*6) 監督自体、あまり日本では馴染みがないかもしれないが、2008年にカンヌ映画祭で彼の“Delta”という作品が国際映画批評家連盟賞を受賞している。願わくは、いつかゴダールが描く「犬」と比べてみたいものである。 「街中を駆ける犬というのは、美しい。特に、コーネル・ムンドルツォが撮影しているときは。」(*4) 楠 大史 http://ift.tt/1ieyRzU (*1) http://ift.tt/1AdFbkX (*2) http://ift.tt/1rUZTS0 (*3) http://ift.tt/1vdkbXd (*4) http://ift.tt/1GakWXc (*5) http://ift.tt/1AdFbl1 (*6)

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2014年12月8日月曜日

Reese Witherspoon Explains How Feeling Uninspired Led Her to Reinvention

[World News #139] リース・ウィザースプーン、変革の年?  先週末、リース・ウィザースプーンの主演最新作“Wild”がアメリカで公開されました。アメリカ西海岸を南北に縦走する自然歩道「パシフィック・クレスト・トレイル」を1770㎞、単独で踏破した女性シェリル・ストレイドの自叙伝を、ニック・ホーンビィ(『ぼくのプレミアム・ライフ』『ハイ・フィデリティ』etc.)が脚色し、昨年『ダラス・バイヤーズクラブ』でマシュー・マコノヒーにオスカーをもたらしたジャン=マルク・ヴァレが監督……と、これだけでも十分注目に値するこの作品ですが、やはり一番話題になっているのは主演のリース・ウィザースプーン(以下リース)の演技、そして彼女自身が製作を手掛けていることです。  “Wild”でのリースは険しい山道や雪の中を歩き続けるだけでなく、薬物を使用するシーンや激しいセックスシーンなど、文字通り体を張った演技を披露しているとのことですが、興味深いのはそういう作品を自らが起ち上げた製作会社パシフィック・スタンダードで、彼女自身が主導して製作したということでしょう。  Indiewireのインタヴュー(#1)でこの作品を作った経緯を聞かれた彼女は以下のように語っています。 「思い立ったのは2、3年前。ひらめいてこのプロダクション(パシフィック・スタンダード)を始めて、貪欲に読書をするようになって、みんなに声をかけて、そして(映画の)題材は芸術的好奇心に溢れた時間から生まれた。あらゆることが同時に起こったのは運命だったと思うわ」 「私の元に届いたり、オファーされる題材を読んでいると、オファーの数が減っているわけではなく、その題材のレベルが下がっているように思えた。たいして良くもない役柄を5~6人の女性で奪い合っているような状態で、私はこう考えたの。“ワオ、市場には紛れもない空白があるわ。その空白を埋めるのは女性映画への興味であり、間違いなく観客もそういう映画を求めている”ってね。でも明確に興味深い女性が主人公の映画を作ろうとしている会社は見当たらなかった。それで素晴らしい映画プロデューサーであるブルーナ・パパンドレアと一緒に自分たちの会社を設立したの。誰の指図も受けたくなかったから。そしてとにかく本を読んで読んで読みまくったってわけ」  そうやってリースが出会ったのが“Wild”の原作本“Wild: From Lost to Found on the Pacific Crest Trail”、そしてギリアン・フリンのスリラー小説“Gone Girl”でした。そう、彼女は今週末から日本でも公開されるデヴィッド・フィンチャーの最新作『ゴーン・ガール』のプロデューサーでもあるのです。つまり、彼女は製作者としても今年大きな成功を収めたことになります。 「私たちはブラッド・ピットの会社プランB、ジョージ・クルーニーの会社スモークハウス、それからドリュー・バリモアのフラワー・フィルムズをモデルにして会社を作ったの。必ずしも私が出演する企画を手掛けるわけではないわ。強く、ダイナミックで、複雑な女性が主人公の作品を作ることが私たちの使命よ。だからその役を演じるのは私でも、ローラ・ダーンでも、ナオミ・ワッツやニコール・キッドマンでも、才能ある女優はたくさんいるのだから、その中の誰かがやればいい。彼女たちと映画における女性について対話を続けていくことに興味があるのよ」  とは言うものの、実のところリースは『ゴーン・ガール』でロザムンド・パイクが演じた失踪する妻・エイミー役をやる気は満々だったようで、結局プロデューサーに徹することになった理由については、Hollywood Reporterに掲載された6人の女優による座談会(#2)の中で口にしているので、そちらも紹介しておきましょう。 「出演する用意はあったわ。でもデヴィッド・フィンチャーがあるプロジェクトをやりたいと言うときはいつだって口を挟まずに“やりたいようにやって”と言うべきなのよ。私たちはじっくり話し合って、彼が “君はこの役に合わない。それが理由だ”と言い、私も100%賛成したの」  出演は叶わなかったにせよ、リースは『ゴーン・ガール』で(おそらく“Wild”でも)プロデューサーとして成功し、そして、“Wild”で女優としても転換期を迎えたようです。ただ、『カラー・オブ・ハート』『ハイスクール白書 優等生ギャルに気をつけろ!』や『キューティ・ブロンド』などを観て、彼女のファンになった人たちにとっては、今後彼女がコメディ映画から遠ざかってしまわないか少し不安なところでしょう。  Indiewireのナイジェル・M・スミス記者が、「『キューティ・ブロンド』がヒットした当時、自分のキャリアがロマンティック・コメディによって制限されたと思うか」と彼女に質問したところ、彼女はこのように答えています。 「わからないわ。全ての女性、全ての女優の人生にはたくさんの局面があると思う。ひとつかふたつの局面しか訪れない人なんていないと思うのよ。絶えず新しいことに挑戦し続けることがアーティストの仕事だし、怖くて怯みそうになることでも、とにかくやるしかないのよ。目標に向かって前進したり、自分を作り直したりすることは、冷たいプールに飛び込むようなもの。先のことはわからないの! だって“Wild”への反応が散々なことだってあり得るわけでしょ? でもお客さんたちが私を違う見方で見てくれて、この作品を受け入れてくれるなら本当に感激だわ。観客たちも変わっていると思うし、もちろん私のファンも私と一緒に成長している。20歳の時に『キューティ・ブロンド』を観ていた女性はもう20歳じゃないのよ! 彼女たちは35歳になって、子供だっている。人生の酸いも甘いも経験している。だから彼女たちがスクリーン上で見ていた女性も彼女たちと同様に変わるべきだと思うわ」 黒岩幹子 #1 http://ift.tt/1w43O2S #2 http://ift.tt/1vpLvYU

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2014年12月7日日曜日

[World News #138]『プレジデント』とモフセン・マフマルバフ監督 ヨーロッパで亡命生活を続けるイラン人監督モフセン・マフマルバフの最新作『プレジデント』。ヴェネチア映画祭オリゾンティ部門オープニング上映作品、そして東京フィルメックスでは観客賞を受賞した本作は、2015年日本でも公開予定です。本作の映像、ストーリーそして監督の想いは多くの映画ファンをうならせました。 “舞台は老独裁者に支配されている架空の国。 ある日、クーデターが勃発。妻と娘たちはいち早く国を脱出してしまい、残された独裁者は幼い孫を連れて逃亡の旅に出る。ボロボロの服を着て旅芸人に扮した独裁者は、行く先々で自分の圧政のために苦しんできた人々を目撃する......。 大勢のエキストラを動員した冒頭のクーデターの場面を筆頭に、マフマルバフの演出力が全面に展開する。イラクのフセイン政権崩壊、アラブの春、ウクライナ紛争等々、近年起こった様々な事件を想起せずにはいられない力作である。”(引用:http://ift.tt/1wg4dCF 今回は、ヴェネチアでの会見とインタビューからマフマルバフ監督の『プレジデント』にかけた想いをお伝えします。 「本作の撮影はグルジアで行いましたが、それは撮影許可がおりたとりう理由のためであり映画のストーリーはグルジアとは無関係です。『プレジデント』が舞台となっているのは架空の国ですが、それはこの映画が世界中の今までの、現在の、そしてこれから誕生するであろう独裁政権の縮図だからです。大人は皆、どんな人物であろうと純粋な心をもってこの世に生を受けます。その純粋な子供たちの中には大人になる過程で神になるチャンスを得る人がいます。彼らはまるで神がやるかの様に、他者の運命をも支配しようとします。私たちの主人公もその神の一人ですが、突然神の地位から落ちてしまいます。老いた”プレジデント”は突然力を失った神の様な存在なのです。 本作は独裁政権をテーマとしている以上に暴力にも焦点をあてました。本作における暴力とは2つあります。それは独裁者が使う暴力、そしてもう一つは独裁者に反抗する革命がもつ暴力です。私たち人間の暴力は”地球”に影響を与えていると信じています。そしてこの暴力は日々増加しているように思われます。今現在の暴力の何十倍もの暴力が地球を支配した光景を想像してみてください。暴力に反逆できるのはたった一つしかありません。それは文化です。現在地球上を支配している暴力に対して、一人のガンジーと一人のマンデラでは足りません。私たちには彼らの思想を全人類に広める責任があります。 『プレジデント』のアイディアは8年前に遡ります。私は8年前、アフガニスタンのアマーヌッラー・ハーンのかつての宮殿に立ちその窓からカーブルの街を眺めていました。その時です、もしここに立つ”プレジデント”が孫を楽しませる為に街の電気をスイッチ一つで消したらどうなるだろうかと想像しました。それから数年後、緑の運動(2009年イラン)やアラブの春など世界中で国民による反乱が相次ぎました。それらのニュースを見て私は、アフガニスタンで頭をよぎった閃きを今一度深く掘り下げたくなりました。なぜ私たちは常に世界中のどこかで同じ様な問題を抱えているのだろうかと自問しました。独裁政権、大量虐殺そして反逆者たちによる革命、そして再び新たな独裁政権。この連鎖に終わりはあるのでしょうか。独裁者が独裁者となり得るには、彼一人の力ではなく、彼の取り巻きの存在が大きいのです。彼らは”プレジデント”にごまをすり、彼の写真を壁に飾ります。それに気づいていない私たちは民主主義を求めて”プレジデント”だけを代えますが、しかし代わったのは”プレジデント”ただ一人だけです、それでは民主主義になったわけではありません。独裁者の取り巻きそして全国民の意識も代わらなければなりません。」 by Sevin http://ift.tt/1jB6EEk 『プレジデント』:http://ift.tt/1wg4e9A 会見&インタビュー:http://ift.tt/1vsnw4A) アマーヌッラー・ハーン:http://ift.tt/1wg4dCL

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[World News #137]『Jauja』俳優ヴィゴ・モーテンセンが語る、「映画が撮りにくい世の中」 アルゼンチン・デンマーク合作『Jauja(原題)』が、アルゼンチンのマルデルプラタ映画祭で先月29日プレミア上映され、アルゼンチン人のリサンドロ・アロンソ監督、主演俳優のヴィゴ・モーテンセンらが出席した(*1)。 『Jauja(原題)』は、デンマーク人の父と娘が、デンマークからアルゼンチンのパタゴニアに船旅をするという19世紀を舞台にした物語である。旅の随行者と恋に落ち、消えてしまった娘を探す父親の不思議な旅から愛と死を語る本作。第67回カンヌ国際映画祭ある視点部門でも国際映画批評家連盟賞を受賞し(*2)、39歳という若手リサンドロ・アロンソ監督はいまやカンヌお馴染みの顔となった。 ベネズエラ、アルゼンチン、デンマークで育ったためにスペイン語、デンマーク語が流暢なヴィゴ・モーテンセン。彼の達者なデンマーク語も見ものな本作だが、マルデルプラタ映画祭において、ヴィゴ・モーテンセンの語った映画業界の現状が的を得ていて辛辣だ。 『Jauja』について彼は「デンマークとアルゼンチンの共同制作なのに、国からの資金援助がない。それどころか、デンマークでは公開すら決まっていないんだよ。答えは単純で、作品にヒットの匂いがしないからだろう」、 続けて「デンマークに限ったことではなく、世界中でますます映画が撮りにくい流れになってきている。確実にヒットが保証されたものでなければ、出資もされないし公開もされない、誰だってリスクを犯したくないものだからね。もちろん今までもそうだったが、しかし今状況はもっと複雑になってきている」、 「リサンドロのように、自主映画を撮る人々はいつどこにだっている。『つらい、映画を撮るのは辞めよう』なんて彼らは一言も言わない。ただ撮るだけ」。 自主映画・低予算映画にも協力的なモーテンセンだが、ハリウッド式の映画製作を見下しているいうわけでもない彼は「予算が沢山あるからこそ危ない橋を渡りたくないのも分かるし、全く新しいことができないのも納得。だからいつも大作は分かりやすい設定や演出ゆえにどれも既視感のある似たような作品になっているね」とコメント。 さらに、クリストファー・ノーランのSF大作『インターステラー』については「面白く観させてもらったが、ノーランは高予算でハイリスクな映画を撮る人間だと思った。これはノーランに対する批判ではないよ、作品は非常に面白かったからね。だけど、お金があれば誰だって“もっとできたのに、もっとやれたのに…”と思うもの。リサンドロは本当に予算なしで『Jauja』を撮ったからね」 記事・内山ありさ(早稲田大学) *1 Viggo Mortensen Talks About Taking Risks in Hollywood Filmmaking http://ift.tt/1r5qMrQ *2 JAUJA -Festival de Cannes 2014 http://ift.tt/1AGraNr



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2014年12月5日金曜日

'Inherent Vice' Will Screen in 70mm in Select Theaters. But is Bigger Always Better?

[World News #136] 70mm上映!?ポール・トーマス・アンダーソン監督新作『Inherent Vice』 トマス・ピンチョンの『LAヴァイス』を原作にした、ポール・トーマス・アンダーソン監督の最新作『Inherent Vice』については、過去に取り上げました。(*1)その最新作がアメリカで来週ようやく公開されるようです。しかし、驚くべきことに『Inherent Vice』は一部の限られた映画館において、35mmフィルムをブローアップさせて70mmフィルムで上映されるようです。 現在映画産業はデジタル化への移行が進み、35mmフィルム上映の出来る映画館がただでさえ少なくなっていくなか、70mmフィルム上映の出来る場所はほとんどなくなっています。日本では、最後の収容人数1000人を超える劇場でありかつ、多くの70mm上映を行っていた大映画館ミラノ座が今年12月31日に閉館することになっています。私たちは、もはやまったく70mmフィルムでの上映の噂を耳にしなくなっているほどです。現在話題の『インターステラー』(2014)も70mmフィルムで撮影されていますが、それはかたちを変えIMAXという最新技術を駆使したデジタル巨大スクリーンで上映されています。 70mmフィルムの魅力は、フィルムそのものが大きい分画質が良いこと、そのことにより大きなスクリーンに投影出来る点がひとつあります。しかし、35mmを70mmにブローアップするというのは、元のフィルムより画質が向上するわけでないはずです。にも関わらずどのような利点があるのでしょうか。 実は、多くの映画が70mmでの上映を好んだのは、“音”という問題があるようです。Indiewire誌のMike Celestinoによる記事の中で、パシフィックシアターのJohn sitting氏が語ることによれば、「ドルビーサウンドシステムが1974年に導入されるまで、ほとんどの映画館で35mmフィルムはモノラルサウンドによる上映だった」ということです。こうした状況に対して、「(70mmフィルムが)より優れていた理由は、6チャンネルの音によるステレオサウンドを導入出来た」ということになります。ですから、「こうした音の優位性に基づき『枢機卿』(1963)に始まり90年代の『タイタニック』(1997)に至るまで多くの映画が35mmから70mmへとブローアップされ公開されました。」 他にもHauerslev氏によれば「より多くの光を使うことが可能で、くっきりとした色、輪郭を与え」、また「35mmフィルムに比べ(スクリーンへと)拡大される率が低いため、ほこりや傷が目立たない」といった視覚上の優位点も指摘されます。 しかし、70mmの6チャンネルがDolbyへと、70mmの大スクリーンがIMAXへと変わっていきました。幾つもの新たな技術が過去の技術を乗り越える中で、70mmフィルムによる上映の機会は現在無くなりつつあります。上映形態は、これからも変化を続けていくはずです。映画はこのように、様々なメディアを乗り継ぎながら変化していきます。既に日本では、ほぼ70mmフィルムを見ることは出来ません。それは、アメリカでお金がある人たちの限られた文化になってしまったのでしょうか。あるいはただのノスタルジックな考えに過ぎないのでしょうか。 しかし、「20世紀に非常に愛されたフィルムにこだわり、その死に抗いながら映画を撮り続けるのがポール・トーマス・アンダーソン監督です」と語られるように、事実としてフィルム映画を撮り続ける人がいます。そして、その彼の新作が70mmにブローアップされるということは、ひとつの探究あるいは可能性の見直しと言えるのではないでしょうか。それは単なる、フィルムVSデジタルという問題ではなく、ひとつひとつの(35mmから70mm)という方法を新たに試す行為です。 ポール・トーマス・アンダーソンのような監督が様々な方法で“技術”を探究し続けることは、フィルム原理主義とは違って、我々が映画のメディアに対して考える機会を残してくれていると捉えることは出来ないのでしょうか。それは我々にひとつひとつ、フィルムやデジタルあるいは音響技術などに“固有な良さ”を、味わう可能性を残すことになるはずです。 「」内引用元 http://ift.tt/1ymcbdD (*1)http://ift.tt/1ymce92 三浦 翔 横浜国立大学 人間文化課程3年 映画雑誌NOBODY http://ift.tt/1ofDLiA http://ift.tt/1iv7YL4

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2014年12月1日月曜日

Les Inrocks - Cinéma: les révolutions technologiques qui arrivent

[World News #135] 映像・音響技術の進歩がもたらす映画館の行く末  今日において、ほぼすべての映画館がデジタル上映設備を設け、逆にフィルム上映設備を備えている映画館はめっきり少なくなってしまった。しかし、現存のデジタル上映設備を既に上回るもの(映像の解像度や上映機材)が出来上がりつつあるようだ。  多くの映画館で備わっているデジタルシネマ用プロジェクターは4Kや2Kが主となっており、4Kプロジェクターに至っては70mmフィルムに近いクオリティまで上映できるようになっているらしい。しかし、最近のカメラでは4Kのみならず、6Kで撮影できるものも作られており、12月12日に公開されるデイヴィッド・フィンチャーの新作『ゴーン・ガール』はRed Epic Dragon(6Kカメラ)ですべて撮影された6Kの初長編映画となっている。(*1)そのうち8Kカメラやプロジェクターが活躍する日も近いだろう。  また音響技術の進歩により、2012年ごろからドルビーアトモスの様な64本ものスピーカーを利用した立体音響システムも積極的に映画館へ導入されつつある。(最初にドルビーアトモスを使用した作品はピーター・ジャクソンの『ホビット 思いがけない冒険』(2012)のようだ)(*2)  こういった最先端の映像・音響技術を映画館の設備に取り入れることによって、映画館という場所で映画を見るということが、いわば自宅のテレビなどで映画を見たりするのとはいかに異なる、特権的な体験なのかということを強調し、人々の関心を集めるのに一役買ってはいるのだろう。それも映画館が現代で生き残るための、一つの戦略なのかもしれない。  その延長としてなのか、20th century foxが今年の9月に、新たな映画の上映フォーマットでウェス・ボールの『The Maze Runner』という作品をリリースしている。その新たなフォーマットとは、3つのスクリーンを前方と左右の壁に配置した、パノラマ式のトリプルスクリーン上映である。スクリーンで観客席の3方面を囲むことによって、映画への没入感をより高めようというわけだ。(*3)  しかし、こうした新たな技術を用いて上映することで、映画館で映画を見る意義を唱えるのとは全く逆の考えで、例えばクエンティン・タランティーノのようにデジタル技術に懐疑的な監督はフィルム上映こそ、本当の映画体験だと強く主張する者たちも居る。彼の次回作『The Hateful Eight』は70mmで撮られた西部劇であり、インタビューなどで70 mmの魅力を語ると同時に、デジタル上映についても言及している。 「それはテレビでは見ることのできない体験だよ。ただ、自分のアパートや小さな部屋、iPhoneやIPadで映画を見ていては、絶対に体験できないものだ。(…)デジタル上映っていうのは、単なる公共のテレビだよ。みんなで集まってテレビを見るんだ。唯一の違いと言えば、リモコンをスクリーンに向けないことぐらいだ。」(*4)  タランティーノの場合、些かフィルム上映に関してピューリタン過ぎるかもしれないが、他にも同じくフィルムを重視しているクリストファー・ノーランは『インターステラ―』のインタビューにおいて以下のようなやり取りを行っている(*5): ― あなたは35mmで映画を撮り続けている数少ない監督の一人ですが、決してデジタルへ移行することはないのでしょうか? クリストファー・ノーラン:クエンティン・タランティーノがやっているように、決して移行しないとは言いたくない。ただ、35mmを過去の産物として語るのは間違っているし、愚かなことだ。確かに昨今においては、すべてが早く移り変わっていくのは十分承知の上だが、考えてみてほしい:4年前、『インセプション』が公開された時はほぼ35mmしかなかった。今となっては『インターステラ―』の為に、私はアメリカで250巻集めるのに闘わなければならない。フィルムは依然として、最も明確で豊かな、最高のメディアだ。デジタルはまだ足元にすら達していない。私たちは芸術的な理由からではなく、ただ単に経済的な理由から35mmを捨て去ろうとしている。私は別にデジタルに対して抵抗はないし、デイヴィッド・フィンチャーやスティーヴン・ソダーバーグのように、いち早く自分たちの用途に合わせてデジタル技術を扱っている演出家たちをリスペクトしている。ただ正直なところ、アーティストたちに選択肢を与えなくなってきている。  ここ数年で急激にデジタル技術が普及し、あっという間にフィルム上映施設こそ逆に少なくなってしまったが、タランティーノやノーランのように新作をフィルムで作ることによって、フィルムの良さを改めて訴えると同時に、映画館で映画を見る意義を強めるきっかけも作っている。しかしノーランが現在と4年前の違いについて語っているように、技術の進歩は目まぐるしく、現在のデジタル上映機材を数年後には一式、すべて入れ替えなければ最新ではないという事態がやってくるかもしれない。そうすると映画館は結局、いかに最先端の設備を備えるのかという自転車操業となってしまう恐れもある。  しかし、新しい技術といえども、例えば映画館のスクリーンの大きさによっては2Kと4Kのプロジェクターを比較してもそれほど変わらない映像クオリティとなることはあるし、ドルビーアトモスよりも爆音映画祭のように音楽ライヴ用の音響機材を使って上映する方が刺激的だったりする。要はそれぞれの映画館によって最新技術も使いようであり、必ずしも最先端の設備を備えなくとも、充実した映画体験をすることはできるのではないか。  それにいくらデジタル技術が進歩したからといって、今まで上映されていたフィルムが全てなくなったわけでもない。いま私たちはまだフィルムでしか現存していない作品を見ることが出来るという幸運な立場にいるのをもっと意識するべきかもしれない。  楠 大史 (*1)http://www.lesinrocks.com/2014/11/14/cinema/cinema-du-futur-8k-hfr-3d-ce-va-changer-quelques-annees-11535280/ (*2)http://vimeo.com/40699179 (*3)http://www.lesinrocks.com/2014/09/02/cinema/escape-ecrans-triple-revolutionner-les-salles-cinema-11521876/ (*4)http://www.lesinrocks.com/2014/11/12/actualite/tarantino-realisation-cest-truc-jeunes-11535135/ (*5)http://www.lesinrocks.com/2014/11/08/cinema/christopher-nolan-on-laisse-choix-aux-artistes-11534349/

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