2014年6月30日月曜日

[World News #047] ★イラン映画のシンポジウムに関する情報〜『革命後イランにおける映画と社会―権威主義体制下の娯楽と抵抗の文化―』 イラン映画と聞いてどの監督を、そしてどの作品を連想するでしょう? 一番記憶に新しいイラン映画は今年の4月19日に日本で公開された『ある過去の行方』ではないでしょうか?『別離』でアカデミー賞を受賞したアスガー・ファルハディ監督の新作です。 アスガー・ファルハディ監督は『別離』と『ある過去の行方』を通して1979年に勃発したイラン革命から35年近くたった現在のイラン社会が直面している’危機’を伝えようとしています。 1979年に勃発したイラン革命はイラン国家の舵を180度回転させイスラム教を国家の重要な判断基準に位置づけたイスラム共和国を建国しました。イラン国民は今までの価値観を否定され、イスラム教が絶対である世界に放り出されたのです。そしてイラン革命後、毎年増加する外国移住の結果、国外のイラン人による新たなイラン文化そして次第に新たな”イラン”が築かれています。国外の”イラン”が成長するに連れて本当の”イランらしさ”とは何なのかという疑問を抱いた多くの国内外のイラン人がアイデンティティ・クライシスに直面しているように思えます。彼らは時には他者である西洋を真似、また時には西洋を否定することで新たな価値観を築こうとしています。そしてアスガー・ファルハディ監督は2作品を通して価値観の違いによりる家庭崩壊を描いていますが、家庭を”イラン国民・国家”に置き換えることで監督の隠されたメッセージが見えてくるのではないでしょうか。 さて7月5日に『革命後イランにおける映画と社会』と題する公開シンポジウムが開催されます。日本とイラン両国の研究者によるイラン映画の背景を理解するための報告に加え、プロジェクトの一環として制作された初公開のドキュメンタリー映画2作品上映されますが、イラン人女性監督モナ・ザンディ監督による未公開作品は必見です。モナ・ザンディ監督の初の長編映画『ある金曜の午後』(日本未公開)はイラン人女性の苦しみと葛藤を描いた作品であり、試写会後5年間政府により公開上映の許可がおりなかった事で話題になりました。『ある金曜の午後』は16歳の時に親戚にレイプされ妊娠し父親に絶縁された女性が主人公です。身寄りの無い女性が巨大都市テヘランで生き抜こうとする葛藤と努力の姿がドキュメンタリータッチで描かれています。この事からも、モナ・ザンディ監督のイラン人女性への関心そして問題意識の高さが伺えます。今回イランから来日されるテヘラン大学日本文学の教授ゴドラトッラー・ザーケリー氏は俳句そして『方丈記』の翻訳家でもあり日本の文化に精通されています。また、テヘラン大学芸術学部の教授であり女性脚本家でもあるナグメ・サミーニー氏によるイラン人女性と映画に関する報告はイランの現状を知れる生の声が聞ける貴重な機会です。 ・『ある過去の行方』の公式サイト:http://ift.tt/1bpD5ox ・シンポジウムの公式サイト:http://ift.tt/1jB6Eo6 ・ゴドラトッラー・ザーケリー氏に関する日本語の記事:http://ift.tt/1r3jJxS Posted by Sevin http://ift.tt/1jB6EEk http://ift.tt/1r3jH9d



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2014年6月28日土曜日

IFFR presents: The Nest by David Kronenberg

[World News Extra #004] デヴィッド・クローネンバーグの新作短編が期間限定ネット公開! 2014年6月22日から9月14日までアムステルダムのEYE Film Instituteにてクローネンバーグの大きな展示会「David Cronenberg - The Exhibition」が開催されている。 これを記念して、展示会の開催中、彼の新作短編『ザ・ネスト』がYouTubeで公開されることになった。 この展示会は、クローネンバーグ作品の主要な関心である、肉体と精神の変容にスポットを当てたものであるとのこと。 『ザ・ネスト』は、医者と思われる人物の頭にくくりつけられたカメラを通して全編撮影された9分間の作品である。医者の声はクローネンバーグ自身によるものだ。エヴリン・ブロチュ演じるトップレスの若い女性は、自分の左胸が虫の巣になってしまっており、切除する必要があると医者に訴える。 『ザ・ネスト』 http://ift.tt/1myroRM David Cronenberg - The Exhibition http://ift.tt/1pXhWbV 大寺眞輔 http://blog.ecri.biz/ http://ift.tt/1knGQPv http://ift.tt/NSy3rx

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2014年6月27日金曜日

[World News #046] 日本人が知らないニッポンを描く ~外国人監督が見たモデル、ホストたち~ シベリアの寒村で行われる水着姿のモデル・オーディション。優勝を飾ったのは、まだあどけなさの残るドールフェイスの13歳、ナディア。家族を楽にしようとの志を持ち、晴れて念願のデビューと東京行きが決まったかと思いきや、純朴な田舎娘が行き着いたのはほかのモデルとシェアする狭いひと部屋。ウェストやヒップのインチが少しでも増えれば即刻、契約解除が言い渡されるため、食べ盛りながらそれもままならない日々。言葉も文化も違う中、涙ながらに故郷に電話する少女の後ろ姿と絞り出すような声は、予告編でも印象に残るシーン(*1)です。 日本のモデル業界に巣食うとされる低年齢化などの実態を抉る『girl model』のインターネット・ムービー・データベース(IMDb)での作品紹介は「シベリアと日本、アメリカをつなぐ外国人モデルのサプライチェーン」(*2)。映画公開後、日本モデルエージェンシー協会(JMAA)は「描かれている内容は真実と異なるもので、日本のモデル業界の信用を毀損する作品であることを告発する」と非難。David Redmon とAshley Sabinのアメリカ人監督コンビに対し、「エージェンシーと出演モデルに制作の意図を告げず撮影し、演技を強要して作り上げた作品をドキュメンタリーフィルムとして公開したことに強く抗議する」としています。その上で、「児童労働と痩せすぎ等、健康ではないモデルの起用が業界の問題であることを認識し、日本が安全かつ健全なモデルビジネスが行える国であること」を強調しました。(*3) しかしながら、作品が米PBSでプレミア放送された一週間後には、作品中に登場したエージェンシーが外国人モデルの取り扱いを休止したという事実もあるようです。真実は一体、どこにあるのか、一概に言い切れるものではありませんが、それ以来、街中で似た容姿の若い外国人女性を見かけると、ナディアの面影がよぎるようになりました。 もう一本、ご紹介したいのは、『The Great Happiness Space: Tale of an Osaka Love Thief(邦訳・至福の空間~大阪恋泥棒物語~)』(*4)。イギリス出身監督のJake Clennellが大阪ミナミの人気ホストクラブのカリスマに密着取材したもので、軽妙なタイトルながら、本編は観ていて顔が引きつる瞬間も。蒼い顔をした女性の酔客に対する執拗なシャンパンコールに、数知れない擬似恋愛。失われた何かを求めて孤独な魂がさまよい歩く街、それが外国人の見た夜のオーサカの一面なのでしょう。 客の大半は風俗勤めやホステスであることがインタビューを通じて明らかになり、体を張って稼いだ大金を一晩の夢のために惜しげもなく注ぎ込み、またの来店に向けて稼ぐサイクルの繰り返し。世間一般にはおそらく正常なことではないにせよ、それが搾取なのか、はたまた心の支えになっているのか、彼女たちの生々しい独白は闇夜に向けて放たれます。 それにしても、カメラの前の面々の正直なこと。中でも、カリスマの自分を目当てに通いつめる常連客を送り出した後のホストの態度の豹変ぶりには、驚くべきものがあります。あくまで海外向けとの触れ込みが、取材対象者の警戒心を下げ、本音を引き出すのに効果的なのかもしれません。 ところで、外部からの目線というと、どこか冷徹なイメージを持たれるかと思いますが、作品を通じて感じるのは、むしろ澄んだ眼差しです。外国人監督が切り取るのは奇妙なニッポンでありながら、質問する姿勢には、展開に困惑しつつも一貫して真実を見出そうとする努力が見受けられ、慣習に染まりきらない曇りのない目線が観る側の心に届く時、事態打開に向けて何かが動き出すのかもしれません。 バック淳子 http://ift.tt/1gY2Yvd 大学卒業後、記者として勤務。国際報道などに携わる。この夏よりロサンゼルスに映画留学予定。 <過去の記事> [World News #008] ブリット・マーリングの魅力と魔力に迫る! http://ift.tt/1vO4PeR [World News #018] 日米合作ロードムービー『サケボム』 http://ift.tt/1lRsAPU [World News #039] 洗脳のリスクも?~映画音楽の光と影~ http://ift.tt/1jTCbl1 (*1) http://ift.tt/M6S0ui (*2) http://ift.tt/YMNQtz (*3) http://ift.tt/13cS3Zx (*4) http://ift.tt/12awKcp



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2014年6月26日木曜日

[World News #045] 劇場にまつわる記憶、アート 劇場と記憶について考えたとき、杉本博司*の一連の劇場のシリーズの写真を思い浮かべる。映画1本を上映する間、長時間露光で撮られた作品だ。モノクロームで、スクリーンが白く浮かんでいるかのようなその写真は映画を観ている最中に私たちが普段の考えとは違う現実、変成意識をさまよう様子を写しているように思われる。 先月、ベルリンのHAU劇場の「ジャパン・シンドローム / フクシマ以後の芸術と政治」特集*で映画監督で美術家の藤井光*の映画「ASAHIZA」が上映された*。クラウドファンディングサイト、Motion Galleryで100万円を超える制作費を勝ち取った*この映画は1923年に福島県南相馬市の中心部に開設され1991年に閉館した朝日座を舞台にしている。当初は旭座と名付けられ、のちに朝日座と呼ばれるようになったこの劇場の存在は映画のみならず、歌舞伎、芝居、活動写真および市民の活動の発表の場として地域の住民の記憶に刻み込まれている。そして閉館後の今なお、定期的に上映活動*が続けられているそうだ。 この作品そのものは震災以後に作られたものだが、震災とそれに伴う住民の減少という判を押したように語られる以前から、中心部が空洞化を続けていたという地方都市共通の現象がここにはあった。またこのことは映画というメディアの課題として、最近閉館になった吉祥寺のバウスシアターをはじめとした多くの都内の映画館の存続の課題として地続きなのは言うまでもない。 集客の手段としてSNSをつかう手法もここのところ常識になってきた感があるが、個人的には新橋文化劇場*のウィットに富んだツイートがもはや芸の域で大好きである(余談)。またハコとしての映画館が存在していくことも重要ではあるが、ナカメキノ*やVACANT*といった、映画館を飛び出してオルタナティブな場で鑑賞できる機会も映画ファンとしては積極的に活用していきたい。 また本作品において特徴的なのは、シネマツーリズムとしてクラウドファンディングの参加者を対象に、被災地へのツアー中に制作途中の映画へのエキストラ出演や制作途中の作品の鑑賞を行っている点だ。アートの世界でもアートツーリズムとして日本国内の地方や世界の美術館、アートフェア、アーティストのスタジオ等を巡る試みが行われているが、映画の世界でも単にロケ地訪問にとどまらないこういった取り組みがもっと行われても良いように思う。 藤井監督は筆者自身も何かとお世話になっている、茨城県守谷市のアーティストインレジデンス施設(以下AIR施設)ARCUS PROJECTの2005年招聘アーティストである。AIR施設に於いては美術作家のみならず、映画の作家も含めた滞在および制作・発表の資金面も含む支援をおこなっている施設が国内外に多数存在しており、国内の各施設を比較できるAIR_Jというポータルサイトも存在する*ことを紹介してこの文章の結びとしたい。 杉本博司 公式サイト http://ift.tt/MWvHXh HAU劇場「ジャパン・シンドローム / フクシマ以後の芸術と政治」 http://ift.tt/1muKW9G 藤井光 公式サイト http://hikarufujii.com なお同作品は、 山形国際ドキュメンタリー映画際2013でも上映されている 監督インタビュー http://ift.tt/1muKW9I 映画「ASAHIZA」Motion Gallery クラウドファンディング募集ページ http://ift.tt/1muKXL0 朝日座を楽しむ会 http://ift.tt/1qxMrEA 新橋文化劇場 Twitterアカウント http://ift.tt/1lKN8dr ナカメキノ Facebookページ http://ift.tt/1gYspSs VACANT Facebookページ http://ift.tt/1qxMrED AIR_J http://air-j.info 磯野 麻夕子



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2014年6月25日水曜日

Truffaut - La Cinémathèque française

[World News #044] 『私たちの宣戦布告』のヴァレリー・ドンゼッリ監督、フランソワ・トリュフォーによって撮られることのなかったシナリオを元に、新作を制作中。  ヌーヴェル・ヴァーグを象徴する巨匠の一人、フランソワ・トリュフォー。今年はトリュフォーの没後30年記念特集が日本で10月に予定され、フランスではシネマテーク・フランセーズでトリュフォーの展覧会の開催などが決まり、*(1) トリュフォー熱が盛り上がりを見せる最中、フランスの新鋭女性監督、ヴァレリー・ドンゼッリが果敢にも、トリュフォーが手放したシナリオを元に映画を制作しているという情報が飛び込んできた。*(2)  「Histoire de Julien et Marguerite」(ジュリアンとマルグリットの物語)というトリュフォーが1973年に断念した企画は、トリュフォーを長年に渡って支えたヌーヴェル・ヴァーグの伝説的な脚本家、ジャン・グリュオーによって執筆されたものだった。内容は実の兄と妹の近親相姦による愛の関係を描いたものらしく、17世紀に実際起こった、近親相姦の罪によって処刑されたラヴァレ家のジュリアンとマルグリットに関する案件を下敷きにしたものだという。  結局、トリュフォーが企画を手放した主な理由は、企画が持ち上がった1970年代初めは「性の解放」運動などが活発となっていた時代だった為、作品の主題が当時話題となっていたものを取り扱い過ぎていると判断してしまったのが原因らしい。しかし、カプリッチ(またの名をカプリッチ・フィルム)が今ではその幻となってしまった企画のシナリオをシネフィル達のために、出版するという英断を下した。2011年に出版された本の題名には「フランソワ・トリュフォーの映画のためのシナリオ」という副題まで付けられ、シナリオの本編はトリュフォーの映画のイメージを彷彿とさせる、ファンにとってかなり魅力的な内容となっているらしい。*(3)  そしてカプリッチが蒔いた種は見事にヴァレリー・ドンゼッリの心を捉えた。そのシナリオに描かれたイメージに魅せられたヴァレリー・ドンゼッリは、彼女がシナリオに見出したイメージに命を与えるために、自分自身のヴィジョンからシナリオを再構成する方針を取ったようだ。  今回の企画のために、ヴァレリー・ドンゼッリは主演男優のジュリアンとして『私たちの宣戦布告』にて同じく脚本・主演を務めたジェレミー・エルカイムを起用し、また主演女優には最近注目を集めている若手女優のアナイス・ドゥムースティエ(『美しき刺』レベッカ・ズトロヴスキ、『Bird People』パスカル・フェラン)がマルグリット役として出演することが既に決定しているという。  現代フランス映画監督の中でも注目されている女性監督、ヴァレリー・ドンゼッリがトリュフォーに捧げる愛は一体どのような形となるのだろうか。そんな期待に胸を弾ませつつ、続報に期待しよう。撮影は今年の10月からスタートする模様。 楠 大史 参考資料: シネマテーク・フランセーズ、フランソワ・トリュフォーの展覧会 http://ift.tt/1loCR6r http://ift.tt/1jgHvyJ *(2) カプリッチ出版、『ジュリアンとマルグリットの物語―フランソワ・トリュフォーの映画のためのシナリオ』ジャン・グリュオー著 http://ift.tt/1loCQzl *(3) 『わたしたちの宣戦布告』公式ホームページ http://ift.tt/1jgHxGX 補足 ジャン・グリュオーが関わった一部の作品: ジャン=リュック・ゴダール『カラビニエ』 ジャック・リヴェット『パリはわれらのもの』 フランソワ・トリュフォー『突然炎のごとく』、『野生の少年』、『アデルの恋の物語』、『緑色の部屋』、『恋のエチュード』 など。

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2014年6月24日火曜日

[World News #043] iPhoneで映画を撮る!技術革新が生む新たな波 突然ですが、まずはこのトレーラーを見てください。 http://ift.tt/1rtjIR4 この作品では、変わった撮影法を採用しています。トレーラーを最後まで見た方はお分かりですね。驚きました?全編通してiPhoneで撮られているのです。作品名は『Uneasy Lies the Mind(原題)』、若手監督Ricky Fosheimの新作です。 この作品では、レンズに35mmの変換装置を付けて撮影されています。スマートフォン付属のカメラとはいえ、映像クオリティに遜色はないと言えるでしょう。 iPhoneで映画が撮られたのは、この作品が初めてではありません。ご存知の方もいるでしょう、2012年のアカデミー賞を受賞した『シュガーマン/奇跡に愛された男』も、一部のシーンがiPhoneの8mmカメラアプリで撮られているということで話題になりました。(*1)  しかし『Uneasy Lies the Mind』がiPhoneで撮られたのは、予算上仕方がないから、というような、単にネガティブな理由ばかりではありません。監督はインタビューの中でこう語っています。 「最初は16mmで撮ろうと思っていたんだけど、予算的に難しかった。だから、技術でもって代用することにした。でもそれだけじゃなくて、作品でやりたいことは、iPhoneで撮ったほうが合っているように思ったし、実際、想像よりはるかにうまくいったんだよ。このユニークな映像は今までに観たどんなものとも似てないし、作品のストーリーをわかりやすいものにしてくれたんだ。」(*2) 監督によれば、iPhoneだからこそできる演出があるといいます。iPhoneは充電をしながら撮影すると、3秒か4秒に一度、白い光が入るのだそう。これを不思議な白みを利用して、監督は主人公が死ぬ間際の記憶を不気味に演出しました。他にもiPhoneで夜に屋外で撮影をした時に生じる特有の汚くざらざらとした質感も修正はせずに、シーンの不快さを演出しています。また、狭い場所での移動が難しい従来のカメラよりも、簡便で扱いやすいiPhoneの方が、この作品には合っていたのです。(*3) 効果がふんだんに盛り込まれていて、臨場感もあって、個性的な作品となっています。 これまで、映画用のカメラではなく、ビデオカメラでその性質を生かして臨場感を演出した、『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』や『クローバーフィールド/HAKAISYA』のような作品は、すでにいくつもありました。しかしここ何年かで、私たちはビデオカメラを日常的に使うことはなくなり、今ビデオよりも圧倒的に浸透していて、より手になじむスマートフォンで同じように映画を撮る人が現れたというのは、ある種必然であると言えるでしょう。 この作品はSXSW(サウス・バイ・サウスウエスト)(注1)にも出品されています。また、アメリカでは既にiPhone映画の映画祭が存在していますし、日本でも特集の上映会が行われています。これからもっと知名度は上がって行くでしょう。すぐに撮影方法の主流になるということはないでしょうが、今後映画を撮影するうえで選択肢の一つにはなり得ると思います。 60年ごろ映画界に革命を起こしたヌーヴェル・ヴァーグも、機材の技術革新や軽量化が大きく関係していました。今後もどんどん向上する技術を利用して、低予算を逆手に取った、面白い作品が生まれることを予感させています。 則定彩香 注1 サウス・バイ・サウスウエスト(South by Southwest、SXSW)とは、毎年3月にアメリカテキサス州オースティン市で行なわれる、音楽祭・映画祭・インタラクティブフェスティバルなどを組み合わせた大規模イベントである。1987年に音楽祭として始まり、毎年規模を拡大している。(wikipediaより) 公式HP http://sxsw.com/ *1 http://ift.tt/UE8L4B *2 http://ift.tt/1i9wHXJ *3 http://ift.tt/1dAvUHx iPhone Film Festival http://ift.tt/XnYpQE 『Uneasy Lies the Mind』公式HP http://ift.tt/1kVAmFX



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2014年6月23日月曜日

[World News #042] ジェームズ・フランコはハリウッドからネット社会に向けられた最終回答なのか?  ジェームズ・フランコである。話題はいつだって、ジェームズ・フランコに決まっているではないか。いや、このふざけた書き出しだけで、彼のファンや海外セレブ事情に詳しい人たちには、このあと私が何を書こうとしているか既におおよそ見当が付いてしまったことだろう。従って、ここで記事を終わりにしても良いのだが、残念ながら世界にはまだまだこのジェームズ・フランコ化した世界について無知を決め込んでいる人たちも僅かながら存在する。なので、もう少しだけ続けることにしよう。  ここ数年、海外映画情報、セレブ事情に触れている人たちであれば誰もが、ちょっと異常な事態が進行中であることに気づいているだろう。つまり、ジェームズ・フランコである。それはもはや、個人の名前を超え、ある今日的かつ普遍的な事態を名指すための一般名詞として用いられるべきかも知れないのだ。  たとえば、ある記事の書き出しにはこうある。 「もし、この世界にもはやこれ以上露出する必要のない人間がいるとするならば、それはジェームズ・フランコのことだ」(#1)。  あるいは、こういう書き出し。 「ジェームズ・フランコ。それは既にエンタテインメント産業からスイス製万能ナイフに向けられた最終回答であるが、彼はさらにその万能性に磨きをかけようとしているようだ」(#2)。  さらには、こういうもの。 「毎日、私たちの元にはジェームズ・フランコのニュースが届けられる。しかし、時にはさらに多くのジェームズ・フランコが届けられる日だってあるのだ」(3)。  ジェームズ・フランコはスパイダーマンシリーズや『127時間』『猿の惑星:創世記』『スプリング・ブレイカーズ』などでの俳優活動が日本でもよく知られているだろう。また、第83回アカデミー賞ではアン・ハサウェイと共に司会を務めた。日本では未公開作が多いが、近年では映画監督業にも進出している。ウィリアム・フォークナーの原作を手がけた『As I Lay Dying』など、野心的な企画が多い。また、脚本や短編小説も数多く手がけている。IMDBでの彼のページによると、進行中の企画を含め監督作は既に24本に達している(#4)。それはもはやスターの余技という言葉では表現しきれない規模ではないか。  ジェームズ・フランコのこうした旺盛で多才な創造者としての側面については、boidマガジンで映画評論家の川口敦子氏が詳しくレポートしてくれている。まずは、是非そちらをお読みいただきたい(#5)。とりわけ、ガス・ヴァン・サントの『マイ・プライベート・アイダホ』を独自の方法でリメイクした企画など、一般映画ファンにとっても実に興味深い話題に触れられている。  ジェームズ・フランコ現象は、しかしこうした多彩な創作活動にさえとどまらない。俳優&監督&脚本家&プロデューサー&小説家&アーティストである彼は、さらにネットの映画学校などでストーリーライティングを教える先生であり(#6)、ハイスクール時代を描いたその短編小説を映画化したジア・コッポラ監督作『Palo Alto』に自ら出演し(#7)、時には北朝鮮体制を刺激する(#8)ばかりでなく、さらには毎日のようにインスタグラムに投稿し、時には「恥知らずな」とも表現される自らの挑発的な半裸姿さえ(注目を欲して?)公開するネットジャンキーであるのだ(#9)。  とりわけ、この最後の部分はジェームズ・フランコを理解する上で避けて通れない側面だろう。旺盛な創作活動、無尽蔵のバイタリティ、こうした口当たりの良い言葉を遙かに超えて、彼のあまりに過剰な露出ぶりは私たちをどこか不安にさせる。ジェームズ・フランコは、もしかすると、毎日のように新しい情報と刺激とエキサイティングな事件が惰性のように投与され続ける、この現代という時代の映し鏡であるのかもしれないのだ。時代を象徴するのが映画スターの一つの役割であったとするならば、ジェームズ・フランコこそ、私たちの時代のスターであり、バズアイドルなのかも知れない。  毎日のようにネットを彩るジェームズ・フランコのスキャンダルは、まさに枚挙にいとまがない。最近で印象に残ったものとしては、彼がブロードウェイ・デビューを果たした『二十日鼠と人間』の舞台を「歴史資料館のジオラマのよう」(#10)と酷評したニューヨーク・タイムズの記者に対し、「お前のことなんかみんな嫌いだ、馬鹿野郎!」と単純に罵った事件がある(#11)。投稿後すぐに削除されてしまったこの件にはまだ可愛げがあると思うが、17歳の少女をインスタグラム上でナンパしようとした一連のプライベートメッセージがネット上に暴露されてしまった事件はさすがにまずかった(#12)。彼はセルフパロディのような写真(#13)をインスタグラムに投稿した他、出演したテレビのトーク番組でもさっそくこの件について弁解したが、未成年淫行に厳しいアメリカ社会では既に数多くの批判に晒されている。  それでも、こうしたスキャンダルさえ自らの糧にするのがネット時代の映画スターであり、バズアイドルであり、なによりジェームズ・フランコだ。彼は、リンジー・ローハンとなぜベッドを共にしなかったのかという実にどうでも良いセレブゴシップさえ自らのメタ小説のネタにしている(#14)。そう、このメタ化というのが、おそらくジェームズ・フランコをより良く理解するための鍵となるだろう。その俳優としての活動、そして監督としての、小説家としての、アーティストとしての活動すべてが、インスタグラムに投稿される自らの私生活や自己愛と共に一つの巨大にメタ化されたイメージの一部となっているかのようだ。ジェームズ・フランコはジェームズ・フランコを模倣し、巨大に膨らませていく。それは、好意的に見ればネット時代を映し出す野心的なパフォーマンス・アートであり、別の角度から見れば、やや精神的危うさを抱えた今日的スターの自分探しの道程にも見える。 大寺眞輔 http://blog.ecri.biz/ http://ift.tt/1knGQPv http://ift.tt/NSy3rx #1 http://ift.tt/1qDXXS0 #2 http://ift.tt/1nQgTcp #3 http://ift.tt/SwmHvM #4 http://ift.tt/w3yPNy #5 http://ift.tt/1j5x1SC (購読には有料登録が必要です) #6 http://ift.tt/1uTdzQq #7 http://ift.tt/QIVLc8 #8 http://ift.tt/1ptuYgX #9 http://ift.tt/1pV36F0 #10 http://ift.tt/1lafXN1 #11 http://ift.tt/1p9AnMB #12 http://ift.tt/1k0h0Tt #13 この記事に添付した。そこに書かれたメッセージは、「なぜ君は未成年が大好きなんだい?」とある。さらに、「僕は違うよ!保護者の皆さんがかわいい娘さんを僕から遠ざけておくことを願うね。ありがとう」と続けられている。 #14 http://ift.tt/1myv2qX



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2014年6月20日金曜日

ジョージ・タケイ来日講演レポート【後編】 変革の起こし方 ~ハリウッドへの道、そしてその先へ~ 今回のinside Indie Tokyoでは、『スター・トレック/宇宙大作戦』シリーズでおなじみ、ハリウッドで最も成功した日系人俳優といわれるジョージ・タケイ氏の6月5日の来日講演【後編】をレポートします! イベント後半は、司会者との対談形式でジョージ氏がファンから寄せられた質問に答えていきました。 最初の質問は、「日系アメリカ人の運動が盛り上がっている60年代半ばに『スター・トレック』のような「多様性」がテーマの作品に出るのはどのような感じでしたか?また、何かアジア的なものを取り入れましたか?」というものでした。「アジア的なものと言えば、この顔こそ!(笑)でも、どこかの国に肩入れしたくはなかったので、役名の「スールー」はフィリピンの海からとりました。また「魔の宇宙病(The Naked Time)」 という回では、作家に侍の刀を振り回すように言われたのですが、私は民族の歴史ではなく、民族的なつながり、地球の歴史を反映したいと考えました。そこで、実際に私も子供の頃にやっていたフェンシングを取り入れたのです。このエピソードは一番のお気に入りです、脱いだほどですしね!(笑)」ヒカル・スールーという役名には、そのようなメッセージがこめられていたのですね。日本語吹き替え版の「カトー」という役名を少し残念に思ってしまいました。 現在は、カミングアウトをしてLGBTの活動にも力を入れているジョージ氏ですが、どうやってマイノリティであることを克服してきたのでしょうか。「若い頃は、同性愛者であることに罪悪感を、日系人であることに引け目を感じていました。しかし父は、自分らしさを恥じずに自信をもつべきだと教えてくれました。私はこの教えのおかげで克服できたのだと思います。それでも長い間、キャリアを守るためにゲイであることを隠してきましたが、カミングアウトをして本当にすっきりしました。自分自身であるということは素晴らしいことです」。「家族は社会の核となる最も大切なユニット」とも言うジョージ氏。親がLGBTの子供を愛し、自分らしくいることを肯定してあげることが最も重要だと語りました。 その後、話題は現在の日本社会へとうつります。Twitterからは、「LGBTや福島の被災者に対する差別など、日本のマイノリティの問題にどのように取り組んでいけばよいか」という質問が多く寄せられました。 「人種差別とLGBTに対する差別はよく似ています。理不尽で、非合理的なものだからです。まずは、そのことに気づくべきです。福島の被災者による差別はこれとは少し違うと思います。この差別は、無知ゆえに生まれるものでしょう。安全である、という正しい知識を皆がもつことが大切だと思います」。 それでは、日本のマイノリティ自身が自分たちのために活動するにはどうしたらいいのでしょうか。彼は、人々の模範となるようなロールモデルが必要だと言います。 「まずは、どう活動していけばいいかを知っている人と話すことが大切です。また、LGBTに関して言えば、尊敬を集める社会的地位の高い人のカミングアウトは非常に重要です。LGBTが社会のいろいろな場所にいるということを知ってもらうのです。もしくは、社会的地位の高いストレートの人のサポートも必要です。たとえば、同性婚に反対していた米国のある議員は、自分の愛する息子がゲイだと知って考えをあらため、同性婚に同意しました」。 残念ながら、まだ日本にはあまりロールモデルがいません。それは、LGBTや、女性の社会進出などさまざまなことにいえます。そのため、こうした活動家の生の声にふれる機会はとても貴重です。まずは、国籍を問わずロールモデルにふれることが、日本のロールモデルの誕生にもつながっていくのではないでしょうか。 このほかに、日本のマイノリティの活動をもっと活性化させるには何が必要なのでしょうか。ジョージ氏は、「日本の皆さんに足りないのは「怒り」かもしれないません。「怒り」の感情をもち、それを表現すること…日本には、みなさんを怒らせる人が必要なのかもしれないですね。私のカミングアウトも、ストーンウォールの反乱*も「怒り」がきっかけでした」と語りました。たしかに、私たち、特に最近の日本人は、「怒り」を表現することが少々苦手なのかもしれません。民主主義の長所は、意見を言う機会が平等に与えられていることです。しかし、これは同時に短所でもあります。民主主義は参加の意思に頼っているからです。社会の一員として考え、意見をもち、時には「怒り」、それを表現することが大切なのかもしれません。 最後は、会場の学生でした。「僕は日本では珍しい、オープンリーゲイです。一年いたカナダに比べ、日本は生きづらく感じます。友達もなかなかつくれないし、ゲイのコミュニティに参加するのも簡単ではありません。ですが、変革を起こすのは僕たちの世代なんだ!と強く思いました。今日はありがとうございました」。学生からのあついメッセージに、ジョージ氏は「がんばれ!」とエールを送りました。 さまざまな逆境をのりこえ、今なお精力的に活動するジョージ・タケイ氏。これからも、世界中の人々が彼から希望とパワーをもらうでしょう。 「長寿と繁栄を!」 お読みいただき、ありがとうございました。 Posted by 北島さつき *ストーンウォールの反乱 1969年、NYのゲイバー、「Stonewall Inn」が警察による踏み込み捜査を受けた際、居合わせた同性愛者が抵抗した事件。同性愛者が権力による迫害にはじめて立ち向かった事件とされ、これをきっかけにLGBTの権利獲得運動が本格的に始まった。 アメリカ大使館主催:変革の起こし方 ~ハリウッドへの道、そしてその先へ~ http://ift.tt/1ni9LF8



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2014年6月19日木曜日

Michael Jackson Making of Thriller (full movie HD)

メイキング映像作品の役割   映画がどのようにして作られたのか。好きな作品ほど、その制作過程や映画監督が作品に施した仕事を見たいと思うだろう。メイキング映像はそういった映画の制作過程を垣間見ることが出来るものだが、その必要性や意義などについてあまり真剣に問われることは少ない。フランスではそういったメイキング映像専門の監督たちによる団体ARMO(Association des réalisateurs de Making-of)や、メイキング映像作品のフェスティバルを行っている団体MOPI(Making Of Promotion International)などがあり、メイキング映像を単なる映画本編を補う補助的なものとしてではなく、映画本編とは独立した一つの作品として捉 え、その考えを一般に広めようと活動している。今回はそんなメイキング映像作品の役割について考えてみたい。  そもそも、メイキング映像作品が生ま れた背景は1970年代にテレビ用に作られた映画のビデオ・レポートの派生によるものらしい。多くの場合、それは映画の俳優による撮影現場のガイドであ り、監督やプロデューサーなどのインタビューといくつかの本編映像の抜粋によって彩られた、広告目的のものだった。ARMOの言い分によれば、奇しくもメイキング映像作品の初期の歴史において最初に影響を与えたのはマイケル・ジャクソンのミュージック・クリップ『スリラー』のメイキング映像だという。* (1)何故なら、マイケル・ジャクソン現象やファンについて焦点を当てるだけでなく、メイクやVFX、カメラなどの撮影における技術的なものも徹底的に描 かれているからのようだ。 マイケル・ジャクソン『スリラー』のメイキング・オフ http://ift.tt/UPtbYw  そしてメイキング映像作品はおのずと二つのタイプに分かれていく。一つは1970年代から変わらない広告目的のメイキング映像で、もう一つはメイキング・ ドキュメンタリーと呼ばれる、ドキュメンタリー作品の要素を取り入れたメイキング映像である。その成功例がカンヌ映画祭のオフィシャル・セレクションへ も選出されたFax Bahr、George HickenlooperとEleanor Coppolaによって作られたフランシス・フォード・コッポラの『地獄の黙示録』のメイキング・ドキュメンタリー『ハート・オブ・ダークネス~コッポラ の黙示』である。 『ハート・オブ・ダークネス~コッポラの黙示』予告編 http://ift.tt/UPtcvN  そしてDVDの復旧と共に、DVDを購入する目玉の一つとしてメイキング映像作品が入れられるようになり、メイキング映像の制作が活発となっていく。しかし、最近ではDVDやブルーレイの売れ行きが低迷しているためか、メイキング映像に予算を掛けられず、いわゆる広告目的のメイキング映像ならともかく、 メイキング・ドキュメンタリーなどは制作しにくい状況となっているようだ。そしてARMOのようにメイキング・ドキュメンタリーこそ本当のメイキング映像作品と考えている団体は、もはやDVDやブルーレイではなく、VODにメイキング映像作品の新しい活路を見出そうとしている。  日本映画におい て、こうしたメイキング・ドキュメンタリーとして挙げられるものと言えば、私の頭をよぎるのは黒沢清の『アカルイミライ』(2003)のメイキング・ド キュメンタリー、藤井謙二郎の『曖昧な未来、黒沢清』(2003)である。こうした作品は監督の映画に対するヴィジョンに触れ、撮影現場に起こっているこ とを捉えさせることで、映画がどのように変貌していったのかを伺うことが出来る構成となっている。そうした稀有な経験はおそらくメイキング・ドキュメンタ リーでしか味わえないことなのだろう。しかし、おそらく日本でこうしたメイキング・ドキュメンタリーで最も充実しているのはジブリ作品ぐらいなものではな いだろうか。毎年といって良いほど、コンスタントにテレビでジブリの次作品に関するメイキング・ドキュメンタリーは必ず放送されているように感じるが、そういったメイキング・ドキュメンタリーがジブリ作品だけなのは流石に勿体無いように思う。  自分が購入したDVDやブルーレイの特典などに、予告編やTVスポットだけしか入っていないとき、少しガッカリしたことなどはないだろうか。メイキングは最初、補助的で広告目的のものだったかもしれないが、時代と共に今では映画の制作過程と成り立ちについて、映画の作り手の体験を分かち合うものとして進化していった。メイキ ング・オフは映画がいかに現在進行形の表現形式(ワークインプログレス)だということを見せ、実感させることの出来る、優れた方法なの かもしれない。 参考資料: http://ift.tt/UPtcvP ARMO公式ホームページ http://ift.tt/1uFnBme MOPI公式ホームページ http://ift.tt/UPtcvR インターネットで見れる有名なメイキング・オフ作品群 http://ift.tt/UPtcM7

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2014年6月18日水曜日

[World News #039] 洗脳のリスクも?~映画音楽の光と影~  世界中で興行記録を塗り替えたディズニー映画『アナと雪の女王(原題・FROZEN)』の快進撃を支えたのは、その圧倒的な歌唱力と耳に残る旋律を誇る映画音楽。日本を含め、主題歌「Let It Go~ありのままで~」が会場で心一つに歌い継がれたことも、爆発的ヒットに結び付いた要因とされています。  このように、映画の世界観を表すのに絶大な効果を発揮する映画音楽ですが、先日、ニューヨークで訪れた「グラウンド・ゼロ・ミュージアム・ワークショップ」で、違和感を覚える出来事がありました。それは、会場に足を一歩踏み入れた途端、聞き覚えのある『グラディエーター』の主題歌が流れていたことです。  このスペクタクル超大作は、2000年の第73回アカデミー賞で作品賞のほか、主演男優賞(ラッセル・クロウ)、音響賞、視覚効果賞など5部門を制覇(*1)。作曲賞は逃したものの、ゴールデングローブ賞で音楽賞を獲得した功労者は、重厚壮大な旋律で知られ、『インセプション』でも音楽を担当したハンス・ジマーです。  訪れたワークショップは、米同時多発テロで崩壊したワールドトレードセンターの跡地「グラウンド・ゼロ」で5月下旬に一般公開が始まったばかりの「9/11メモリアルミュージアム」とは異なり、テロからの復興に焦点を当て、こじんまりしたひと部屋に写真や遺留品を展示。観光情報サイト「トリップアドバイザー」で最近、ニューヨーク市で人気のあるツアー・ランキングで2位を獲得した(*2)注目スポットとなっています。  その会場に流れていたのが、陰謀に巻き込まれ、将軍から奴隷に転落した剣闘士マキシマスが、コロッセウムで悪の皇帝を成敗した直後に流れるヘブライ語の主題歌「ついに自由に(原題・Now We are Free)」です。筆者も思い入れのある映画で、落ち込んだ時に自らを鼓舞しようと毎日のように繰り返し観た時期もありますが、意外な場所での遭遇に、ふと冷静にならざるを得ませんでした。  映画のラストを締めくくるシーンで、曲が流れる中、マキシマスは「ローマ帝国の夢は実現される」と最期の言葉を残すのですが、これでは来場者が、かつて栄華を誇ったローマ帝国に現在のアメリカを重ねてしまうのではないかとの危惧を抱きました。それ以前には、マキシマスが「ローマは光だ。それ以外は残忍で無慈悲で、闇に満ちている」と評するシーンもあります。  イラク戦争では、女性や子供を含む大勢の市民が犠牲になったことは間違いなく、ブッシュ米大統領(当時)がその後、誤った情報分析に基づいて武力行使を行い、大量破壊兵器もなかったことを認める映像が今も記憶に刻まれている人も多いのではないでしょうか。  9.11は外交だけでなく、宗教、心情などの各方面で論争を巻き起こし、非常にデリケートな問題であるはず。それを、暴力描写を含む特定の映画音楽に重ねるのはいささか乱暴といわざるを得ません。つまり、一度でも主題歌を耳にしたことのある人なら、かの有名なイントロが流れた瞬間、「アメリカ=正義」という勧善懲悪の図式が無意識のうちに浮かんでしまうかもしれないのです。それって、怖いことだと思いませんか?  この非営利のワークショップでは、ツインタワーに旅客機が突っ込む瞬間はあえて展示せず、消防士やボランティアらの献身的な活動を中心に、復興の歩みを丹念に追っています。せっかくの真摯な試みが、仮に政治利用につながってしまったとしたら、悲しいことです。  「光と音の総合芸術」と呼ばれる映画。中でも音楽には、脳に興奮や陶酔をもたらす作用を持つリズムもある(*3)ため、強いインパクトのある映画音楽を用いる場面によっては、洗脳のリスクがあるのは否めません。映画は娯楽であると同時に、本来、何かしらの気づきをもたらす大事な役割があるはずだと信じる観客も多いかと思いますが、逆に思考停止に陥ってしまったら、それは制作サイド、観客の双方にとって不幸なのではないでしょうか。     ただ、ある映画監督によると、「現実が込み入りすぎて、観客は映画にもはやそうした機能を求めていない」といい、気づきという意味では、ハリウッドより低予算のアートハウス作品などが今後、さらに苦戦を強いられる可能性もあります。  『グラディエーター』で、マキシマスや元老院議員らは「すべてはローマ市民のために」と繰り返します。しかし、描かれるのはなぜか、歯が抜けていたり、コロッセウムに往年のチャンピオンを拍手で迎えたかと思えば、一転、“KILL, KILL(殺せ、殺せ)”と囃し立てたりする愚民が大半。物語の中盤で、噂の剣闘士を一目見ようと会場に詰め掛けた大勢の観客に対し、マキシマスが“Are you not entertained(これでもか)?”と叫ぶシーンがありますが、この台詞は皮肉にも、現代映画におけるエンターテインメントのあり方をめぐる問題の本質を突くひと言なのかもしれません。 バック淳子 http://ift.tt/1gY2Yvd <筆者プロフィール> 大学卒業後、記者として勤務。国際報道などに携わる。この夏よりロサンゼルスに映画留学予定。 <過去の記事> [World News #008]~ブリット・マーリングの魅力と魔力に迫る!~ http://ift.tt/1vO4PeR [World News #018] http://ift.tt/1lRsAPU (*1) allcinema ONLINE http://ift.tt/1vO4Orj (*2) 「グラウンド・ゼロ・ミュージアム・ワークショップ」公式サイト http://ift.tt/1lRsAPV (*3)ダイヤモンド・オンライン http://ift.tt/1vO4Pvb

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2014年6月16日月曜日

[World News #037]台詞なし、過激シーン続出、本国韓国でも実質上映不可!キム・ギドク史上最大の問題作『メビウス』 『悪い男』、『嘆きのピエタ』など数々の作品で、今やヴェネチア・ベルリン・カンヌ三大国際映画祭の常連となった韓国の鬼才、キム・ギドク。工場員、海兵隊を経てフランス留学、というその特異稀なバックグラウンドゆえに放たれる、社会に対する強いメッセージ性と警鐘、過激な描写が特徴的な彼の作品は、これまで例に漏れず注目を集めてきた。そのキム・ギドク史上”最高傑作にして最大の問題作”とされていた『メビウス』が今冬日本公開に先駆け、新宿シネマカリテでの「カリコレ2014」(*1)のクロージング作品として6月13日初上映され、反響を呼んでいる。 『メビウス』は2013年にキム・ギドクにより脚本・製作された韓国映画で、性的欲求により崩壊するある家族を生々しく描いた作品。第70回ヴェネチア国際映画祭においてコンペティション外で世界初公開されたが、上映時には失神者も続出した。それもそのはず本作は、夫の浮気に逆上した妻が、夫への復讐のため息子の性器を去勢し、息子のその姿を痛ましく思った父親が、今度は自らの性器を切り取り…という、ギドクの過去作品でもありえない程の奇天烈ストーリー。本編には会話が全くなく、音声は呻き声や喘ぎ声のみで、もちろん字幕もなし。新しいサイレント映画のような奇抜な試みも特徴的である。 http://ift.tt/1n3TyAw しかし、去勢、自慰行為、近親相姦などのあまりにも過激なシーンが多すぎるとして、韓国映像物等級委員会(KMRB)は”制限上映”の審査を下した(*2)。KMRBによる”制限上映”は、上映・広告・宣伝で制限が必要だと判断される映画に下す判定。この判定が下された映画は、制限上映館として登録された劇場でしか上映と宣伝ができなくなる。問題は韓国で制限上映可の専用劇場がないことであり、つまり、制限上映の判定を受けることは、事実上、韓国国内での上映ができないことを意味する。制限上映の審査を受け、ギドクはKMRBに意見書を提出。問題とされた母と息子の近親相姦描写に関して「映画の中で近親相姦の描写は最も強調したい部分ではないが、この映画のテーマを貫く重要な装置で演出者としては避けられない表現だ」とコメントし、「『メビウス』は人間の数多くの問題の一つである性と性器について問った映画」、「せめて19歳以上の韓国人たちがこの映画を見て自身で価値を判断してほしい」と訴えた(*3)。KMRBによる再審の結果、特に問題とされた2分30秒間のシーンをカットすることを前提に、”R18指定”を受けた。ギドクはカットを要請されたシーンに対して「映画として避けられない描写だった」と苦言しているが、ようやく漕ぎ着けた本国韓国での公開(2014年9月5日)に感謝の意も表している(*4)。 国内上映は不可能と言われてきた衝撃の本作だが、奇跡的に日本解禁が決定している。キム・ギドク監督最新作『メビウス』は、新宿武蔵野館にて今冬ロードショー予定。 また、冬まで待ちきれないというキム・ギドクファンの方に朗報。キム・ギドクがプロデューサー、原案、編集を手がけた『レッド・ファミリー(原題)』(イ・ジュヒョン監督)がこの秋、新宿武蔵野館ほか全国順次公開予定である。韓国で暮らす一見普通の家族は、実は北朝鮮から送られたスパイだった…というこれもまたギドクらしい、ユニークな設定の本作だが、笑いと同時に大粒の涙を誘う。第26回東京国際映画祭で観客賞を受賞、という太鼓判付きの作品だ。 (記事・内山ありさ) *1 カリコレ2014/カリテ・ファンタスティック!シネマコレクション2014 http://ift.tt/1d9uGmE *2 TwitchFilm.com http://ift.tt/1521eR8 *3 Kstyle http://ift.tt/1n3TBw1 *4 The Wall Street Journal http://ift.tt/1lyBtgV *5 GAGA 『レッド・ファミリー(原題)』 http://ift.tt/1n3TzEl



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2014年6月15日日曜日

[World News #035] 6月11日からアメリカで開催されているロサンゼルス映画祭は、今年で20周年を迎える。米国内においては上映作品のセレクションに定評がある映画祭で、毎年8万人以上の参加者と、世界初公開を含めた100以上の作品を数えている。これまで日本映画でも、行定勲監督の『パレード』、三池崇史監督の『悪の教典』、中村義洋監督の『ゴールデンスランバー』などが上映された。アメリカで開かれる中でも知名度の高い映画祭であり、毎年世界各国から良質な作品が集まっている。(*1) 映画祭には長編部門だけではなく、さまざまな部門が存在する。たとえば、高校生を対象とした短編映画部門や、10分以下の作品を対象としたミュージックビデオ部門。また劇映画やドキュメンタリーなど5部門で、観客によって選ばれる「観客賞」が制定されている。セミナーや野外イベントなども充実しており、誰もが楽しめる映画の祭典であると言えるだろう。 映画祭は、「Film Independent」によって提供されている。Film Independentは、独立プロによる映画や、多様性や革新性を生み出す芸術家を支援する非営利芸術団体で、年間250以上の上映やイベントで、映画における創造性を支援している。この団体には、映画に熱意を持つ人なら誰でもメンバーになることが可能となる。私たちが映画に主体的に関わる、その絶好の機会であるかもしれない。(*2) 日本に関連した話題で言えば、日米合作映画『リノから来た男』(原題:Man from Reno)がコンペティション部門に出品されている。藤谷文子と北村一輝、また米俳優のペペ・セルナが主演であり、『ホワイト・オン・ライス』のデイブ・ボイルが監督を務めた本作。「英語圏、日本語圏から集まったスタッフたちが見事にそのハーモニーを奏でることができた」と藤谷は語っており、多様性が売りの本映画祭ではどのように評価されるのか、興味は尽きないところだ。(*3) 映画祭は19日まで開催される。審査員大賞の行方ももちろんではあるが、観客賞や話題になったミュージックビデオの情報なども、多様性を知る上でぜひチェックをしておきたい。 若林良 (*1) http://ift.tt/1ivpImW (*2) http://ift.tt/1oZIRmW (*3) http://ift.tt/1oZIRn0



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ジョージ・タケイ来日講演会レポート【前編】 変革の起こし方 ~ハリウッドへの道、そしてその先へ~ 先週、『スター・トレック/宇宙大作戦』シリーズでおなじみ、ハリウッドで最も成功した日系人俳優といわれるジョージ・タケイ氏が講演会などの来日ツアーを行いました。Inside Indie Tokyoでは、6月5日に行われた東京でのトークイベントを前編と後編に分けてレポートします! ジョージ氏といえば、『スター・トレック/宇宙大作戦』のカトー役(オリジナル版ではヒカル・スールー)です。1966年から放送されたこの革新的なドラマのテーマの一つは「多様性」でした。 物語の舞台は、人類が地球人として一つになり、異星人との交流をもつ23世紀。アメリカ人、アジア人、ロシア人、アフリカ人、またはバルカン人などの異星人、そして男性、女性が同じコックピットに乗り、未知なる宇宙を開拓していく姿は、当時、東西冷戦や人種差別といった問題をかかえる世界に希望をもたらしました。日系人であるジョージ氏も、多くのアジア系アメリカ人のロールモデルとなります。 そして現在は、オープンリーゲイとしてLGBTの権利獲得運動にも参加しています。77歳という高齢にもかかわらずFacebookを使いこなし(フォロワー数713万人!)、精力的に活動する彼は、日々、世界中の人々にあきらめないことの大切さ、自己改革の可能性、そして自分自身が世界に変化をもたらすことができるのだという希望を伝え続けているのです。 会場の期待が高まる中、いよいよジョージ・タケイ氏の登場です! 熱い拍手に笑顔でこたえつつ、「まるでスター・トレックのファンミーティングのようですね」とさっそくジョークを飛ばすジョージ氏。和やかな雰囲気の中、彼は自分の生い立ちについて語りはじめました。 1937年生まれのジョージ氏は、太平洋戦争中、三年にもわたる強制収容所での生活を強いられ、その後も10代まで貧しい暮らしを経験します。あるとき彼は、公民の本を読んで疑問をもちました。「そこには、自由や幸福というすべての人間にはほかの誰にも奪えない権利があると書かれていました。私は強制収容所での経験を思い出して閉口しました(笑)」。 彼はその気持ちを父にぶつけます。父は、「民主主義には不確実な面もあって、間違った選択をすることもある。でも、民主主義は絶対にあきらめない。あきらめずに声を上げる人がいれば希望がなくなることはないのだ」と息子に伝えました。この言葉は、その後のジョージ氏のさまざまな社会活動の源となります。 彼が自分のセクシュアリティに気づいたのは、10代の頃でした。「年頃になると、周りの男友達はみんなレベッカがキュートだ、モニカがホットだと騒ぎはじめたけど、私はボビーという男の子がキュートでホットだと思っていました(笑)。当時それを口に出す勇気がなかった私は、女の子が好きだという“演技”を始めたのです」。その後も、俳優としてのキャリアを守るため、同性愛者であることを隠して若くてきれいな女性とレッドカーペットを歩き、後でひそかにゲイバーに向かうという生活が続きました。彼は、そのように偽りの自分と真の自分の二つの顔をもって生きることはとてもつらいものだったと振り返ります。 そんな彼をカミングアウトへと導いたのは、「怒り」です。2005年、カリフォルニア州は同性婚の法案を通過させ、あとは知事の署名だけという段階までこぎつけました。当時のカリフォルニア州知事といえば、そう、あのアーノルド・シュワルツネッガー氏です。しかしシュワルツネッガー知事は、この法案に反対していた保守派のご機嫌をとるため、署名を拒否したのです。 「彼が知事になれたのは、ハリウッドのLGBTコミュニティが彼を支持したからです。しかし彼は私たちの信頼を裏切ったのです。そこで私は思いました。自分のセクシュアリティを隠している私も彼と同じ偽善者ではないかと。「怒り」こそが、私を突き動かしたのです。そして私は同性愛者であることをカミングアウトし、LGBTの人権運動をはじめました」。 エスニックマイノリティとして、セクシャルマイノリティとして、数々の困難とたたかってきたジョージ氏。そんな彼が、「人種差別とLGBTに対する差別はよく似ている」というのは、とても説得力があります。どちらも、ただありのままの自分でいるというだけで差別を受けます。ある人が自然な状態でいるということを否定するのは、非常に不自然なことです。人種差別がおかしいということは、私たちは歴史的な経験により知っています。今では、人種差別のことを合理的だという人はいないでしょう。 では、なぜLGBTに対しては理不尽な態度をとれるのでしょう?なぜ私たちは同じ間違いを繰り返すのか?私たちは歴史からもっと多くのことを学ぶべきではないのか?私自身、このような疑問でいっぱいになりました。 しかし、「アメリカの歴史を知っているからこそ、私は希望を失わない」とジョージ氏は語ります。女性の公民権獲得、奴隷の解放・権利獲得といったアメリカの歴史が「変革の実現」を証明しているからです。歴史が繰り返すことは、希望でもあるのです。 「LGBTをとりまく状況の変化も、ゆっくりと、確実に進んでいると思います。私たちの民主主義は、いま、ここで作られているのです。だからこそ今日ここで私は、日系人の、ゲイの、誇り高きアメリカ人としてお話することができています。今日は、私の話に耳を傾けてくださってありがとうございました」。 どんなに理不尽な状況にあっても、決してあきらめず、自己の、そして世界の変革を実現させてきたジョージ氏の言葉はとても力強く、しかし優しく私たちの心に響きました。なぜ彼が長きにわたり世界中の人々を虜にしてやまないのか、その理由を肌で感じた瞬間でした。 このあとイベントは、質疑応答コーナーへとうつります。ここでもまた、『宇宙大作戦』の撮影当時の裏話から、マイノリティであることをどのように克服したか、日本のマイノリティについての問題を解決するにはどうしたらよいかといった話題まで、真剣に、しかしユーモアを交えつつ、興味深い話をたっぷりと語ってくれました。 後編では、こちらをレポートさせていただきます! お読みいただき、ありがとうございました。 Posted by 北島さつき アメリカ大使館主催:変革の起こし方 ~ハリウッドへの道、そしてその先へ~ http://ift.tt/1ni9LF8



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[World News #034] インディーズ監督作をヒットさせるには  先日6月6日にアメリカで公開された、ジョシュ・ブーン監督最新作“The Fault In Our Stars”(原作邦題:さよならを待つふたりのために、日本公開未定)が話題を呼んでおり、アメリカでは今夏の大ヒット作のひとつとなりそうです。  本作は、ジョン・グリーンの代表作である同名小説の映画化で、ガンのサポートグループで出会った男女の、甘くて苦いラブストーリーを描いています。キャストには、アメリカでNo.1ヒットを記録した大作『ダイバージェント』(日本では7月11日公開予定)で主演を務め、今最もホットな若手女優ともいわれるシェイリーン・ウッドリーをはじめとして、同じく『ダイバージェント』でシェイリーンと共演したアンセル・エルゴートや、ウィレム・デフォーなどを迎えています。  ジョシュ・ブーンの処女作は、2013年7月にアメリカで公開された“Stuck in Love” (日本公開未定)です。“Stuck in Love”はいわゆるインディーズ系の映画で、低予算で撮られ、21シアターのみで公開されました。しかし信じられないことに、2作目となるこの“The Fault In Our Stars” の公開劇場数は、公開から3日にして3100シアターを超えています。興収の面でも、アメリカではこちらも現在話題の『マレフィセント』を超えるという偉業を成し遂げました。(*1)  ほとんど無名の監督が、ハリウッドで映画を作り、ここまでヒットするというのは、極めて異例の事です。彼がインディーズからハリウッドに移ることになった経緯について、インタビューの中で次のように語っています。  「1作目をインディで撮る事になったのと、2作目をハリウッドで撮る事になったのは、まったく違うようで、僕はどちらに対しても同じことをしただけです。 一作目の脚本を書いたらいろんな人が評価してくれたけれど、僕と配給会社との仲介役がなかなか行動してくれず、映画を撮るには至らなかった。それでフラストレーションが溜まった僕は、自分でやることにしたんです。初監督作を撮らせてくれるプロデューサーを探して、その人たちのアドレスを見つけては、何通も何通もメッセージを送ったんです。その結果、CAAで“Stuck In Love”を撮れることになった。そしたら今度はそれを、自分で21世紀FOXに持って行ったんです。それが彼らに気に入ってもらえて、今回の“The Fault In Our Love”を撮る事ができた。インディにしても、ハリウッドにしても、どちらも自分で売り込みに行ったから撮る事ができたんです。」(*2)  作品と才能を自ら売り込むことによって、インディーズ系の映画監督が成功を収めた好例ですね。もしかするとインディーズとハリウッドの間の壁は、そんなに高くないのかもしれないと感じました。彼に倣って、これからもっとたくさんの若い才能が日の目を見ることを期待します。 則定彩香 *1 http://ift.tt/1mxMOL1 *2 http://ift.tt/1kXCFuh 公式ホームページ http://ift.tt/1k9d13s 監督によるシーン解説 http://ift.tt/1vcpNUn



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2014年6月7日土曜日

[World News #031] youtubeで話題になった女性変死事件、『ドライブ』名監督により映画化? “実話”に基づいて着想を得た映画が最近の映画界を賑わせている。新宿シネマカリテの開館一周年記念として開催されている「カリコレ2014」(*1)では、2003年にイギリスで実際に起こったインターネット犯罪を描いた『U Want Me 2 Kill Him?(原題)』が封切りとなり、『ユージュアル・サスペクツ』のブライアン・シンガーが製作、『悪魔の棲む家』のアンドリュー・ダグラスが監督を務めたことでも注目を集めたが、描いた衝撃的な実話も話題となった。また先日『プラトーン』、『JFK』等で社会派作品に定評のあるオリヴァー・ストーン監督が、米政府による個人情報収集の実態を暴露したことで世界的に有名となった元CIA職員、エドワード・スノーデンをテーマとした映画製作を発表(*2)。自身の戦争体験を生かしながらアメリカの実情に鋭くメスを入れる、オリヴァー・ストーン監督ならではの描写に期待が高まっている。 今日は実話をテーマにした映画にスポットを当てたい。ロサンゼルスにあるいわくつきスポット、「セシル・ホテル」。このホテルで実際に起きた女子大生の変死事件を、『ドライヴ』、『オンリー・ゴッド』で世に名を知らしめたデンマークの鬼才ニコラス・ウィンディング・レフン監督がホラー作品『ザ・ブリンギング(原題)』として映画化する可能性が明らかになった(*3)。 2013年2月20日、セシル・ホテルの屋上にある給水塔貯水タンクから、2月頭から行方不明となっていたカナダ名門校の学生Elisa Lam(エリサ・ラム)さんの遺体が発見された。発見された時には既に死後3週間とみられ、遺体は腐乱しきって浮上。屋上へのドアは警報装置付きで施錠され、給水塔は密閉されている状態のため、一体なぜラムさんがそのような経緯で死に至っているのか、いまだ死因は特定できないままにいる。 http://ift.tt/T4rSUW youtubeで公開され600万回を超え再生されたこの映像には、死後数時間前にきわめて不可思議な行動をとるラムさんの行動が記録されている。セシル・ホテルのエレベーター内を撮影したこの監視カメラの映像では、ラムさんがなぜか扉の閉まらないエレベーターの中で、全ての階のボタンを押したり、何者かから身を隠すような動きをしたり、誰かを招き入れるような手の動きをしたり…と、一人不可解な行動を取る姿を映し出し話題となった。セシル・ホテルは古くから自殺や凶悪殺人事件の発生場所として知られており(*4)、ゆえに心霊スポットとしても名を馳せている。ラムさんの死因は結局「事故」として処理されたが、真相はいまだ分かっていない。 『ザ・ブリンギング』はこの奇怪な事件をヒントに、ホテルで起きた宿泊者の死について捜査していた人物が、奇怪な現象に見舞われるというストーリーを予定。今年2月、米ソニー・ピクチャーズが激しい争奪戦の末にブランドン&フィリップ・マーフィー執筆の脚本を獲得した。以前からホラー映画製作に興味のあったレフン監督側からソニー・ピクチャーズに製作意欲をアプローチしたとのことである。 ラムさんのきわめて不可解な行動と死因を、一部は精神的疾患、もしくは麻薬やドラッグによるものだと推測する一方で、映像からうかがえる明らかに“一人ではない”、“何かが見えている”様子から、心霊現象によるものと見なす者もいる(*5)。このエレベーターでの様子から貯水タンクに至るまでの彼女の行動も、彼女の身に実際に起こったことも我々は知る余地もないが、レフン監督が作品として映画化することにより確実に新しいインサイトが生まれるであろう。 (記事・内山ありさ) *1 カリコレ2014/カリテ・ファンタスティック!シネマコレクション2014 http://ift.tt/1d9uGmE *2 シネマトゥデイ http://ift.tt/1kOpjM1 *3 livedoor NEWS http://ift.tt/1usnpZ5 *4 CNN.co.jp http://ift.tt/1usnpZ9 *5 Cinema Blend.com http://ift.tt/1mx63Yw



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2014年6月5日木曜日

Anita Monga On the 2014 SF Silent Film Festival

[World News #030] みなさん、こんにちは!今日はサイレント映画について考えてみたいと思います。 2012年の第84回アカデミー賞で作品賞を獲得したのは、1920年代後半のハリウッドを舞台としたサイレント映画、『アーティスト』でした。時代に取り残されたかつてのスター男優と新進気鋭女優の恋物語は、サイレント映画(無声映画)からトーキー(発声映画)に移行する当時の映画界を象徴的に、ロマンティックに描きました。そして、サイレント映画の魅力を改めて観客に問いかけました。音のない世界に音楽が添えられ、なによりそこには、観客の豊かなイマジネーションが、作品世界に入り込む余地があります。 WAY TOO INDIE では、この5月29日から6月1日まで行われていた、サンフランシスコ・サイレント映画祭 (San Francisco Silent Film Festival) の美術監督を務めたアニタ・モンガ (Anita Monga) にインタヴューをしています。映画祭がおこなわれたカストロ・シアターは、1910年にオープンし、まさにサイレント映画の黄金時代を生きた映画館と言えます。 映画祭は、第一世界大戦百周年の記念を兼ねて、レックス・イングラムの『黙示録の四騎士』 (The Four Horsemen of the Apocalypse, 1921) で始まり、バスター・キートンの『海底王キートン』 (The Navigator, 1924) で閉幕しました。その他、カール・ドライヤー、小津安二郎、マックス・ランデーの作品が上映されました。 アニタはインタヴューの中で、現代人にとってサイレント映画を見ることは、非常にアカデミックな経験、つまり、シェイクスピアを読み、その劇を上演することと同じだことだと表現します。彼女が提唱するのは、サイレント映画の古典を、掘り起こし、私たちなりに解釈し、それにふさわしい伴奏をつけ、新たなショーとして、エンターテイメントとして繰り返し味わうことです。その意味で、アニタは劇場でのサイレント映画公開の普及を推奨します。シェークスピアの劇が今なお上演されつづけているように、サイレント映画の古典も、現代の劇場・映画館で上映され、生き続ける芸術であるはずだ、とアニタは言います。 彼女は、サイレント映画を語る時に思慮深さ、想像力の豊かさ (thoughtfulness) を強調します。映画の世界観に寄り添いそれを共に作り上げる想像力豊かな伴奏と観客がサイレント映画には不可欠である、と。つまり、観客にとっては、映画の世界、その時空間に自由に想像の翼を広げ、笑い、感情を揺さぶれ、冒険することこそ、サイレント映画の愉しみなのです。サイレント映画の古典には、「単純で退屈」という悪口を蹴散らす、なんとも知的な創造性が秘められているのです。 19世紀後半に映像が発明されて以来、人々は映画に魅了され続けてきました。映画技術は高度に進化を続け、今では、高音質技術で臨場感のある音を作ることも、3Dで映像を立体的に見せることも、CGで存在しないものを存在させることもできます。けれど、作り手の世界観が作品の中でより完成されていくについれて、私たち観客がそこにイマジネーションを膨らませる隙はどんどんなくなってきているのかもしれません。 しばしば、文明は人類を退化させるといいます。アニタは人々にはサイレント映画を楽しむストレッチが必要、と話します。サイレント映画は、現代人が失いつつあるかもしれない想像力を鍛え、その愉しみを取り戻す手助けをしてくれるかもしれません。 Anita Monga on the 2014 SF Silent Film Festival http://ift.tt/1i3O8E1 2014年度 サンフランシスコ・サイレント映画祭 http://ift.tt/1m1CiMV カストロ・シアター http://ift.tt/183pYZq 映画『アーティスト』予告編、http://ift.tt/1i3Oavs

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2014年6月4日水曜日

Les Inrocks - Festival de Cannes : On ne change pas ? Alors mutons

[ World News #028] 変化を待ちわびて 変異する人々 第67回カンヌ映画祭が閉幕し、受賞作品などが発表されたが、実際に映画祭に参加した人たちは今回の映画祭をどのように感じていたのだろうか。元カイエ・デュ・シネマ編集長、現カルチャー誌・les inrocks(les inrockuptibles)編集長のジャン=マルク・ラランヌが本映画祭に見た現在・今後の映画の未来について触れていきたい。*(1) ちなみに、カンヌ映画祭が始まる前にles inrocksでは同雑誌の記者であるジャン=バティスト・モランによって、映画祭の上映作品に関する意見が述べられているが、その内容は些か悲観的なものだった。*(2) というのは、今回の映画祭はフランスの映画監督や大御所の映画作家たちの出演が多く見られ、思いがけない発見が僅かにしか感じられないラインナップであるからだという。その背景には、これまでカンヌ映画祭の総裁を務めてきたジル・ジャコブ氏の引退に花を添える為のラインナップだったのかもしれないが、その真意はさて置き、確かに新たな才能を発見するというよりは、既に著名な監督たちが名を連ねていたようにも見える。 そして今回の映画祭の総評として、ジャン=マルク・ラランヌはとても多様性に富んだ映画祭であるのに対し、期待はずれのパルムドールだったと、かなり過激的な文章を寄せている。*(3)  「少なくとも言えることは、ジェーン・カンピオンと彼女の審査員たちは私たちと同じ映画祭を過ごさなかったという事と、またコンペティション部門にて私たちも共に見て、駆け巡ったはずの世界の映画の風景とは違う道を歩んだようだ。唯一の一致は:ジュリアン・ムーアの女優賞、『Maps to the stars』における彼女の溢れんばかりの演技に対してぐらいのものだ。クロネンバーグの残酷で愉快な映画はカンヌ映画祭の中でも最も刺激的なものだったが、他のすべては表彰台に存在さえしなかった。オリヴィエ・アサイヤスの『Sils Maria』、ベルトラン・ボネロの『Saint Laurent』、ダルデンヌの『Deux jours, une nuit』といった私たちの心をとりわけ掴んだ、これらの三作品でさえ審査員たちの関心を引くことはなく、私たちは困惑した。」*(3)  無論、こういった批評家と映画祭の審査員の意見が異なるのは毎度の事だが、ジャン=マルク・ラランヌの不満は決してヌリ・ビルゲ・ジェイランの『Winter Sleep』が悪い作品であるということを指摘しているのではなく、むしろパルムドールを受賞するだけの野心的な作品で、ポスト・ベルグマン的な流れを汲んでいる、現在でいうところの「傑作」と呼ばれる部類の作品であるということは彼も認めてはいる。しかし、その言わば順当な「傑作」作品ゆえに、現代における映画のコンテクストからすると些か時代遅れだと感じ、本映画祭の全体的な受賞結果にその傾向が見られることに対して、不満を示しているのである。では、彼が本映画祭に見た可能性とは何だったのか。 ジャン=マルク・ラランヌは今回のカンヌ映画祭では多くの映画が人生、自分という存在を変える可能性・・・または別の生物へと変わる可能性を問いている作品が見受けられたという。人が生まれ変わることは果たして本当に可能なのか。 その問いに対して「我々は変わらない」と答えるのがクザヴィエ・ドランの『Mommy』において定められているビジョンだという。如何なることが登場人物たちに訪れようとも、彼らを変化させる要因とはなりえず、一つのレールに従うように、一直線に突き進んでいく。そういった登場人物たちが今年のカンヌで多く見られたという。(例えばアンドレ・テシネの『l'homme qu'on aimait trop』におけるカトリーヌ・ドヌーヴや、クロネンバーグの『Maps to the stars』における近親相姦による子供たちなど) ならば、自分ではなく他人を変えることは可能だろうか。 そういった可能性が『Deux jours, une nuit』のマリオン・コティアールに見られるものの、それもまたどこか否定的だという。それでは、他に残された術は? その一つの答えとして、パスカル・フェランの『Bird People』では登場人物にちょっとした奇跡が用意されているようだ。それは:突然変異だという。自分の生き方を変えるために、登場人物が自分の妻や仕事さえも捨て、国を後にしたりすることはあるが、もし自分を別の生物へと変えることが出来たとしたら、どうするだろうか。それが作中の若いメイドの登場人物に訪れ、彼女はスズメへと身を変える。 「しかし、スズメへと身を変えたところで結局は何も変わらない。フクロウによって身を貪られるか、仕事によって身を貪られるかの、同じ生存のリスクを背負うことになるからだ。」*(1) こうした動物の特性や習性に象徴的、寓話的解釈を与えるような演出が他の作品にも見当たるという。(ライアン・ゴスリングの『Lost River』における喉を切って殺されるネズミや、河瀨直美の『二つの窓』においてドラゴンの刺青が別の登場人物へと滑り混むときなど。) 「ジャン=リュック・ゴダールの『Adieu au Langage』では「私たちに子供は出来ないだろう。だが犬は出来るだろう」というのが聞こえてくる。もし、進化の連鎖が逆過程を辿ったとしたら?もし、人間の子孫が動物だったとしたら?鳥になり、犬をもうけ、人間中心主義から食み出でること。ゴダールのように犬の皮膚や脇腹へと折られた足を、来るべきイメージとして映したものは他に居ない。確かに、私たちは変わることはない。ならばいっそ変異してしまおう。」*(1) どうやらジャン=マルク・ラランヌは本映画祭で、人々が新たな生を獲得するのを見出し、映画が生まれ変わりつつあるという印象を受け取ったようだ。だからこそ、些か保守的過ぎるほどの今回のカンヌ映画祭の受賞結果に納得がいかなかったと思われる。これはあくまで彼の個人的な意見にすぎず、必ずしも正しいというわけではない。しかし、だからこそ、新しく生まれつつあるものの傍らに立つのがいかに難しいことなのかを否応なしに意識させられることでもある。どのような態度を持って来るべき、また誕生しつつある映画を擁護すれば良いのか。だが、その誕生を見守れたらどんなに幸せなことなのだろう。 果たして誕生するのは、動物なのか、それとも怪物なのか。せめて、それを見届ける準備に備えておきたいものである。 http://ift.tt/1i0xcON http://ift.tt/1i0xd53 http://ift.tt/1oVX4mp

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[ World News #028 ] カンヌ映画祭「ある視点」部門の魅力 第67回カンヌ映画祭は、トルコ映画『Winter Sleep』を最高賞に選んで無事閉幕した。コンペティション部門には、巨匠たちの新作を中心に充実した作品が並び、それぞれに対する評価の声も高かった。しかしながら、日本の各種メディアは、パルム・ドールの行方を含めたコンペ部門以外を、あまり積極的に取り上げることはなかったように思う。もちろん、コンペが映画祭において大きな目玉となることは否定できないが、カンヌには他にもさまざまな部門が存在している。 例えば、映画祭の会長ジル・ジャコブが創設した「ある視点」部門。ここには、新人監督による作品や、実績のある監督の野心的な作品が並ぶ。非コンペながら審査員も存在し、過去の受賞作としては、黒沢清の『トウキョウソナタ』や、キム・ギドクの『アリラン』などまさに先鋭的な作品ばかりだ。また近年では『わたしはロランス』のグザヴィエ・ドランなど、新しい才能が発掘される事例も数多く存在する。コンペ部門が比較的有名な監督で埋められる事を考えると、「ある視点」部門はいわば、“コンペの足りない部分”を補う部門であると言えるだろう。逆に言えば、この部門を知ることなしに「カンヌの全貌」を理解することはできないはずだ。 今回「ある視点」部門で作品賞を受賞したのは、コーネル・ムンドゥルッツオ監督の『White dog』(ハンガリー・ドイツ・スウェーデン合作)。純血種を優遇する法律が適用されたことをきっかけに、人間と犬との間で戦いが起こるというもの。いわば『猿の惑星』の犬バージョンのようなテイストで、現代のヨーロッパの姿を象徴的に示した作品だ。「ホラー映画やディズニー映画といった1つの枠に当てはまらない、そうした点が魅力的な作品」(*1)といった評価を受け、主役と呼べる犬ハーゲンを演じたボディとルークには、もっとも優れた演技(?)をした犬に与えられる「パルム・ドッグ」賞が与えられた。 審査員賞はスウェーデン映画『Turist』。雪山での事件をきっかけに、一家での信頼が揺らぐ父親。彼はなんとか家庭内の地位を取り戻そうと奮闘し、その過程を通して現代の家族のあり方が問い直されていく。リューベン・オストルンド監督は「映画史上、最高に派手な雪崩のシーンを作ることができた」と語り(*2)、それが映画の上でも、大きな目玉になっているよう。オストルンドは今回が4作目という若い監督であり、今後はコンペティション部門での登場も期待される。 また、新人賞(カメラ・ドール)、アンサンブル賞を合わせて受賞した、『Party Girl』も注目作の1つだった。マリー・アマシューケリをはじめとした3人の監督によって撮られた本作は、60歳のホステスの、常連客との恋が中心的なプロットとなる。批評では賛否両論あるものの、「『変われない』女性の心理を知る上で興味深い作品だ」(*3)といった評価もあり、複数の監督ならではの利点も生かされているよう。 他にも、マチュー・アマルリックの心理スリラー『The Blue Room』など、俳優を本業とする監督たちの3本の作品や、ヴィム・ヴェンダースによる世界的写真家を追ったドキュメンタリー『The Salt Of The Earth』など、それぞれ上記の作品も含め、まさにバラエティに富んだ21作品が揃った。評価は作品によって差があったとはいえ、これらの作品が今年のカンヌを、色濃く飾ったことは間違いない。 上記のような作品が、日本で公開される機会は現状あまり多くはない。しかしながら、「ある視点」部門を含めたコンペ外のラインナップ、批評家週間や監督週間などの出品作には、世界の映画の現状や、監督の知られざる顔を見ることが出る作品が多く存在している。そうした作品に触れることで、コンペでは見えてこなかった一面も、私たちには確かに見えてくるだろう。カンヌの多様性を深く知るために、より“知られざる”映画へと、興味の幅を広げてみてはいかがだろうか。 若林良 (*1) http://ift.tt/1nayDPA (*2) http://ift.tt/1nbt0zY (*3) http://ift.tt/1pE20wm (photo)『Party Girl』の1シーン



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2014年6月3日火曜日

[ World News #027 ] ルイ・ヴィトンの表参道店で現在スティーブ・マックイーン展が開催されるなど、高級ファッションブランドの店舗でギャラリーが展開されているように、過去の重要な映画作品がブランドの店舗併設のシアターで上映されているのをご存知だろうか。 たとえばエルメスの銀座の店舗では毎回テーマを設け、それに沿った作品を上映。2014年は『メタモルフォーズ―変身』をテーマとし、6月は2011年のベルリン国際映画祭でテディ賞審査員特別賞を受賞したセリーヌ・シアマ監督の映画「トムボーイ」を上映中だ。フランスの小さな田舎町で自らを「ミカエル」(男性の名前)と名乗る10歳の少女が主人公。思春期はじめの繊細さや周囲との葛藤を美しい田園風景とともに描いている作品だ。おなじメタモルフォーゼというテーマで5月にはドイツの現代舞踊家の生前最後の姿をおさめた作品「ピナ・バウシュ 夢の教室」が上映された。 http://ift.tt/1wZjjdf GUCCIもシネマヴィジョナリーズというプロジェクトで過去の重要な作品(ヴィスコンティ「山猫」、セルジオ・レオーネ「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」等)を財団のバックアップの元、修復し上映する活動を続けてきた。(2014年の上映は5月で終了) エルメスもGUCCIも予約が必要だが、上質な作品を無料でスクリーンで見られる希有な施設なので、余暇の過ごし方に候補として頭の片隅に入れておいてはいかがだろうか。 磯野 麻夕子



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2014年6月1日日曜日

[World News Extra #003] ソダーバーグとクロエ・グレース・モレッツによる銃乱射事件を描いた舞台 現在、男性中心主義社会やそこで生まれる文化、そしてミソジニー(女性嫌悪)を巡って大きな議論をアメリカで巻き起こしているサンタバーバラ銃乱射事件ですが、その概略については[World News #026]の記事で既に則定さんがリポートしてくれています。 http://ift.tt/1hLpuYH この議論の中で、つい先日までニューヨークのPublic Theaterで上演されていた一つの舞台が話題となっていました。 それは、映画監督業からの引退を発表したスティーブン・ソダーバーグが演出を務め、彼の作品『コンテイジョン』や『サイド・エフェクト』で脚本を担当したことで知られるスコット・Z・バーンズが戯曲を書いた「ザ・ライブラリー」という作品です。 主演には、これも映画ファンにはお馴染みのクロエ・グレース・モレッツが出演しており、このキャスティングは日本でも話題になりました。 「ザ・ライブラリー」は、コロンバイン銃乱射事件に取材した作品です。しかし、『ボウリング・フォー・コロンバイン』や『エレファント』などとは異なり、犯人が中心として描かれたものではありません。主人公は、虐殺を生き延びた生存者の一人です。病院ともモルグとも判別できない場所で昏睡状態から目を覚ました彼女は、友人たちが虐殺の被害者となってしまったことを知ります。しかし、それと同時に彼女は、一人のクラスメイトによって、自分が犯人たちの手助けをしたと告発されていることも知るのです。自分だけが助かるために、他のクラスメイトたちの隠れ場所を犯人たちに告げ口した、と。 彼女は反論しますが、その時本当に何が起こったのか、自分の記憶にさえ自信を持つことが出来ません。一方で噂は噂を呼び、彼女は世論を巻き込んだ大きな議論の矢面に立たされます。その中で、同じ事件の被害者の母親が最も強烈な批判者として現れる。その母親は、亡くなった自分の娘をヒロインにした本を書き、映画化の際にはその監修もつとめる。そしてその中で、主人公は犯人たち以上に罪深い存在として描かれるのです。 「ザ・ライブラリー」は、銃乱射事件という大きな悲劇と、そしてそれを取り巻く人々や社会、文化の中で二次的、三次的に生み出されていくさらなる悲劇を描いた舞台です。この作品は「将来起こるべき事実に基づく作品」と銘打たれていましたが、それはまさに現実となってしまったようです。 大寺眞輔 http://blog.ecri.biz/ http://ift.tt/1knGQPv http://ift.tt/NSy3rx http://ift.tt/1gp55uM http://ift.tt/1jhYFfH http://ift.tt/1iJnBhk



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