2014年6月23日月曜日

[World News #042] ジェームズ・フランコはハリウッドからネット社会に向けられた最終回答なのか?  ジェームズ・フランコである。話題はいつだって、ジェームズ・フランコに決まっているではないか。いや、このふざけた書き出しだけで、彼のファンや海外セレブ事情に詳しい人たちには、このあと私が何を書こうとしているか既におおよそ見当が付いてしまったことだろう。従って、ここで記事を終わりにしても良いのだが、残念ながら世界にはまだまだこのジェームズ・フランコ化した世界について無知を決め込んでいる人たちも僅かながら存在する。なので、もう少しだけ続けることにしよう。  ここ数年、海外映画情報、セレブ事情に触れている人たちであれば誰もが、ちょっと異常な事態が進行中であることに気づいているだろう。つまり、ジェームズ・フランコである。それはもはや、個人の名前を超え、ある今日的かつ普遍的な事態を名指すための一般名詞として用いられるべきかも知れないのだ。  たとえば、ある記事の書き出しにはこうある。 「もし、この世界にもはやこれ以上露出する必要のない人間がいるとするならば、それはジェームズ・フランコのことだ」(#1)。  あるいは、こういう書き出し。 「ジェームズ・フランコ。それは既にエンタテインメント産業からスイス製万能ナイフに向けられた最終回答であるが、彼はさらにその万能性に磨きをかけようとしているようだ」(#2)。  さらには、こういうもの。 「毎日、私たちの元にはジェームズ・フランコのニュースが届けられる。しかし、時にはさらに多くのジェームズ・フランコが届けられる日だってあるのだ」(3)。  ジェームズ・フランコはスパイダーマンシリーズや『127時間』『猿の惑星:創世記』『スプリング・ブレイカーズ』などでの俳優活動が日本でもよく知られているだろう。また、第83回アカデミー賞ではアン・ハサウェイと共に司会を務めた。日本では未公開作が多いが、近年では映画監督業にも進出している。ウィリアム・フォークナーの原作を手がけた『As I Lay Dying』など、野心的な企画が多い。また、脚本や短編小説も数多く手がけている。IMDBでの彼のページによると、進行中の企画を含め監督作は既に24本に達している(#4)。それはもはやスターの余技という言葉では表現しきれない規模ではないか。  ジェームズ・フランコのこうした旺盛で多才な創造者としての側面については、boidマガジンで映画評論家の川口敦子氏が詳しくレポートしてくれている。まずは、是非そちらをお読みいただきたい(#5)。とりわけ、ガス・ヴァン・サントの『マイ・プライベート・アイダホ』を独自の方法でリメイクした企画など、一般映画ファンにとっても実に興味深い話題に触れられている。  ジェームズ・フランコ現象は、しかしこうした多彩な創作活動にさえとどまらない。俳優&監督&脚本家&プロデューサー&小説家&アーティストである彼は、さらにネットの映画学校などでストーリーライティングを教える先生であり(#6)、ハイスクール時代を描いたその短編小説を映画化したジア・コッポラ監督作『Palo Alto』に自ら出演し(#7)、時には北朝鮮体制を刺激する(#8)ばかりでなく、さらには毎日のようにインスタグラムに投稿し、時には「恥知らずな」とも表現される自らの挑発的な半裸姿さえ(注目を欲して?)公開するネットジャンキーであるのだ(#9)。  とりわけ、この最後の部分はジェームズ・フランコを理解する上で避けて通れない側面だろう。旺盛な創作活動、無尽蔵のバイタリティ、こうした口当たりの良い言葉を遙かに超えて、彼のあまりに過剰な露出ぶりは私たちをどこか不安にさせる。ジェームズ・フランコは、もしかすると、毎日のように新しい情報と刺激とエキサイティングな事件が惰性のように投与され続ける、この現代という時代の映し鏡であるのかもしれないのだ。時代を象徴するのが映画スターの一つの役割であったとするならば、ジェームズ・フランコこそ、私たちの時代のスターであり、バズアイドルなのかも知れない。  毎日のようにネットを彩るジェームズ・フランコのスキャンダルは、まさに枚挙にいとまがない。最近で印象に残ったものとしては、彼がブロードウェイ・デビューを果たした『二十日鼠と人間』の舞台を「歴史資料館のジオラマのよう」(#10)と酷評したニューヨーク・タイムズの記者に対し、「お前のことなんかみんな嫌いだ、馬鹿野郎!」と単純に罵った事件がある(#11)。投稿後すぐに削除されてしまったこの件にはまだ可愛げがあると思うが、17歳の少女をインスタグラム上でナンパしようとした一連のプライベートメッセージがネット上に暴露されてしまった事件はさすがにまずかった(#12)。彼はセルフパロディのような写真(#13)をインスタグラムに投稿した他、出演したテレビのトーク番組でもさっそくこの件について弁解したが、未成年淫行に厳しいアメリカ社会では既に数多くの批判に晒されている。  それでも、こうしたスキャンダルさえ自らの糧にするのがネット時代の映画スターであり、バズアイドルであり、なによりジェームズ・フランコだ。彼は、リンジー・ローハンとなぜベッドを共にしなかったのかという実にどうでも良いセレブゴシップさえ自らのメタ小説のネタにしている(#14)。そう、このメタ化というのが、おそらくジェームズ・フランコをより良く理解するための鍵となるだろう。その俳優としての活動、そして監督としての、小説家としての、アーティストとしての活動すべてが、インスタグラムに投稿される自らの私生活や自己愛と共に一つの巨大にメタ化されたイメージの一部となっているかのようだ。ジェームズ・フランコはジェームズ・フランコを模倣し、巨大に膨らませていく。それは、好意的に見ればネット時代を映し出す野心的なパフォーマンス・アートであり、別の角度から見れば、やや精神的危うさを抱えた今日的スターの自分探しの道程にも見える。 大寺眞輔 http://blog.ecri.biz/ http://ift.tt/1knGQPv http://ift.tt/NSy3rx #1 http://ift.tt/1qDXXS0 #2 http://ift.tt/1nQgTcp #3 http://ift.tt/SwmHvM #4 http://ift.tt/w3yPNy #5 http://ift.tt/1j5x1SC (購読には有料登録が必要です) #6 http://ift.tt/1uTdzQq #7 http://ift.tt/QIVLc8 #8 http://ift.tt/1ptuYgX #9 http://ift.tt/1pV36F0 #10 http://ift.tt/1lafXN1 #11 http://ift.tt/1p9AnMB #12 http://ift.tt/1k0h0Tt #13 この記事に添付した。そこに書かれたメッセージは、「なぜ君は未成年が大好きなんだい?」とある。さらに、「僕は違うよ!保護者の皆さんがかわいい娘さんを僕から遠ざけておくことを願うね。ありがとう」と続けられている。 #14 http://ift.tt/1myv2qX



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