[World News #158] フランシス・フォード・コッポラ、 パリのシネマテークにて「マスタークラス」を行う 先週の土曜日、シネマテーク・フランセーズのアンリ・ラングロワ劇場はこれ以上ないほど、多くの人々で埋め尽くされていた。それもそのはず、セルジュ・トゥビアナ館長がフランシス・フォード・コッポラをこの日のために呼び寄せていたからだ。(*1) マスタークラスではまず、コッポラがジョージ・ルーカスと共に設立したスタジオ、アメリカン・ゾエトロープについて話しはじめる。 アメリカン・ゾエトロープは、コッポラがハリウッドの古きシステムに対抗し、映画スタジオ制作を革新させるために立ち上げられたものだという。セルジュ・トゥビアナ氏の言葉を借りれば、アメリカン・ゾエトロープは現代における「デジタルシネマの考古学」であり、2つの主な目的があったという(*2): ・アーティスト仲間たちの共同体が、この先も美しい映画を作りたいという志を持って仕事ができる、演劇の劇団に似通ったような居場所を作ること。 ・ビデオシネマ(Vシネ)に傾倒することで、技術を革新させること。何故なら、技術の進歩は、エクリチュールと映画を考案する方法さえも進歩させるからだ。 若き日のコッポラがジェリー・ルイス監督の『底抜けもててもてて』(1961)でアシスタントをしていた際に、初めてカメラとモニター・ビデオで撮影することを前の当たりにし(今となっては珍しくないが、当時としてはアヴァンギャルドな技法だった)、その発想は後に『ワン・フロム・ザ・ハート』で生かされることになる。こういった経験から、新たな技術や技法を積極的に映画製作に取り入れていくためにも、コッポラはアメリカン・ゾエトロープという、映画製作において融通の聞くプロダクションを自ら望んだ。しかし、そのユートピアともいうべきスタジオは、夢半ばで破産してしまう。そのことに対し、Les inrocksのSerge Kaganski氏のように、それはコッポラのほかに有能な映画作家が在籍していなかった為、と述べる者も少なくはないだろうが、やはり配給の問題が一番大きいようだ。「もし映画がどのように配給されるのかをコントロールしなければ、プロダクションの予算をコントロールすることもできない」(*2)とコッポラも言及しているほどである。 続いて、マスタークラスでは現在と未来の映画について言及が行われ、コッポラは3Dについても少し言及している。 フランシス・フォード・コッポラ:「3D技術はすでに1950年代にも存在していましたし、『アバター』や『ヒューゴの不思議な発明』など、幾つかの映画ではうまく機能しています。しかし、映画の未来はそこにありません。小説がフロベール、ドストエフスキー、そしてジョイスらによって革新されたように、まず、私はエクリチュールの変革からそれを見て取ります。次にドキュメンタリーとフィクションの融合の中に、そしてテレビの生放送におけるプロセスのなかに、映画の未来を見ます。何故なら、映画はヴァーチャルなものとなりつつあるからです。150年ものあいだ、いくつかの芸術、音楽から、写真や映画に至るまで、すべては機械を用いた複製物でした。「箱」(媒体)に入れることができたのです。今日では、インターネットは映画やコンサートなどを、世界各国の幾つもの劇場へ生放送することを可能にします。インターネットは、映画をあらゆる意味で、その形態を進化させるための、一種の新しい道具なのです。例えるなら、もはや劇場と、テレビとパソコンの間に差異などなくなったのです。これらはすでに終わったことなのです。観客はどこでも、自分の好きな時に、どのスクリーンでも映画を見られるようになり、もう映画そのもの(シネマ)しか残らなくなったからです。」(*2) 意外にも、コッポラは映画館で映画を見るということに、もはやそれほど重要性を感じておらず、「映画を見る」という体験そのものだけに重点を置いているようだ。しかし、この見解は決して、コッポラのみに限ったことではなく、それはアメリカにおいて割り切られている姿勢とさえ思わせられる。アメリカでフィルム上映施設が少なくなってしまったのも、結局のところDCPによる上映を、デリバリー・システムとして割り切っているところにあるからではないだろうか。要するに、フィルムというモノ自体に拘らずに、映画そのものに重点を置くといった考えが浸透しているということなのか。ともあれ、コッポラは現代における映画の配給のあり方が変わってきていることを肌身で感じているからこそ、こういった結論に達しているのではないかと思われる。 『ゴッド・ファーザー』や『地獄の黙示録』で成功を収めた、名高いコッポラだが、新たな技術や技法に挑戦することを厭わず、映画製作の可能性をより豊かにしようと、自由な映画を作れるよう常に闘い、挫折を幾つも乗り越えてきた映画作家だということが改めて伺えるマスタークラスだったようだ。 「ある日、私がジェリー・ルイスの例の撮影現場に居たときのことです。その日は彼の誕生日で、ものすごく大きなケーキが用意されていました。当時、常に腹を空かせていた私は、ジェリーのビデオ設備よりも、むしろケーキの方に目が釘付けになってしまいました。彼がケーキを切り分け始めたとき、私はいち早く近寄りました。しかし、自分のぶんを取るまえに、自分の友人やスタッフたちへ、ケーキの入ったお皿をまわしていかなければなりませんでした。そして私は一つずつお皿をまわしていきました。一つ、また一つと。すると最後には自分のぶんのケーキがなくなっているのです!まるで私の人生のメタファーのようですね!」(*2) 楠 大史 参考文献: http://ift.tt/1DBe9pv http://ift.tt/1CW50td
from inside IndieTokyo http://ift.tt/1DqVhtk
via IFTTT
from inside IndieTokyo http://ift.tt/1DqVhtk
via IFTTT
0 件のコメント:
コメントを投稿