2015年2月24日火曜日

Les Inrocks - Grover Lewis : Nouvelles des étoiles mortes

[World News #171] グローバー・ルイス、 ニュー・ジャーナリスムと映画を繋いだ書き手  ニュー・ジャーナリスム(あるいはゴンゾー・ジャーナリスム)と聞くと、トム・ウルフやハンター・S・トンプソンといった人物が真っ先に思い浮かばれるかもしれないが、同時代に彼らと肩を並べて活躍したライター、グローバー・ルイスという存在も忘れてはならない。彼はローリング・ストーンズ誌で1971年~1973年に掛けて活躍し、ピーター・ボグダノヴィッチの『ラスト・ショー』について書かれた記事「Splendor in the Short Grass」で注目を集める。またポール・ニューマン、ジョン・ヒューストンやサム・ペキンパーなどの撮影現場へ実際に赴き、ノンフィクション形式のインタビュー記事などを執筆する。(*1) 「ジェンソンは自分のマティーニを半分ほど飲み干すと、筆者の煙草を一本くすねた。そのすぐあとに自分の手のひらでテーブルの上を叩き、まるでライフルの射撃のような音が鳴り響く。レストラン中の頭という頭がこちらを覗きこむ。「するとお前がこのくそったれたエル・パソ・デル・ノルテに来たのは、サム・ペキンパーの爺さんについて記事を書くためなのか?」と彼はあざ笑い、自分の爪でマッチに火を付ける。「やべぇな。ハハ、そいつはデカイ取引だぜ、坊主」ジェンソンは時折「うーん」という言葉を発した。「馬鹿げてるな。サムはおそらくお前と話すことすらないぞ。というか一体全体お前は誰だってんだ?どちらにしろ、彼は10日間に渡っていかに自分が卓越しているのかを語っていた、エスクァイア誌の頭の鈍い、嫌味なやつを丁度追い返したところだ。まぁ聞けよ。うーん、お前、腕相撲かナイフファイトでもやらないか? 筆者がにやにや笑いながら拒否すると、ジェンソンはわけのわからない不満をぶつぶつ呟いたあとで、火を付けたばかりの煙草を押しつぶし、すぐに新しい煙草に火を付けた。「聞けよ、うーん、サム・ペキンパーの爺さんについて本当のことを知りたいか?きっと知りてぇんだろうな。じゃあ、言わせてくれ。彼はくそったれの犯罪者だ。いやつまり、うさんくさい目つきで人を陰で中傷するような、くそやろうだ。彼はひどい奴で、美しく、素晴らしく、すげぇ魔術師で聖人でもあるんだ。彼はとんでもねぇ男だ、うーん。とんでもねぇ人間だ」(*2)  これはサム・ペキンパーの『ゲッタ・ウェイ』の撮影に関する記事「Sam Peckinpah in Mexico」の冒頭部分からの抜粋であり、『ゲッタ・ウェイ』に出演するロイ・ジェンソンとのインタビューの様子が伺える。ルイスは対象の仕草や言葉遣い、また情景などを事細かく描写するため、まるで筆者(The Writer)というカメラのレンズ越しに、当時の撮影現場に居る人々を実際に見ているかのような錯覚に陥る。それは筆者としての「私」の考えなどがあまり現れず、筆者の質問も描かれないため、登場人物たちは「私」である筆者、つまり私達(読み手)に向かって話しかけているようであり、その当時の人々と直に向き合っているかのような感覚を与えている。故にルイスのテクストはまるで当時のメイキング・ドキュメンタリーを見ているかのような印象があり、それは彼が単に事実としての正しさにテクストの内容をフォーカスするのではなく、人物との肉迫した関わり合いにおいて、彼が生きていた当時の良い部分と悪い部分も引っ括めて、描写して見せているからではないだろうか。  グローバー・ルイスの記事は今となってはそれこそ貴重な歴史的資料としての価値も備えており、こういった試みが映画の記事において行われていたことを知ることは、一人の男が映画に捧げた情熱を垣間見ることでもある。今月の6日にカプリッチからルイスのテクストを集めた書籍がフランス語に翻訳され、出版されており、いつか日本語でも読める日が来ることを願うばかりだ(*3) 「これらのテクストを読み返すと(その幸運にただ感謝すべきだが)、かの輝かしい年代と我々の時代との距離は計り知れない。どうやってこのような潜入取材が、プレス・ジャンケットやスカイプ・インタビュー、視聴者参加型番組の時代に考えられるというのか?誰が『バードマン』や『アンブロークン』、または『アメリカン・スナイパー』などの現代における馬鹿げた撮影現場に潜入したいというのだろうか?記事が出版されることはまずないだろうし、もっと悲しむべきことに、誰の関心も引かないのかもしれない。それは、私達にとって、映画が持つ内容と重要性が変わってしまったからだ。何故なら、逆説的だが、映画がありえないほどの事前予告、メイキング・オフやテレビ特集などの波と共にやってくるため、すべての関心ごとは失われてしまっているのだ。 ルイスや他の者達によって実践された潜入取材は、ただ「情熱」によって機能することができたのだ:彼らが映画に対して抱いていた情熱。私達が映画に抱いている情熱。そして雑誌の編集長が映画に抱いていた情熱。この美しい本をぜひ捲ってみて、夢想してほしい:最後の文章の題名は『僕の頭のなかにある古い映画』だ。」(*4) 楠 大史 http://ift.tt/1JH9326 (*1) http://ift.tt/1JH90U4 (*2) http://ift.tt/1zCWb36 (*3) http://ift.tt/1F2KzgF (*4) http://ift.tt/1zCWb39

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