2014年10月11日土曜日

Les Inrocks - Xavier Dolan : "Je fais des films pour me venger"

[World News #108] グザヴィエ・ドラン、 新作"Mommy"の公開記念インタビューとティーチイン  20歳の頃に撮った処女作、『マイ・マザー』のカンヌ映画祭・第41回監督週間での鮮烈なデビューから既にはや5年。毎年に1本のペースで撮り続け、ついに今年のカンヌに選出された"Mommy"でゴダールの"Adieu au Langage"と共に審査員賞に輝いたドラン。近年の若手映画作家の中でも珍しいほど彼の作品は批評家、そして大衆からも大きな支持を得ており、「ケベックの神童」、「美しく、若き天才」というキャッチ・コピーと共に称される彼はなぜここまで多くの人々を熱狂させるのか。フランスでは今月の8日に"Mommy"が公開され、かなりの盛り上がりを見せており、今回の公開を記念して行われたインタビューとティーチインなどから、彼の映画に対するヴィジョンや姿勢を見ていこうと思う。 "Mommy"予告編 http://ift.tt/1yBkort - 君は自分の数々の成功を、批評家受けや大衆受けとに分類していたりするだろうか? グザヴィエ・ドラン(以下XD):全部同じくらいの重要性があるよ。だけど全く異なるものだね:批評には役目があって、大衆には欲求がある。楽しんで、感動するっていう。二つのコミュニティは全く別物なんだ。映画が双方に気に入られてほしいとは思うものだけど、それはごく稀にしか訪れない。もしかすると以前、僕は映画を生業とする人たちの後押しが自分には必要だと思って、批評的な支えを少し望んでいた節があったかもしれない。だけどその考えは自由に仕事をする妨げになるから止めたよ。今では、大衆に対してもっと気を使うようになった。自分の映画が上手くいってほしいんだ。僕は単に映画を自分の母親や父親、そしてごく少数の人たちだけに向けて作る気はないよ。分かってくれるかい?僕はただ、依然マイノリティーな、シネフィルのコミュニティだけに向けて作りたくはないんだ。*(1) - その欲求は君を大衆映画へと導いていくと思うかい? XD:そうだね。僕は大衆性が欲しいし、"Mommy"は明らかにそういう方向性だと思う。この映画は慣用的な物語の図式を守っているし、とてもアメリカ的だ。それにこの映画はアメリカン・ドリームについての作品だと言えるだろうしね。僕は大衆性に大きなはずみをつけたかった。そのうえ商業的にも。感動させ、希望を与え、大衆を活気づかせ、気に入られるために考案されたシーンによってね。扇動的な映画だって言ってるわけじゃないけど、ある意味ではそういう風にも考えられていたんだ。シネフィル的な方法からではなくて、大衆的な方法、つまりポップな方法で。もちろん自分の中に残っているシネフィル的なものはあって、そういった無意識な癖や、ある種の反応を防ぐことができずに、映画を少し知性的なものにしてしまっているかもしれない。だけど、この映画は僕の作品の中でも、最も自然で、シンプルかつ効率的だと思うんだ。*(1) また、ティーチインでは以下のようなことを語っている。 「自分の映画に対する批評はすべて読んでいるよ。人々が見ているものを見ることは知らなければならない。映画は単に自分や、母親と父親のために作るものじゃないのだから。映画は人々に見てもらうために作るんだ。もし、自分たちには白く見えているときにみんなには黒く見えていて、自分たちには少なく見えているときに、みんなには多すぎるように見えているのは、非常に興味深いものなんだ。」*(2)  こうしたドランのインタビューやティーチインにおける彼の発言には、些か誤解を招くような表現も見当たるが、それはあくまで質問に対して誠実に答えようとしているからであり、また彼の着飾らない言い回しによるものだと思われる。たまにインタビューなどで、まるで受け手を意識しているかのような、あらかじめ用意された発言といったものを感じさせることもあるが、ドランのインタビューは非常に即興的な印象を受ける。また、そうした即興的な発言のせいで、批判や誹謗中傷の攻撃対象となる場合も多いようだ。しかし、これらの発言のなかで伺うことができる彼の発想や考えは、常に自分の感覚や感情の上に基いている。そんな彼にとって映画とは具体的にどういったものなのか。 「ピナ・バウシュは「踊れ、踊れ、自分を見失わないように」と言った。僕にとっては「音楽を聞け、音楽を聞け、自分を見失わないように」なんだ。それは表現する術じゃなくて、生きるための術だ。僕の人生は音楽的で、映画もそうあるべきだ。映画とは、僕にとって楽譜のようなもので、会話やシーン、そして感情的な身震いは音符なんだ。」*(2)  彼の作品では多種多様な音楽によって、彩られており、音楽の使い方も彼の作品における大きな魅力の1つとなっている。そしてドランは音楽に限らず、映画の中にファッションや写真、そして音楽といった異なる様々な要素を混ぜ合わせて、独自の世界観を構築している。彼は良い意味でも、悪い意味でも、映画の考え方だけに囚われない姿勢を持って、独自の表現方法を見つけようとしているようだ。既存の考えに囚われず、自分の感覚や感情で映画の壁を、枠をやぶろうとする意気込みを感じさせる、グザヴィエ・ドラン。来年に向けて映画だけでなく、ドラマの企画もあるという彼は*(3)、一体今後どこへ向かっていくのだろうか。 「映画は、僕が愛するものであり、僕に活力を与え、夢中にさせる。自分が映画を作っていく工程の中で、1つでも手を抜くようなことは想像できない。だから学ぶ必要がある。良い疑問を持つこと。人々がどのように映画を見て、批判し、そして感じ取るのか。でも、それらの思惑は超える必要がある。」 楠 大史 参考資料: http://ift.tt/1tgNUy0 *(1) http://ift.tt/1EGZKKA *(2) http://ift.tt/1wgAEw8 *(3) http://ift.tt/1q91CRB

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